第六話「破壊」
正直、今から家に帰るのは面倒だ。
だが、ここに影虎がいない時点で、どちらにしても何か食料を調達するために自分が外に出なければならない。それだったら、やはり一度帰宅するべきか。さんざん迷ったあげく、あたしは最寄りのコンビニに寄って帰ることにした。
「影虎め……」
ぶつぶつ文句を言いながら研究室の灯りを消して部屋を出る。
もう施設内には誰も残っていなかったので、あたしが最後の見回りと戸締りをしてから研究施設をあとにした。
うっかりこんな真夜中まで研究に没頭していたが、それもこれも影虎が戻ってくると思い込んでいたことが原因なのだ。普段は零時には家に戻っているため、ある意味で新鮮な体験かもしれない。
コンビニに寄って帰宅する最短ルートの途中に例の河原があることを思い出して、コンビニに寄るまえに少し足を運んでみることにした。
(たしか、このあたり……)
点々と存在している外灯などのおかげで場所によって多少は明るく見えるが、深夜なのでお店もほとんど閉まっており、その光の総量はあまりにも心もとない。
あたりにある建造物やガードレールの形状、木々など、さまざまなオブジェクトの位置から記憶を頼りに、影虎と飲んでいた位置を思い出そうと試みる。しかし全体的に暗くてよくわからないうえに、あまりにも似通った景色が多いため、はっきりと特定ができないのだ。
(どこだったかな……。やっぱり深夜の河原は真っ暗で、何も見えないわね……)
すると、だだっ広い河原でチラついている小さな光があたしの目に映り込んできた。何かと思って、目を細めて凝視するように見つめてみる。
「影虎?」
そこにいたのは影虎だった。
スマホのライトを頼りに、足元を照らしながら必死で何かを探している。
いや──
あたしのペンダントを探しているのだ。
「あいつ……。まだ探していたのか……」
罪悪感からか、あたしの胸がチクリと少し痛んだ。
その時だった。
あたりが真っ暗だったため、わずかに光を放っていた足元の発光体にすぐに気がついた。
わずかに視界の隅に入ってきた光の色は────
────赤。
最初にあたしの全身を駆けめぐるように鳥肌が立ち、それに追従して全身の毛穴からあり得ないほどの汗が噴き出してきた。
身体中のセンサーが、あたしに警告している。
間違いない────パンドラの瞳だ。
遅れて追いついたあたしの思考が、慌てて状況を整理している。
緊張が走る。
想定外のタイミングだ。まったく心の準備などしていなかった。
これほど突然その姿を現すとは────。
パンドラの瞳に触れずに回収するべきか、それとも破壊するべきか。
破壊する場合は触れてしまうか、それとも触れないべきか。
結局、何だかんだで最後まで悩んでいたのだが、本番を前にして『もはやそんなことを考えている場合ではない』ことに気づく。
手をこまねいているうちに、どこか時空の彼方へでも消え去られたら、それこそ笑いものだ。迷っている暇などない。
あたしはためらうことなく、素手でパンドラの瞳を手にとった。その瞬間、あたしのなかで何かが変わったと感じた。
深夜だったためか、それほど多くの声は聞こえてこない。だが、ぽつりぽつりと明らかに本来聞こえるべきではないはずの声が聞こえてきている。
(これがパンドラの瞳の能力か……)
少し怖気づきながらも目的である破壊作業に移ろうとしたその時、目の前から聞こえてきた声。はっきりと誰のものか特定ができる。影虎の心の声だ。
『俺は世界の評価なんて、どうだっていいんだ』
もっと世界に自分の実力をアピールしろ────いつもあたしが影虎に言っていたことだ。
まさか、どうでもいいと思っていたとは。
そして次に影虎の中から聞こえてきた予想外の言葉に、あたしの心臓が止まりかけた。
『俺が欲しいのは先輩の評価だけ────』
思わず動揺する。顔がのぼせたように熱くなっていくのを感じた。
暗いうえに、それなりの距離があるため、影虎の表情はよくわからない。だが、あたしの中に入ってくる影虎の感情から、彼の表情を想像することはできる。
くやしい感情。
きっと、つらそうな表情で探しているに違いない。
そう思ったら、あたしの心臓がさらに大きく鼓動したのがわかった。
「え……? なに、これ……?」
くるしい。あたしの胸が。心が。絞めつけられるようにくるしい。
戸惑うあたしの気持ちなどおかまいなしに、影虎の心の中に存在していた想いや感情のすべてが、次々とあたしの中に流れ込んでくる。
『くやしい……まだ俺は先輩にとって元カレのペンダント以下の存在なのか』
影虎の心が泣いている。
あたしが、まえの男のペンダントなんて探しに行かせたから──。
「……影虎」
それでも健気に探す影虎の姿が、あたしの心を強く揺さぶる。
あたしがあのペンダントを気に入っていると言ったから、あたしのために影虎は必死で探しているのだ。影虎にとって忌むべきものであるはずのペンダントを──。
「探したけど見つからなかったって言えばよかったのよ……。ほんと損ばかりして……バカみたい…………」
そして次の瞬間、あたしは我に返った。
(しまった────。パンドラの瞳のことを忘れていた!)
必死にペンダントを探す影虎の姿に見惚れてしまって、つい思考が停止していたのだ。
あたしの手の中にあったパンドラの瞳へ視線を送る。
(大丈夫だ……まだ消えてない!)
だがパンドラの瞳は、その周囲の空間を巻き込んでノイズを発生させているように見える。
これは消え去る前兆に違いない。
あたしは震える手で、慌ててカバンに忍ばせていたある装置を取りだした。
その名も
パンドラの瞳を破壊することを目的として、徹底的に物質の破壊だけに特化させた究極の粉砕装置だ。直径十五センチ、厚み三センチほどの金属板のような簡素な形状をしており、対象物を板の上に乗せてスイッチを押すだけで、この世に存在するどんな物質も一瞬で破壊して塵と化す代物。
あたしはパンドラの瞳を粉砕装置の上に置いてから、すかさず装置を起動させた。
だがパンドラの瞳は装置の上で踊るように震えているだけで、まったく破壊される気配はない。
焦ったあたしは、予備にもうひとつカバンに忍ばせていた粉砕装置を取りだして起動させると、それでパンドラの瞳をサンドするかのように上から押しつけた。
すさまじい反動が、あたしの手に伝わってくる。
「こ……この化け物め……! 壊れろ────!」
あたしは必死の形相で、今にも消えそうなパンドラの瞳を上下から粉砕装置を使って押しつぶすように力を込める。
すると次の瞬間、まるでマンドレイクの叫びのようなとんでもない音を発しながら、パンドラの瞳はあたしの目の前で砕け散ったのだ。
粉塵とまではいかなかったが、ひとまず破壊には成功した。
そこらじゅうに散らばった破片をひとつ拾ってみる。
すると空間にノイズを発生させながら、パンドラの瞳の破片は消滅してしまった。
足元を見ると、他の破片も次々と消滅していく。
「回収は……失敗、か……」
あたしは疲れ切ったような声で、ため息とともにそう言葉を漏らした。
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