第五話「友情」
わたしが器用に車椅子を操作して外に出ると、家の門の脇に見たこともない奇妙な赤い石が落ちているのを発見した。
「なんだろう……これ?」
最初は何も考えずに、ただ好奇心からソレを拾ってしまった。
拾ってから間もなくして気づいたのだ────わたしは。
(これって……もしかして『パンドラの
次の瞬間だった。
これまで静まり返っていたはずなのに、突然ポツポツと何かの音がわたしの耳に入ってくるのがわかった。
わたしは唾を飲み、耳を澄ませる。
『大物政治家……不正疑惑で逮捕、だってよ。ざまあみろ!』
『へへ。今日もひとりババアを騙して高額プランに加入させてやったぜ!』
『このCD返したくねぇな……。無くしたって言ってパクっちまうか』
『芸能人の結婚報告とかつまらねぇ。破局しちまえよ』
『ついに不倫の証拠を掴んだわ! これであいつは私のATM!』
わたしは聞こえてくる声を受け入れることができずに放心状態になっていた。
しばらくして、あまりのショックに過呼吸のような状態になる。
「はぁ……はぁ……! な、なに……これ?」
間違いない。これは『パンドラの瞳』だ。
わたしは思い出したかのように、慌てて先ほど手にした石へと視線を送った。
────ない。
さっきまで手に持っていたはずの『パンドラの瞳』がない。
まるで煙のように、わたしの手から忽然と姿を消してしまったのだ。
動揺するわたしの頭の中を、いろいろな思考がよぎっていく。
拾うつもりじゃなかった。あれが『パンドラの瞳』だとわかっていたら、わたしは絶対に拾わなかった。
そう後悔しても、もう遅いのだ。
わたしの意思などお構いなしに、悪意や憎悪に満ちた声が次々とわたしの頭の中へと流れ込んでくる。
恐らく聞こえてくる声は、この周辺に住んでいる人たちのものだろう。
なかには誰なのか特定できるような声も混じっていたが、その主は表向きではこんな汚い言葉を吐くような人間ではないはずだったのだ。
その場で途方に暮れるわたし。全身から噴きだす汗。震える身体。
わたしの心臓が破裂しそうなほどに強く脈打っている。
「え…………? こ、これって……治るの?」
わたしは、とてつもない不安に襲われた。
両親は共働きで、ふたりとも今は家にいない。
誰かに相談したいが、相談できる相手がいない。
わたしは自分の足元を見る。満足に動かない足。
わたしは一年前、自らの人生にとてつもなく大きなハンデを背負ってしまった。
みんなは自由に歩きまわれるのに、わたしにはできない。
みんなは好きなところに行けるのに、わたしは行けない。
どうして神様は、わたしにばかりこんな困難を押しつけるのか?
そう思ったら、わたしは急に自分がみじめに感じて目から涙があふれてきた。
悔しくて、恐ろしくて、車椅子のままその場に佇むわたし。
ふと考える。
そうだ。これは、わたしが
いくら拒絶しても、わたしの脳裏に際限なく流れ込んでくる醜い感情の群れ。
それはまるで、荒れた海の上でわたしに襲いかかる高波のようだった。
すでに覇気を失ってしまったわたしは、虚ろな目で門を開けて外に出る。
もはやどうすることもできないパンドラの瞳の効果に対して泣きわめく気力もなかったが、一刻も早くこの悪夢のような場所を去りたかったのだ。
まるで世界が闇に閉ざされてしまったかのような感覚。
望んでもないのに、あちらこちらから悪意に満ちた醜悪な感情だけが、わたしのもとへと届く。
わたしは行くあてもなくひとり、ただ無心で車椅子を走らせた。
気づくとわたしは、学校の前まで来ていた。
もしかしたら栞里を頼りにして、無意識にここまで来てしまったのかもしれない。
するとわたしは、これまでとは違う感覚に気がついた。
栞里が指定した教室のあたりから、これまで聞こえていた声とは、あきらかに質の違う声を感じるのだ。
栞里が指定したのは、二階の奥にある彼女が所属しているクラス。わたしも肩書上はそのクラスだ。
わたしの高校はバリアフリーが導入されており、わたしのような者でも上の階へ行ける造りになっていた。
わたしはエレベーターを利用して二階へと向かう。
教室に近づくに従って、これまでと同じような重苦しいネガティブな声が次々と聞こえてくる。
目を閉じると、まるで教室の中にドス黒い悪魔の花が咲き乱れているかのようだった。
怖気づきそうになりながら近づいていく。
教室が近づいてくると、その中にわずかに感じていた心地よい感情の正体が、少しずつその輪郭を形成しあらわになっていく。
その声は周りの黒い感情に押しつぶされてハッキリとは聞き取れなかったが、間違いなくわたしにとって大切なものであるように思えた。
教室の前に立ち、覚悟を決めてそのドアを開ける。
その瞬間、甲高いクラッカーの音が鳴り響き、わたしはつい目を閉じてしまった。
「ハッピーバースデー!」
その場にいる全員がわたしに向けて言った言葉だ。
いろいろな人たちの声が混ざり合って、わたしを祝福してくれている。
(ああ、今日はわたしの誕生日だったんだ)
そう思いながら、ゆっくりと目を開いたわたしは、驚きのあまり声を失った。
わたしの目に飛び込んできたのは、笑顔でわたしを祝福してくれる大勢のクラスメートたちの姿だったのだ。
その中心にいた栞里が、わたしに優しく微笑みかけてきた。
「お誕生日おめでとう────
教室の壁には、紙で作った花などで彩られた『お誕生日おめでとう! 寿々』の文字が大きく飾られていた。
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