第四話「核心」
◇ ◆ ◇
まず山尾さんの辞職に関する相談。
実はこの相談自体は私と会うための口実であり、実際には私の意見に関わらず辞めるつもりでいたそうだ。
そして彼女が私に接触してきた本当の理由──
「……で? 私も辞めるように説得しようとしてたって……なんで?」
山尾さんは、少し緊張した面持ちで口を開いた。
「先輩は……捨て駒として考えられてますよ……」
「捨て駒? ……何の?」
「会社の、です……」
私は耳を疑ったが、これから会社を辞めようとしている彼女が、リスクを冒してまで私に嘘を吹き込む必要性が感じられない。
つまり──これが事実である可能性は高い。
「それって……社長の意向?」
「……はい」
山尾さんが話を続ける。
「最近、特にお金になりそうなクライアント……というかターゲットを見つけたみたいなんですけど、先輩にその取引相手をさせようと企んでました」
「ふぅん……」
「目的はその人が所有している名画です。最近その彼がNFTアートにのめり込んでいるという情報を入手した社長が、少し前から目をつけて展開していたNFTアートのビジネスによる果実をチラつかせて、彼の持っている実物の絵画を奪い取るつもりでいます」
「NFTアートのビジネス?」
「先輩は関わっていませんでしたが、もともとは二次売買を利用して儲けるつもりで、少し前からステマや印象操作、サクラによる架空売買などを駆使して値段を釣り上げていた、自社の不正NFTアートがいくつもあるんですよ。そのひとつを彼の絵画以上の価値に釣り上げてから、交換の取引に利用しようと計画しているんです」
「相変わらず考えることがゲスいわね」
「ですね……」
「バレなきゃオッケー、バレたら私を生贄にして知らんぷり……か」
確かに、あの社長ならやりかねないが────
「でも私が実行したとしても計画したのは会社だし、罪の大半は会社側ってことになるんじゃないの? 巻き込まれそうになったら私も会社を訴えるし」
「もし警察が接触してきたら、先輩の独断という設定にして、すべての罪を先輩に背負わせる気でいますよ」
「無理でしょ……いくらなんでも」
「とんでもないこと考えてますよ、あの社長。権力による隠ぺいに対して、わたしたちみたいな何の影響力もない人間は太刀打ちなんてできません。間違いなく先輩の意見なんて、もみ消されてなかったことにされちゃいますよ……」
会社にとっての私は、いつでも生贄にできる都合のいい駒だったってわけか。
これまで文句も言わずに尽くしてきたのに、目先に見えた金のために私を切り捨てるつもりでいるなら、こっちにも考えがある。
「わかったわ。ありがと。辞職については考えておくわね。だけど私にこの話をリークして、あなたに何か得でもあるの?」
「わたし……先輩には悲しい思いをして欲しくないんです」
また違和感のある回答だ。彼女と私は、そんなに親しかったわけじゃない。ただの同僚──それ以上でも、以下でもななかったはず。
「それよ、それ。なんであんたが私のことをそんなに特別視しているのか、まったくわからないんだけど?」
すると山尾さんは暗い表情に変わって語り始めた。
「……先輩だけだったんですよ。社内で唯一、あの仕事に嫌悪感を示していたの」
「どういうこと?」
「わたしたちの仕事って、歩合制みたいなところもあるじゃないですか?」
「……そうね。成功報酬がメインで、基本給なんて子供の小遣い程度だしね」
「誰も口には出してませんけど、先輩以外はみんな成功報酬に目が眩んでいて……」
「私だって目が眩んでいるわよ。だから辞めずに続けているんでしょ、こんなクソみたいな仕事」
そう──
私も大勢の人間を陥れてきた。他人が不幸になることがわかっていて実行し、その代償に自分がお金を手に入れてきたのだ。
すると山尾さんは、言葉を荒げながら反論してきた。
「そうじゃないんです! みんな心の中で言っているんですよ……。契約してくれない取引先の愚痴や文句。嫌々ながらやっている先輩と違って、あいつら根っから救いようがないんです!」
「まあ……私だって正直、自分じゃ似たようなものだと思っているけど……。こんな
仕事ばかりさせられているとね……みんな心が腐っていくのよ。そのうち罪悪感なんて感じなくなって……知らない間に善悪の判断なんて出来なくなってくる──」
そして私は付け加えるように言った。
「──だから、まだ人の心が残っているうちに、あなたには辞めれるなら辞めて欲しいって……そう思ったのよ」
少し沈黙してから、彼女は下唇を噛みしめて涙ながらに答えた。
「わかってます……。きっとこれはアレが見せている歪んだ現実……。本当はわたしが思っているほど、先輩とあいつらに特別な差があるわけじゃないって理屈ではわかっているんですよ……。みんな同じ人間だってわかってます……。それでも──わたしにとって違ったんですよ! 先輩とあいつらは違う……! 聞こえてくる声は嘘をついていなくて……先輩だけがわたしのこと心配してくれていて……」
あふれだした涙を腕で拭いながら、必死に訴える山尾さんの姿。それは少なくとも私を動揺させ、同時に彼女が本気であることを伝えているように見えた。
なぜ彼女がここまでムキになって私だけを肯定するのかもわからないし、私はそんな人に慕われるほど出来た人間ではない。だが正直これまで存在を肯定されるようなこともなかったから、彼女の言葉は少し嬉しかった。
だから私は、彼女の言葉を素直に受け取ることにしたのだ。
「……わかったわ。そう言ってもらえるのは、私も嬉しいしね」
山尾さんの話では、他人の心の声が聞こえるようになったのは、本当につい昨日のことだったという。
突然私に「仕事の相談に乗って欲しい」と、青ざめた顔をして言ってきたのも昨日だった。同僚全員の心の内側にある闇を知ったことで、これまでは割りきれていたものが割りきれなくなってしまったそうだ。
少し湿っぽい話になってしまったので、私は次の話題へと切り換えた。
「……さて、それじゃ次。『ユゲートカとパンドラの瞳』の秘密について教えてもらおうかしら?」
「……はい。あ……でも、半分はわたしの憶測が混じってますけど……それでも構いませんかね……?」
「もちろんいいわ。聞かせてちょうだい」
ユゲートカとパンドラの瞳────。
私たちの世界に伝わる有名な神話『エルド神話』に登場するエピソードのひとつ。
エルド神話は大勢の神々が登場する物語で、彼らにまつわる多数のエピソードによって構成されている。
ユゲートカもエルド神話に登場する神々のひとりとされているが、彼女が登場するのは第四章の『ユゲートカとパンドラの瞳』というエピソードだけである。
この物語に登場する『パンドラの瞳』というアイテム。
赤い宝石のような形をした妖しい光を放つ石の名称で、神々の持つアーティファクトのひとつとされている。
神話によると、パンドラの瞳を手にした者は、世界の闇を知ることになるという。それまでは見えていなかったはずの大きな絶望の渦。
それは悪意であったり、憎悪であったり、さまざまな方法で手にした者に闇を見せてくるのだと言われている。
そして、その絶望と引きかえに手にすることができるのが、たったひとつの希望だと言われているのだ。
ユゲートカはその希望の正体を知ったことで、パンドラの瞳を独占しようとした。そしてそれが叶わないと知ったユゲートカは、パンドラの瞳を破壊してしまったのだ。
そのことを知った神々の王が激怒し、彼女を永遠の地獄に堕とす──というストーリー。
山尾さんは少し楽しそうに語り始める。
「わたしも神話は結構好きなので、いろいろと知識はあるほうだと思います。そして先輩と同じように、エルド神話にある『ユゲートカとパンドラの瞳』には違和感を持っていました」
「やっぱり……どこかおかしいわよね。あの話」
すると山尾さんは、自信に満ちた表情に変わって言った。
「その違和感の正体は『ユゲートカとパンドラの瞳』のエピソードだけが、物語全体から独立して浮いているからですよ。そして──その理由はあの話だけがあとから別の誰かの手によって付け加えられたものだからです」
それは私も考えた。
だが証明できないのだ。
すると山尾さんは、少し遠慮するような仕草で言った。
「わたし──。それを証明する証拠……持ってます」
「……は? 証拠を…………持ってる?」
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