最終話「魔性の花束」
面と向かって初めて、わたしが気になっていた声の正体が
そして栞里が心に秘めていた気持ちのすべてが、わたしの中に流れ込んできたのだ。
「え……? ど、どうして泣いているの……
突然泣きだしたわたしを心配して、栞里がオロオロしながら近づいてきた。
栞里がわたしのことをどう思っていたのか、わたしにはすべてわかってしまった。
これほど嬉しい気持ちになることは、もう一生のうちにないのではないかと思う。
わたしは失ってばかりの人生だと思っていたが、誰もが望んでも簡単に手にすることのできないこの世界でいちばん価値のあるモノを、すでに手に入れていたのだと知ることができた。
わたしが流した涙は、その嬉しさと感謝の証明。
『パンドラの
わたし自身が心を閉ざしていたことによる結果だったのだ。
これまでネガティブな声ばかりが聞こえていたのは、誰もが心の中に抱えている負の感情が反映していただけに過ぎなかったのだと思う。
そして、わたしの心から闇を取りのぞいてくれたのは、他でもない栞里だったのだ。
この世界でただひとり、わたしを最後まで信じてくれた人────。
その光はわたしが閉ざした心の闇を打ち消して、周囲の人々が発信していたわたしへの想いまでも感じることができるようにしてくれたのだろう。
おかげで今はクラスのみんなが、わたしの誕生日を心から祝ってくれているのが手に取るようにわかる。
クラスのみんなも、わたしのことを大切にしてくれていることがちゃんと伝わってくる。
わたしが泣いていると、クラスのみんながわたしにプレゼントを渡してくれた。
わたしが本を好きだと知って、それぞれみんな自分の一番好きな本をわたしに買ってくれたのだ。
あの日。栞里がクラスメートとショッピングモールの本屋に来ていたのは、この本をみんなで買うためだったらしい。
そして、わたしが彼女に壁を作ってしまった理由────
毎日のように彼女が通話中だったのは、クラスのみんなと、この日の計画を相談していたからなのだ。
「ごめん……栞里。ありがとう。みんな、ありがとう!」
わたしは、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら喜んだ。
なぜか栞里も、一緒に泣いて喜んでくれた。
それからわたしは、栞里たちが用意してくれたわたしのバースデーパーティを心ゆくまで楽しんだ。
夜遅くなるまで楽しんだ。
帰り際────
気づいたら、もう他人の心の声は何も聞こえなくなっていた。
ふと空を見上げると、たくさんの星が輝いている。
数えきれないほど、たくさんの星。
目を閉じ、今日の記憶をしっかりと心に刻み込む。
わたしは、この日のことを一生忘れないだろう。
◇ ◆ ◇
あれから次の日曜日。
栞里がわたしに紹介したい人がいると言って、ある喫茶店に連れて行ってくれた。
そこで出会ったのは、インフルエンサーとして活動している車椅子の綺麗な女性だった。
彼女はこれまでの車椅子生活についての経験や、今に至るまでの想いなどを赤裸々に語ってくれた。
辛かったことも。楽しかったことも。
そして今は未来に希望を抱いて、前向きに生きていることを知った。
自分にしかできないことを発信して生きていくのだという彼女の言葉は、わたしの心に強く響いたのだ。
あの事故の日から時間が止まっていたわたしとは大違いだ。
彼女の話を聞いて、わたしも何かに挑戦してみたくなった。
いろいろと考えてみたが、わたしが選んだのは小説家への道。
小説家は健常人でも目指すことができる道だ。
それでもわたしは小説家への道を選んだ。
なぜならわたしは本を読むことが好きだったし、物語を考えることも好きだったからだ。
わたしにしか出来ないこともあったかもしれないが、わたしはわたしが出来ることの中から自分のやってみたいことを選んだ。
それがわたしの答え。
その日から小説家になるための、わたしの新たな人生が始まったのだ。
不安も、失敗も、いろいろ経験した。
辛いことはあったが、生きているという実感が湧いた。
一生懸命に夢を追いかけることで、生きている意味を感じられるようになったのだ。
そしてわたしは、二十九歳の時に夢だった直木賞を受賞。
わたしの華々しい小説家人生の幕開けだ。
それからも辛いことはたくさんあったが、楽しい日々だった。
結局わたしは生涯で百冊以上もの小説作品を世に送りだして、その幸せな人生に幕を閉じたのだ。
わたしが世界に対して強烈なメッセージを残した作品は三つだけ。
その中のひとつ────『
この小説は、わたしが体験した『パンドラの瞳伝説』をモチーフとして物語を構築してある。
パンドラの瞳に対する、わたしなりの解釈を書き記したつもりだ。
わたしの小説作品『魔性の花束』の物語は、大雑把にあらすじを書くと次のような内容になっている。
§ § § § § § § § § § § § §
昔々、とある
その花は手にした者の世界に災いをもたらす悪魔の花と呼ばれていました。
いっぽうで幸福に導いてくれる希望の花という異名も持ちあわせていたのです。
実際にその花を見たことがある者は、誰ひとりとして存在していませんでした。
しかしある日、ひとりの少女がその花を見つけてしまうのです。
少女は赤い花を手にしてしまいました。
すると途端に、彼女の世界のすべてが闇に覆いつくされてしまったのです。
彼女をとりまく人々は、例外なく悪魔へと変貌し『これが世界の真実なのだ』と彼女を惑わせました。
しかし、たったひとりだけいたのです。
悪魔に変貌しなかった者が────。
それは彼女のもっとも大切な親友でした。
そして彼女が親友のもとに辿りついた瞬間、彼女を取り巻いていた闇はすべて消えさり、彼女の世界に光が降りそそいだのです。
のちに彼女は悪魔と化した人々のことを、まるで黒い花束のようだったと比喩しました。
そして彼女の世界を救ったたったひとりの親友を白い花のようだったとし、その親友の心に触れた瞬間に黒かった花たちがすべて白く塗り替えられていったことから、彼女は自らの体験を「まるでわたしの心を惑わす『魔性の花束』のようだった」と人々に伝えたのです。
この話はいつしか人々のあいだで語り継がれるようになりました。
そして、それはやがて『魔性の花束の伝説』として、人々の生活のなかに溶け込むように定着していったのです。
宮田寿々『魔性の花束』より
§ § § § § § § § § § § § §
いつかわたしと同じように『パンドラの瞳伝説』を体験することになる人が、わたしの小説から何かのヒントを得てくれることを祈っている。
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