最終話「ロストテクノロジーの遺産」

「────んぱい! 先輩!」


 遠くから聞こえてくる声に気づいて視線を送ると、影虎が手を振りながら走ってくるのが見えた。その手には例のペンダントが握られている。


「ペンダントありましたよ、先輩!」


 どうやら、あたしがパンドラの瞳と格闘しているあいだに見つかったようだ。

 別にもう見つからなくても良かったのだが──。


「ところで、さっきのすごい音って何だったんすか? こっちのほうから聞こえたようでしたけど……」


 そうか。あのパンドラの瞳が破壊された音で、影虎はあたしの存在に気づいたのか。


 この時、ふとある違和感を感じた。

 影虎が口から発している声は聞こえてくるが、心の声が聞こえてこないのだ。

 注意深く耳を傾けてみる。だが、やはり聞こえてこない。もう影虎の心の声は何も聞こえなくなっていた。


 周囲へも神経を集中してみたが、もはや他人の心の声はひとつも聞こえてこない。


(パンドラの瞳の効果が消えた……? 破壊されて効力を失ったのか? いや──。過去の資料から考えても、特定のタイミングで効果が消失することはわかっている。ただ単に自然と効果が消失しただけと考えるべきか……?)


 そんなことを考察していると、目の前まで走ってきた影虎が突然あたしの手首をつかんできた。


「ほら。手ェ出してください」

「ちょ……なにを────⁉」


 先ほど影虎の心を覗いてしまったせいで、妙に意識してしまう。

 すると影虎は、反対の手に持っていた例のペンダントを、あたしの手のひらに乗せてきたのだ。


「もう無くさないでくださいよ……って! うわぁあああっ⁉」


 あたしは影虎からペンダントを渡されるや否や、思いっきり振りかぶって、そのペンダントを目の前にある川の中心めがけて投げ飛ばした。


「ちょっと、何してるんすか⁉ 先輩が見つけて来いっていうから、せっかく苦労して見つけたのにっ……!」

「こうするために見つけに行かせたのよ」

「頭おかしいんじゃないっすか……?」


 いつもの影虎の反応だ。あたしは、つい嬉しくなって少しニヤつく。

 六時間もかけてようやく見つけたモノなのだから、川に投げ捨てられたらツッコみたくもなるだろう。

 だけど、あたしは知っている。

 影虎にとっても、そっちのほうが嬉しかったのだということを──。


「……なによ。あんただって、あたしがまえの男のモノを大事そうに持っているのなんて嫌なんじゃないの?」

「そ……そりゃ、もちろんそうっすけど……」


 何となく恥ずかしくて、それ以上は言葉が出てこなかった。

 赤くなった顔を見られたくなくて、そっぽを向いたあたしの姿は、影虎の目にどう映ったのだろうか。


 少しだけ、心地よい沈黙があたりを支配する。


 少し落ち着いてから、あたしは先ほど影虎が口にした質問を思いだした。すでに影虎だって巻き込まれているのだから知る権利はある。

 あたしは影虎に音の正体を正直にすべて話した。


「そういえば……さっき言っていた音なんだけど。あれ、パンドラの瞳を破壊したときの音だから」

「……え⁉ は……破壊したって……現れたんすか、あの石……?」

「ええ」


 あたしは遠くの空を眺めながら、感傷に浸るように言った。

「──あたし。もうパンドラの瞳の研究は放棄するから」

「……は? な、なんで……? もう壊しちゃったからっすか?」


 突然のことに驚いて、うろたえる影虎。

 だが、あたしの気持ちはもう変わらない。なぜなら──



「多分……アレはもう、あたしの目の前に姿を現すことはないから」



 そう──

 あたしは自分すらも騙していた影虎への気持ちを認めてしまった。

 もうこの気持ちに嘘をつくことはできない。

 そしてきっと影虎は、もっとずっと前からあたしだけを見てくれていたのだ。


「えぇ……? そ……それじゃ、もう……俺が先輩の彼氏役になれるって話は…………白紙……?」

「あ、あんなペンダントよりも……あたしが気に入るヤツ! 絶対に買ってよね──影虎がっ!」


 あたしは少し遠回しに影虎への想いを伝えた。こういった経験には疎いため、恥ずかしくてこれ以上ハッキリ言うことはできなかった。

 影虎は目を丸くしてあたしを見つめている。


「え……? それって、どういう……? け、契約は続行でいいんすか……?」

「……なによ? 契約解除してほしいの?」

「いや……そんなわけないじゃないっすか⁉」

「だったら余計なこと口にすんなよ!」


 少しでも強気な自分を見せていないと不安になる。それでも影虎だけは、そんなあたしについてきてくれる。

 こんなあたしを、ずっと好きでいてくれていたのだ。


 あたしの隣で、こっそり笑顔のガッツポーズを決める影虎。

 その姿を見て、ついあたしにも笑顔がうつる。


「ねぇ、影虎。今から帰っても面倒だから、このまま研究室に戻って仕事しない?」

「も、もちろん俺は全然いいっすよ!」

「前倒しで終わらせちゃえば、余った時間で遊びに行けるしね」

 そう言ったあと、あたしは柄にもなく勇気を振り絞ってみた。

「こ、今度……どこか、連れてってよ……」

「え……? 俺が先輩とデート……⁉ マ……マジで?」


 あたふたしている影虎も、かわいいかもしれない。


 多分これから先。あたしの心が影虎から離れることはないと思う。

 そして影虎も────。

 だからもうパンドラの瞳が、あたしの前に姿を現すことはないのだ。


「あのねぇ。いつまであたしのこと『名無ななしの権兵衛ごんべえ』みたいに扱ってんのよ。ちゃんと名前で呼んで」

「え……あの…………。と、冬華とうか……先輩?」

「ふふ。ま、今はそれで許してあげるわ」



 結局────


 あたしは、パンドラの瞳にまんまとしてやられたわけだ。

 素直になれないあたしの心が見透かされていた。


「それじゃ行きましょうか。影虎」

「は、はい! 冬華先輩!」







 ◇ ◆ ◇


 あの一件以来、あたしはパンドラの瞳の研究から手を引いた。

 当然、パンドラの瞳の消息は不明のままだ。

 時折、思いだしたかのように、パンドラの瞳を探して足元を眺める癖がついてしまったが──。


 破壊したパンドラの瞳が、どうなったのか。

 その能力を失い、今後もう二度と出現することはないのか。

 それとも復元して、いずれ再びこの世界にその姿を現すのか。


 その真実を、あたしが自分で知ることができないのは心残りだ。


 だが──

 恐らく人類で初めてパンドラの瞳を破壊したのは、紛れもないこのあたし。

 あたしが破壊したからこそ、のちにパンドラの瞳がどういう経緯をたどるのか、その答えを観測するという実験が成立するのだ。


 あたしはパンドラの瞳の研究を放棄したが、科学者のプライドに賭けてあれが神によってもたらされたものだとは思っていない。

 かつて地上に今でいう地球外生命がもたらした技術が色濃く反映していた時代があったのだとしても、そうではないとしても、それは結局のところあたしたちの知識が及ばない未知の領域における技術力として、古代に栄えていた文明の中にだけ存在していたということに他ならないのだと思っている。


 それがあたしの導き出せるパンドラの瞳における解の限界だった。


 だからあたしは自分がまとめたパンドラの瞳の研究論文とともに、未来に向けてメッセージを残したのだ。

 過去に都市伝説や小説といったさまざまな方法で、真実を後世に伝えようとした者たちがいたように────。


 あたしもその者たちと同様に、なにかを未来に残したかったのだ。











 § § § § § § § § § § § § §


 未来の全人類に告ぐ。



 パンドラの瞳は、このあたしが破壊した。

 これは時代を超越した壮大な共同プロジェクトの始まりでもあると言える。


 パンドラの瞳が復元して、なお人類の前に姿を現すのか。

 それとも二度とその姿を見せることはないのか。


 残念ながら、あたしにはそれを確認するすべがない。

 だからあたしの研究論文とともに、このメッセージを未来に残した。


 このメッセージを受けとった者の前に、もしパンドラの瞳が出現するようなことがあれば、もはやそれは人類の手にあまる『ロストテクノロジーの遺産』であると、このあたしの名のもとに断言する。



 語り部たちよ。その名を心に刻め────────

 あたしの名は『弓削ゆげ冬華とうか』。


 パンドラの瞳を破壊せし者。


 § § § § § § § § § § § § §











 弓削冬華が生きたその時代から、気が遠くなるような時間が過ぎ去り、たどりついたひとつの未来────


「ねぇ、ママ」

「なぁに? ヨシちゃん」


 どしゃ降りのなか、真っ赤な傘を差したひとりの女性が、まだ年端もいかない小さな子どもをつれて歩いていた。その手には『離婚届』と書かれた書類が確認できる。


「あそこで赤く光ってる変な石が、ママのこと呼んでるよ?」

「なにバカなこと言ってるの」

「だって……ほんとうに呼んでるんだもの」

「そんなわけないでしょ? ほら、さっさと帰るわよ」














 かつてパンドラの瞳がそうであったように、失われた技術とともに後世に残った未知の存在は、都市伝説や物語などさまざまなモノに姿形を変えて、人々の生活のなかに溶け込みながら我々の記憶に刻まれていく。

 だが、それが未知ではなかった時代。そこにあった日常の記憶は強烈に語り継がれなかったように、長い年月をかけてそれら特別な記憶もいずれは薄れ、失われていくのだ。



 まるで世界のすべてが輪廻のなかに存在しているかのように────。



 そして──

 それらは忘れ去ったころに、再び人類の前にその姿を現す。

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