第四話「契約」
「……え? 今なんて言いました?」
「いや。だから、あたしのボーイフレンドになってって」
影虎は自分の頬をつねって現実なのかを確認している。
実際に過去の関連資料から考えても、パンドラの瞳の出現条件として必ずしも恋人がいる必要はないだろう。
だが、都市伝説に示されている『ひとつの希望』という概念に該当するものが、少なくとも『対象のことを大切に想ってくれている人物』を指していることは間違いない。そう考えたとき、恋人という条件は非常に都合がよいと感じるのだ。
そして、あたしを誰よりも大切に想ってくれるような人間というのが、現時点でこの世に存在していないことも疑いようのない事実なのである。それどころか、ほぼすべての知人に避けられていると言っても過言ではない。
だが少なくとも影虎は、まだあたしのことを嫌っていないはずなのだ。だから何としてでも、このあたしに対して絶対的な忠誠を誓うように影虎を改造しなければならない。
とはいえ、さすがのあたしも隠しごとをして騙すのは気が引けるため、影虎には発言の理由を話すことにした。
「……ああ、なるほど。例の都市伝説を解明するために、俺からの絶対的な信頼が欲しいと?」
「ええ。どう? 成功したら報酬は弾むわよ」
「報酬とかどうでもいいんすけど、別に変な小細工なんかしなくても俺からの信頼は問題ないと思いますよ?」
「じゃあなんで今までパンドラの瞳が、あたしの前に現れてないのよ⁉ 言っておくけど、あたし影虎以外の人間には完全に嫌われてる自信があるから!」
「そんなの俺に言われたって知りませんよ! それにあくまで先輩の推論でしょ? ソレ」
たしかに影虎の言っていることは間違えていない。現状ではパンドラの瞳の存在を証明することもできなければ、出現条件もあたしの予想に過ぎない。
それでも絶対に存在するはずなのだ。パンドラの瞳は──。それを知るためにも現時点でやれることをやるしかない。そして、そのためには何としても影虎に協力してもらわねばならない。
あたしがふてくされた表情をしていると、影虎がボリボリと頭を掻きながら言葉を付け足してきた。
「……でも俺。先輩と付き合うって条件は大歓迎なんで、何をすればいいのか具体的に教えてもらえます?」
影虎は、協力する条件として『パンドラの瞳に関する情報の共有』と『あたしがパンドラの瞳を追う理由』を教えて欲しいと言ってきた。当然の要求だと思う。
あたしがまとめた資料に、ひと通り目をとおす影虎。しばらく無言で考え込んでから、彼なりの意見をあたしに述べてきた。
「……たしかに先輩の推論は的を得てますね。ただ、俺が思うに信頼関係の部分に関しては、もっと複雑な条件が絡み合っているように感じます」
「どういうこと?」
「だから……先輩が俺以外に嫌われている意味はないんじゃないかなって……」
「嫌われ者で悪かったわね! 余計なお世話よ」
「自分で言ったんでしょ⁉」
相変わらず、楽しい反応。
そんなことを思いながら、あたしは影虎に「ひとまず何もしなくていいから、ただ『世界じゅうの誰よりもあたしのことが大事なのだと思い込む訓練』をしなさい」とだけ命令した。
だが、いつもならこの指示に対して「無茶言わんでください」みたいなノリのツッコミが返ってくるはずだったのだが、なぜか返ってこないことに少し拍子抜けする。それどころか、まんざらでもないみたいな顔をしているのが、なんかムカつく。
あたしは不満気な表情を見せつけてから、影虎に提示された条件である『パンドラの瞳を追う理由』を話すことにした。
まず表向きの理由としては、純粋にパンドラの瞳という未知の物体を実際にこの目で見てみたかったということ。
あわよくば手に入れて、その成分を分析し、じっくりと研究してみたかった。
ひとりの科学者として、その神秘をこのあたしの手ですべて暴いてやりたかったのだ。
そして、ここから先のことは、影虎に話さなかった裏の理由。
あたしの心の中だけに隠している薄汚い欲望。
あたしは────
パンドラの瞳を、他の人間に渡したくはない。
あたしが手に入れて、あたしの研究材料として、このあたしが解明したいのだ。
パンドラの瞳という神秘は誰にも渡さない。アレはあたしだけのモノ。
もし──
あたしが手にすることが不可能で、今より高い技術力を持った未来の誰かの手に渡り、そいつに暴かれてしまうくらいなら──
あたしが、この手でパンドラの瞳を破壊する。
それが、あたしの計画。
あたしは薄汚い欲望にまみれた女。
影虎の綺麗な心が、あたしのせいで穢れてしまわないように、徹底的に裏事情は隠して話した。
影虎も有能な科学者である以上、あたしの表向きの事情には納得してくれた。
そして契約は成立。
この瞬間、晴れて影虎はあたしのボーイフレンドとなったのだ。
それから、さっそく影虎とパンドラの瞳についてお互いの見解を議論し合ってみた。
やはり、いちばんの鬼門は都市伝説にも示されている『たったひとつの希望』という部分だ。これはパンドラの瞳と接触した者が、心で通じ合っている人物のことを指しているという考え方で間違いはないのだと思う。
ただ『心が通じ合っている』と一括りに言っても、実際には『愛情』だとか『友情』だとか違ったベクトルの感情があるなかで、果たしてどれが正解なのか、あるいはどれも正解なのか──
その範囲を正確に絞り込むことは、雲を掴むよりも困難なのではないかと影虎は言う。
それはあたしも考えていたことだが、この状況下で正解を先に得ることは不可能であることも事実なのだ。
また、それでも希望になり得るひとりとの関係性を特別なものに昇華するためには、そのほかの人間との関係はそれ以下でなければならないというあたしの考えも影虎に示した。そして、その条件に最も適しているのが『恋人』という関係だと思ったのだということも──。
この意見には影虎も、ひとまず形式上の賛成はしてくれた。
「ただ、まあ……。宮田寿々の小説では、希望にあたると思われる人物が『親友』ってなっているんでしょ? そんなに恋人にこだわる必要性もないと思いますけどね」
影虎はそう言ったあとで、別の疑問を示してきた。
「さらに言えば、そもそも人間には必ず生んでくれた両親が存在します。もちろん過去に不幸などで両親、もしくは片親を失ってしまった人とかもいますし、先輩のように両親から愛想つかされた人もいると思いますけどね」
「悪かったわね!」
実際にあたしは両親から見放されている。そして影虎はそれを知っている。そのうえで、あたしと影虎の関係はこういった話をネタにし合っても差し支えない関係性ではあるのだ。
あたしがツッコミを入れると、影虎は楽しそうに含み笑みを浮かべながら話題を変えた。
「ま、冗談は置いておいて……。実際に親の愛っていうやつは、未来永劫そこにあって消えることはない……と俺は思っています。なのに過去の文献や物語に登場する『ひとつの希望』にあたる人物において、両親の存在らしき表記がひとつも見当たらないことが不自然なんですよ」
「それはあたしもちょっと考えたけど、そもそもパンドラの瞳に遭遇する人自体が稀有なわけだし、何かしらの原因で両親愛とは無縁の人間のもとにしか出現していないって可能性もあるでしょ?」
「ええ。ですが、そうじゃない可能性だってあるじゃないっすか。何でもかんでも憶測だけで決めつけることほど危ういことはないっすよ」
「まあ……そうよね」
パンドラの瞳の出現条件のひとつとも考えられる『ひとつの希望』において、両親がその対象になっていない可能性。そしてその理由。
たとえば『年齢による制限』もしくは『親族など近しいDNAの者では反応しない』など。
「可能性として親は除外されていることは否定できないけど、ほかに情報がない以上は推論の域からは出ないわよね」
「ですね。ただ──他の資料では、恋人同士の間で出現したってパターンは多いみたいだし、
「
首を傾げたあたしに、申し訳なさそうに説明する影虎。
「どちらかというと
「……つまり?」
「ひとまず両親とか例外っぽいのは置いておいて……。心から通じ合うっていう文字どおり内面でお互いを信じ合えていれば、そもそも恋人だとか親友だとか、そんな肩書どうでもいいんじゃないっすか?」
あたしは天井を見上げながら小さな声で呟いた。
「問題は、あたしのほうか……」
「いまさら気づいたんすか……?」
あたしに殴られた頭を抱えて、部屋の片隅で悶絶する影虎。
しかし現実問題として、あたしの影虎への想いがいちばんの足枷になっているということは間違いなさそうだ。
「やっかいね……これは」
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