第六話「歴史」

「弓削……冬華?」

「ええ。正確には、さっきから話していた研究者の名前が弓削冬華。そして──彼女こそがユゲートカのモデルなんですよ」

「ユゲートカの……モデル?」


 私は眉をひそめながら、山尾さんに理由を尋ねた。

「それは、あなたの勘かしら……? それとも……何か確証が?」

「まず……このふたりの名前の類似性──」


 そう言われて心の中で復唱してみる。

(ユゲートカ……ユゲトーカ……ユゲトウカ…………弓削冬華。たしかに)

 それにしても、なんて安直な。



 山尾さんは言葉を続ける。

「この〝弓削冬華〟っていう名は、オーパーツの中に保存されていた論文データに記されていた名前なんです。そして過去のどこかの時代で、それを知った見知らぬ誰かが、あとから神話に追記するにあたって、パンドラの瞳の論文を物語に昇華させ、彼女の名を参考にして登場人物に〝ユゲートカ〟という名前をつけたんだと思います」

「たしかに筋は通ってるし、可能性は十分あるわね……」


 弓削冬華──

 山尾さんの話によれば、かつて太古の時代にパンドラの瞳を研究していた人物であり、例の記録媒体に保存してあった論文の著者らしい。


 私たちが知る神話は、いつ、どうやって作られたのか。それには諸説あるが、神話に登場する神々がそのままの名称と姿で本当に実在していたと考える者は、それほど多くはないだろう。仮に史実だとしても、それら神話に至るまでの過程で、何かしらの手が加えられていると考えるほうが現実的である。


 はるか昔、神話が生まれた時代を生きていた人間が生み出したのか。それとも時代の流れとともに少しずつ書き換えられて今に至るのか。あるいは人類とは関係ないもっと別の未知なるナニカが人間界に残したメッセージなのか。神々にモデルはいたのか。すべてが空想上の物語なのか。


 その真実を今の時代に生きる私たちが知ることは極めて困難である。

 なぜなら私たちは、その時代を生きていたわけではないのだから。



 何かと疑ってかかる私は、彼女に疑問をぶつけてみた。

「ねぇ。山尾さんの話だと、その弓削冬華って人が生きていた時代はエルド神話が創られた時代よりも確実に古い──ってことになると思うんだけど……そのあたりはどうなの?」


 私の質問に、山尾さんが答える。

「エルド神話は、ひとつの完成品として誰もが知るほど有名で、今の世に伝えられています。もし仮に弓削冬華が生きた時代と、エルド神話が作られた時代が同じであるなら、弓削冬華のメッセージが記録された媒体がオーパーツとして現代で発掘されたこと自体に違和感がありますし、その時代の情報が神話同様に言い伝えられて残っていなければおかしいと思うんですよ」


 さらに山尾さんの言葉は続く。

「ですが不思議なのは、もっと別のところです。弓削冬華の論文を読むかぎり、彼女が生きていた時代は、ある程度高い水準のテクノロジーが発展していたと予測できますが、あり得ると思いますか? そしてエルド神話が生まれた時代っていうのは、歴史上で考えたときに少なくとも私たちの常識では古代という認識で、まだテクノロジーが発展途上の時代だったはずなんですよ」


 どちらにしても、そんな古い時代に現代並みのテクノロジーが存在していたこと自体が、すでに私たちにとっての非常識であることは間違いない。

 そしてエルド神話が生まれた時代も、弓削冬華が生きていた時代も、どちらも相当に古いことは間違いないのだが、どちらが古いのかと問われたら間違いなく弓削冬華が生きていた時代なのだと山尾さんは言うのである。


「……どうして、そこまで断言できるの?」

「断言はできません。ですがエルド神話のルーツは、私たちの祖先から口伝くちづてで語り継がれてきた物語です。少なくともオリジナルの文献などは残っていません。それは洪水などの大災害によって人類が滅亡寸前にまで追い込まれたとき、地上にあったものはことごとく失われてしまうからでしょう。かたちあるモノはもちろん、知識も、技術も、何もかも──」


 山尾さんは話を続ける。

「もし……そういった災害を乗り越えて、なお後世に伝わるものがあるとするならば、消滅せずに災害を乗り越えられるほどの金庫のような頑丈なシロモノによって守られた遺物のみになるでしょう。そして生き残った人間の誰かが場合によって書物に残したとしても、それはもはや他人の記憶から創造されたオリジナルとは似て非なるモノだと私は認識しています」


「なるほど……。だから彼女──弓削冬華の論文が記録されていた記憶媒体こそが、当時の時代背景を正確に記録しているオリジナルの証拠で、それに関連するモノが現代に何ひとつ残っていないことこそが、その証明ってわけね」


「そうですね。彼女が存在していたことがわかる歴史が、その論文以外に一切不明なことから、おそらく今この時までの間に少なくとも一回以上は、人類の存亡をかけるほどの災厄に見舞われているはずだと思うんですよ」


 私はコーヒーを飲みながら、彼女が熱心に話す内容に耳を澄ませていた。


「そうなると物理的に考えて、弓削冬華の生きていた時代のほうが圧倒的に古いと考えるのが妥当じゃないですか」


 確かに彼女の言い分はもっともである。

 だが──


 一説では、私たちが想像できないほど遠い昔。

 私たちの生きるこの世界を作った神とも呼べる存在が、この世界の真理を神話というかたちで後世に残したのだという話を耳にしたこともある。

 そして神は、必ずしも私たちが想像する〝人に似た容姿〟であるとは限らないということも──


 もし私の知るこの仮説を当てはめたら『弓削冬華という人物は神よりも昔に生きていた』ことになってしまう。


 もちろん私ごときの知識など信ぴょう性はこれっぽっちもないが、これが事実かどうかもわからない以上は、そういう可能性も考えるべきではないか。


 すると私の思考を読み取った山尾さんが、その疑問に答えるように口を開いた。

「謙遜しすぎですよ、先輩。そこまで追求した可能性の考察ができるのですから、自分のことを『ごとき』なんて思わないでください」


 そして山尾さんは話を続ける。

「先輩が思い浮かべていたような話は、わたしも聞いたことあります。仮にそれが事実だとしても、例えば大災害によって人類が滅亡したあとに、神と呼べる存在が地上に降臨して次の世代の人類を作り上げた──その子孫がわたしたちである可能性っていう考え方もできますし、そもそも生き残った人類が過去の神話を模倣して、自ら別の神話を新たに作り出した可能性もあるわけですよね。ほかにも可能性なんて考えればキリがないです」


「た、たしかに……」




「少なくともですね──」


 そして山尾さんは、似つかわしくない鋭い視線を私に向けて言い放った。


「──パンドラの瞳が実在するということが、弓削冬華の存在とユゲートカの関係性、そして論文と神話の真実に整合性を持たせていることは間違いないんですよ」

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