第二話「関係」

 それからは忌まわしき教授が現れることもなく、影虎は黙々と仕事を続けている。

 だが、あたしはどうにも集中することができない。なぜなら、あたしの代わりに影虎が処罰の対象になってしまったからだ。

 もともとは、あたしが文庫本を手にして他所事よそごとを考えていたのが原因だが、普通は文庫本を持っていた程度で減給などあり得ない。ほぼ間違いなく、あたしが教授に楯突いたことによる処罰と考えていいだろう。


 そもそも影虎がいまだに助手などのポジションに甘んじているのは、こういった他人に対しての攻撃を代わりに被弾することを厭わない彼の性質にもあると思う。

 影虎が他の人間と決定的に違う部分──

 それは他人を陥れてまで自分の手柄を欲しないということ。そして自己犠牲の精神を当たり前のように持ち合わせているということだ。


 多くの人間は多少ズル賢いやり方をしてでも手柄を得ようとする。なんなら手柄を横取りしようとする者も当たり前のように存在している。

 そんななか、影虎は自分の手柄に対してびっくりするほど消極的なのだ。特にあたしの助手として配属されることは多かったが、馬鹿なんじゃないかというほど手柄を要求してこない。

 それどころか毎回毎回あたしの代わりに処罰を受けているため、肩書がすべてという日本の縦社会において、彼は最下層から這いあがってこれないのだ。


 研究における成果に対しても、彼は自分の手柄を無駄にアピールしないため、周囲からは『あたしを手伝っているだけの人』みたいに思われているが、実際にはかなり優秀であたしも助けられることは多い。

 あたしだって影虎のことは嫌いではない。できれば正当に評価されて欲しいと思っている。

 思わず苛立って、あたしは少し辛辣な言葉を口にしてしまった。


「そんなだから、あんたはいつまで経ってもあたしの助手なんかにまわされるのよ」

「いいっすよ、別に。先輩の助手なら」



 まったくコイツは何もわかってない。

 本来、影虎は助手なんてやっている器ではないのだ。あたしと同様、人々の先頭に立って指示を出す側の人間になれるだけの才能がある。彼が本気でアピールすれば、間違いなく優秀な人材として世界から評価されるというのに。


 地位や名誉を得るためには、まず世間に知らしめねばならない。自分という存在を──

 自分はここにいるのだと、その才能を世界に見せつけねばならないのだ。



「あんた。それだけの知識を持っておきながら、一生あたしの助手で終わるつもり?」

「それはそれでいいかも。ずっと先輩の助手でいられるなら俺、本望っす」

「……はあ────」

 あたしは額に手をあてて大きなため息をついた。


 影虎の気が抜けたような会話のおかげか、それから仕事に集中できるようになり、時間は刻々と過ぎていく。

 しばらくして影虎が机の上を片づけ始めながら、あたしに仕事の時間が終わっていることを告げてきた。


「先輩、もう定時過ぎてますよ。終わりましょ」

「ああ。もうそんな時間なんだ」


 いちど背伸びをして身体中の筋肉をほぐしてから、スマホの画面で時間を確認する。時刻は十九時十二分。確かに就業時間は過ぎている。

 あたしもキリがついたところで見切りをつけて書類などの片づけに移った。パソコンはまだ使う可能性があるので消さない。あくまで片づけるのは仕事関連のものだけ。


 あたしが机の上を片づけていると、先に片づけ終わった影虎が話しかけてきた。

「先輩。今日もこのあと例の都市伝説のやつ調べてから帰るんすか?」

「ええ。影虎は先に帰っちゃっていいわよ」

「……いえ。俺も付き合います」


 あたしがパンドラの瞳について調べ始めるようになってから、なぜかいっしょに残って時間をつぶすようになった影虎。意味がわからない。何をするでもなく、ただそこにいるのだ。

 たまに手伝えることがあればしてくれるが、基本的には天井を眺めたままぼーっとしている。


「ねえ、影虎。あんたやることなくて暇じゃないの?」

「……別に?」


 この脱力感。影虎が自分の時間を何に使おうがあたしの知ったことではないが、どうせならもっと有意義に使えばいいのにと思う。ただあたしも影虎がいてくれたほうが安心感はあるので、そういう意味では助かっている。


 あたしが机の上を片づけ終わると、まもなく影虎が夕食の買い出しを名乗りでた。すでに彼のルーティーンに組み込まれたらしい。


「先輩。夕飯は何がいいっすか? 買って来ますよ」

「そうねぇ。アメリカに売ってる本場のでっかいピザ買ってきて」

「無茶言わんでください。俺が歩いて行ける範囲内でお願いします」


 影虎は、からかい甲斐があって楽しい。

 あたしのジョークに対して怒るわけでもなく、無駄にジョークで返してくるわけでもない。絶妙に真面目なツッコミで、あたしのジョークを最大限に生かしてくれるところが好きなのだ。


 影虎とのコントに満足したあたしは、何事もなかったかのように話をもどす。

「だったら施設内にあるコンビニのお弁当にしましょうか」

「何にします?」

「影虎は?」

「……焼肉弁当?」

「じゃあ、あたしはペペロンチーノでいいわ」


 影虎が夕食を調達するために研究室から出ると、さっそくあたしはパンドラの瞳についての考察に着手した。

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