第四話「齟齬」
その日の夜。
あんなことがあったのに、
だが、わたしがその電話を無視してしまった。
ショッピングモールでの一件で、わたしは栞里との間にまた壁を作ってしまったのだ。
あの時、仲良さそうに笑い合いながら本屋に入っていった栞里とクラスメートたち。みんな自分の足で歩いていた。
わたしだけが、それを離れた位置から見ていたのだ。わたしだけ自分の足で歩けない。
そう思ったらなぜだか無性に悔しくなって、気づいたらあのような態度をとってしまった。
栞里の電話を無視した理由については、もちろんわたしが面倒くさい性格であることが主な原因だ。
だが、もし栞里が電話をしてきた理由が、わたしと絶交するためだったとしたら────
そう思うと、栞里の言葉を聞くのが急に怖くなったのだ。
そしてあの電話を最後に、もう栞里からの連絡は一切なくなってしまった。
きっともう栞里も、わたしを疎ましいと思っているに違いない。
わたしは自分が生きていることの意味を見失い始めていた。
あの日から、わたしの生活は一変してしまった。
ただ、起きて、食べて、寝るだけの生活。もはや死んでいるも同然だった。
バラエティ番組を観ても笑えない。笑い方を────忘れてしまった。
わたしはドラマも映画も観なくなり、次第に大好きだった本すらも読まなくなっていった。
わたしの中から感情が消えていく。
次の日曜日。
いつもなら栞里と出かけているはずの時間だ。
わたしは久しぶりに窓を開け、外の景色を眺めてみた。
まるで綿菓子のような白い雲が立ちのぼる青空から、太陽の光がわたしの肌をやさしく照らしだす。
住宅街なのであまり景色はよくないが、やはり外の空気はおいしいと感じた。
うちの庭に植えてあるキンモクセイの木から、その甘い香りが風に運ばれてやってくる。
わたしの部屋の窓から見える景色は緑豊かな自然とは程遠かったが、それでも近所の庭に植えられた高木、それぞれの家の周りを取り囲むように存在している生垣、プランターに咲く色とりどりの花など、部屋に籠りきりだったわたしの心を癒すには十分な美しさがあった。
わたしの部屋は二階にある。
わたしが一生、車椅子になるかもしれないと医者に宣言されたことをきっかけに、父が家をリフォームしてホームエレベーターを設置してくれたのだ。
だから今でも、昔から使っていた二階の部屋を使っている。
しばらくわたしが窓から見える景色を眺めていると、わたしの家の前をうろつく人影が目に入った。栞里だ。
わたしは慌てて窓から離れ、隠れるようにカーテンを閉めた。
なぜ栞里が、わたしの家の前にいるのだろう?
そう思いながら、わたしはしばらく部屋の奥に身を潜めていた。
数分後、そっとカーテンの隙間から外を覗いてみたが、もう栞里の姿はなかった。
電話もメールもない。本当に何をしに来たのか?
よくわからないまま、いつもの死んだような生活に戻る。
それから数日後。
母が「忘れていた」と言って、わたしに手紙を渡してきた。栞里からの手紙だった。
このまえの日曜日。栞里がわたしの家の前をウロウロしていたのは、きっとこの手紙を家のポストに投函しに来ていたに違いない。
わたしは部屋に戻ってから、手紙の封を開けてみた。学習机の椅子に腰かけて、そっと手紙を開く。
一瞬、読むのをためらったが「もう今更だろう」と開き直って、その手紙に目を通した。
『
メールではなく手紙。メールでもよかったのに手紙。
ただ──
手書きで書かれたその手紙が、わたしの心を少しだけ穏やかにしてくれた気がする。
「栞里の字……」
わたしは天井を眺めながら、そう小さな声で呟いた。
それから数日が経過し、栞里の手紙にあった金曜日になった。
だが、わたしは学校へ行く気にはなれなかった。
なぜなら、そこにわたしの求めるものが何もないと思っていたからだ。
結局、あれっきり栞里とは一度も連絡していない。
もしかしたら、あの一件でわたしのことを嫌いになった栞里が、わたしを嵌めるために学校に誘いだして笑いものにでもするつもりなのかもしれない──
そんなことすら考えるようになっていたのだ。
わたしがいつもどおりの生活を送っていても、栞里の指定した時間は勝手に近づいてくる。
いつの間にか空は赤く染まり、時計の針は夕方の五時を指していた。
その時になると少し迷いが生じる。行く気になったわけではないのだが、どこかそわそわして落ち着かないのだ。
そういえば、もう二週間近く外に出ていない。
わたしは『学校へ行く』という理由ではなく『ドリンクを買いに行く』という理由を言い訳にして、久しぶりに外へ出てみることにした。
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