第五話「思惑」

 しばらく影虎と意見のすり合わせをおこなったあと、弁当の容器を片づけている時にペンダントが無くなっていることに気がついた。


 結構お気に入りのペンダントだったのに──。


 いったいどこで無くしたのか。

 思い当たるのは、昨日の仕事帰りに気分転換のため訪れた近所の河原だ。そこでしばらく影虎とビールを飲んでだべっていたのだが、あの時たしか何気なしにペンダントを外した記憶がおぼろげに残っている。無意識にそこら辺にあった石の上などに置いた可能性は高い。

 ほかにも可能性がある場所を思い返してみたが、あたしの記憶上ではやはりあの河原しか思いつかない。


 しばらく考えてみて、あたしは影虎にペンダントの捜索を任せることにした。


「ねぇ。影虎」

「なんすか?」

「昨日、河原でビール飲んだでしょ?」

「はい」

「あそこでペンダント無くしたっぽいんだけど、探してきてくれない?」

「……え? まじっすか?」


 突然の変化球的な命令にうろたえる影虎。まあ無理もない。時間はもう夜の九時を回っている。こんな暗くなってから、だだっ広い河原でひとりペンダントの捜索活動など誰だって嫌だろう。しかも他人のヤツ。


 いつも何だかんだで言うことを聞いてくれる影虎も、さすがに意見を口にしてきた。

「明日でいいじゃないすか」

「結構お気に入りだったのよ。あのペンダント」

「……大事なものだったんすか?」

「別に大事ってほどのものでもないわ」


 失敗した。探しに行くのを渋っている影虎に対して、うっかり正直に答えてしまった。どうせなら嘘でも『とっても大事なもの』とでも言っておけばよかったのだ。

 やむを得ないので別の適当な理由を付け加えて、意地でも今から探しに行くように仕向ける。


「まえの男からもらったものなんだけどね。ただ……何となく形とか色とかが気に入っていたのよ」

「まえの男の……。それを俺が探しに行くんすか……?」

「あんたが探さなきゃ誰が探すのよ。いい? かならず見つけてきて!」


 影虎なら、このくらい強要すれば絶対に行ってくれるはずだ。

 影虎とは、もうずいぶんと長い。あたしは彼の性格も行動も、しっかりと分析できている。あたしくらいになれば、影虎をコントロールすることくらいわけないのだ。

 そう脳内で自画自賛しながら、目を閉じ、笑みを浮かべ、優越感にひたる。

 影虎に背中を向けて、腕を組み、得意げにふんぞり返ってみせた。


 だが、しばらくして異変に気づく。影虎からの反応がないのだ。


「……影虎?」


 目を開けて振りかえると、もうそこに影虎の姿はなかった。

 静まり返る研究室で、ひとり呟く。

「なによ……。ひとことくらい何か言ってから行きなさいよね……」


 それから気を取りなおして、あたしはパンドラの瞳の研究に着手し始めた。

 とはいえ実物があるわけではないため、気軽にできることといえば資料に目を通して考察するか、思考実験をするくらいしかない。

 なので仮にパンドラの瞳が目の前に出現した場合、どのような経緯をたどるのかシミュレーションしてみた。


 まず最初に考えるべき選択肢はふたつだけ。

 パンドラの瞳に『触れる』か『触れない』かだ。


 触れた場合、ほぼ間違いなく過去の資料にあるデータと同じ結末を迎えるはずだ。つまりパンドラの瞳は消失して入手することは不可能。


 だが触れなかった場合、そこからさらにふたつの可能性に分岐する。

 それは『触れなくても消失する』のか、それとも『触れなければ消失しない』のかだ。

 もし後者が事実であれば、触れさえしなければ入手が可能かもしれない。

 だが前者が事実だった場合、触れようが触れまいがどちらにしろ、パンドラの瞳は出現してから一定時間経過したのちに消失してしまうことになる。

 つまり『触れない』という選択をした場合、みすみす『目の前でパンドラの瞳が消えるのを、指をくわえて見ているだけ』という間抜けな結果に終わってしまう可能性があるわけだ。


 だから普通に考えた場合、触れなくても消失する可能性がある時点で、あたしにとって『触れない』という選択肢はあまり賢いとは思えないのだ。

 しかし同時に『触れてしまえば消失確定』という事実が絶対的である以上、パンドラの瞳を手に入れるためには『消失しないことを祈って、触れずに入手する』という方法以外にあり得ないのも事実なのである。


 そこで、あたしが考えたもうひとつの選択肢──

 それが『パンドラの瞳を破壊する』という方法。


 破壊するという選択肢を付加することによって、新たに別の可能性が発生する。

 それは破壊という行為によって、パンドラの瞳の機能が『失われる』のか、それとも『維持される』のかだ。

 破壊によって機能が失われるのであれば、少なくともあたしはパンドラの瞳を形成していた素材を回収することができる。

 いっぽうで破壊しても機能が維持されるのであれば、結局パンドラの瞳は消失してあたしが入手することは叶わなくなる。しかし、その時パンドラの瞳に触れていれば、その能力を身をもって体験することは可能だろう。


 また破壊したからといって、パンドラの瞳が二度と人類の前に姿を現さないという保障などないが、それでも完全体のまま見逃すよりは未来人の手にわたる可能性を低くすることができる。

 あたしにとっては、これが極めて重要な問題なのである。



 あたしは欲深い人間だ。

 あたし以外の人間にパンドラの瞳は絶対に渡さない。


 あたしが手に入れることができないなら──

 あたし以外の人間に解明されるくらいなら──

 あたしがこの手で破壊するまでだ。



 パンドラの瞳の入手ルートを脳内シミュレーションしていると、あたしのお腹が怪物のような音をたてて鳴りだした。時計を見ると、時刻はすでに夜中の三時を回っている。


(ああ、もう三時過ぎか。そりゃお腹もすくわね……)


 どうやっても自分の意思では止めることができない腹鳴があたりに響くなか、ふとあることを思いだして言葉にする。

「そういえば影虎のやつ戻ってこなかったわね……」


 ペンダントの捜索に向かったが発見できずに、そのまま帰宅したのか。

 それともペンダントの捜索になど向かわずに、そのまま帰宅したのか。

 影虎がいれば、夜食の買い出しを頼んでもよかったのだが────。


「おなかすいたな……」

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