第23話グノーシスの楽しい日々(1)

トノール家の三男、グノーシス・トノール。


グノーシスが産まれた時、トノール辺境伯爵と伯爵夫人を二つの災難が襲った。


一つ目は、今度こそ女の子が欲しかったが、産まれたのはまたしても男子だった。

既に長男と次男に恵まれていたので、周辺の貴族派との繋がりを強固にするため、女の子を産み嫁がせる算段が狂った。


二つ目は、この産まれた三男が醜かったことだ。


三男は死なない程度の養育で必要最低限の関わりを持って育てられる。

せめて知識だけでもつければなんとか生きていけるだろうと、グノーシス(知識)と名付けられた。


幸いなことに、三男が生まれた翌々年には可愛い可愛い長女が産まれたので、すぐに三男から手を離した。


トノール家の将来を任された長男と、その補佐の次男。

愛くるしい長女。

グノーシスが関心を寄せられることはなかった。


トノール家といえば、いくつもの山々を保有し、宝石事業では頭ひとつ抜きん出た富豪だ。

湯水の如く使う金は、関心のないグノーシスですら自由に勉学に励むことが可能で

怠惰な兄妹たちと違い、名前の通り多くの時間を勉強に費やした。


ふと、トノール家が管理する領地の税収が気になったのが12歳の頃。

周辺貴族と照らし合わせてみても、圧倒的な差があった。

どう見ても暴利ではないか。


父に意見してみると、傲慢だと殴られた。

じんじんする頬を押さえ、ぼたぼたと落ちる鼻血を眺めた。

それを見て、兄と妹は笑っていた。


いや、嘲笑っていた。



(なるほど、私が愚かだからいけないのだな。もっと勉強して父のことが分からなければいけない)


グノーシスはどんどん勉強した。


勉強すればするほど、課税額が、領地の運営がおかしなことに気づく。


(どうやっても、どう考えても割に合わないなあ)


愚かな私にどうしてなのか教えて欲しいと父に頼み込んだのが16歳。

今度は二発殴られた。

20を超えた長兄に領主としての仕事を教えていたが一向にやる気を起こさないので父は苛々していることも多かった。

次男も次男で夜会に参加しては朝帰りして女遊びが盛んだった。


そんな兄二人を見ていた妹は早々に縁談を取りまとめ、13歳で婚約した。

伯爵令息との婚約で、両親は当人よりも浮かれていたのを覚えている。


しかし、そこからトノール家を不幸が襲う。

グノーシスが20歳の頃、妹の許嫁が失踪して大騒ぎとなった。

結局、どこかの子爵令嬢と駆け落ちしたらしい。

行方は未だに分かっていない。


妹は次第にパーティにも行かなくなり塞ぎ込む様になった。


長男も次男も自堕落な生活を送っていたが両親は咎めることもなく、無駄な時間ばかりが過ぎていった。


妹が不憫で可哀想だったが、部屋に入ることは両親から禁じられていたのでグノーシスは時折窓から花を摘んできて渡したり、流行りの菓子を渡したり話し相手になった。


しかし、それもある日、両親の知れるところとなり大いに叱られた。

塞ぎ込んでいる娘にお前の容姿は毒以外の何でもないと罵られた。

殴られ蹴られしている内に、どうしてそこまで考えが至らなかったのだろうかと自分を責めた。

妹にも両親にも申し訳ないことをした、と。


妹の部屋がある窓辺に近づくこともなくなった。

ただ、どうしているだろうと気を揉む日々が過ぎた。


二年が過ぎた頃、妹が突然部屋から出てきた。

パーティに呼ばれたから行くと言うのだ。

今までも沢山の招待状が届いていたがこの二年見向きもしなかったのに、ある招待状を見ていたら外に出たくなったと言うのだ。


久しぶりにおめかしする妹に両親は涙ながら送り出した。

グノーシスも心からホッとした。


夜、夢心地の様な妹が帰宅するとその日あったことを話し始める。

なんでも、公爵令息に気に入られ求婚されたのだそうだ。


天にも舞い上がる様な妹の気分を次男が叩き落とした。

多分それは、息を吐く様に女を口説く下衆のような男だからやめておけと。

そこから泥沼の喧嘩となった。

父はオロオロとし、母は泣くばかり、長兄は入浴中。

使用人はもちろん下手に止めに入って怪我をさせては一大事と見ているだけだったので

グノーシスが止めに入ったら、髪の毛を二束ほど抜かれた。


そこでようやく喧嘩は収まったが、妹のドレスは破れていた。

両親はグノーシスに、なぜもっと丁寧に止めなかったのか責めたので、自身の不甲斐なさに涙が溢れた。


次のパーティに張り切って臨んだ妹が心配でグノーシスはこっそりとついて行った。


妹は一人の麗しい令息に近づいて何やら話していたので、グノーシスは目を凝らす。

かの令息はあいつか、と。


明らかに動揺する令息と詰め寄る妹がいた。


首を傾げる令息は皆に聞こえるように言った。

『本日は私どもの婚約が成立したことをお伝えしたく…』

そう言って連れてきた令嬢は見たこともない年上の女性だった。


妹はよろめき、項垂れ、逃げる様に去っていった。


帰ると泣きはらした妹が次男に笑われていた。

長男は興味がなさそうにしている。

両親ははらはらしながら見ている


その日の夜だ、妹は美しい髪をハサミで切った。

両親はもちろん兄弟も発狂した。


後日、かの令息の使いが来て言った。

今後この様なことはされますな、これはお返しする、と。

手渡された小包を開けると、妹の髪の毛が入っているではないか。

そこで父と母は、二度も婚約が叶わなかったのは妹に原因があると考えた。

もういっそ嫁がせることは諦めるか。

髪の毛が生え揃うまで何年も時間がかかることを考えると、暗澹たる気持ちだったようだ。


妹はザンバラ髪をショートに整え、懲りずにパーティに参加した。

そこで出会ったのは男爵令息。

格下相手の婚約だったが二度の騒ぎを考えると、嫁に行けるだけマシだと思った両親は反対しなかった。

妹は適齢期ギリギリの25歳のことだった。

三度目の正直で婚約まで漕ぎ着けたのも束の間。


世界中の宝石が、石となってしまった。

宝石事業が主な収入源であるトノール領が一気に傾く。

グノーシスは父に掛け合って、今だけでも税収を下げるよう直談判したが耳を貸さなかった。

領民が貧困に喘ぐのに時間はかからなかった。


翌年、大神官様が祈りを捧げるとティアナ様という聖女が現れた。

ティアナ様が泉に祈りを捧げたのを知り、父と長男は自ら領民を山に駆り出した。

領民は痩せ細り、足元はおぼつかない。

グノーシスは民を励まして謝りして回った。


民の中の一人が言った。

連日の雨ですぐに掘り出すのは危ないこと、宝石が戻っている確証がないことから危険だと。


長男はその民を殴った。

やらなければ、来年度は税を二倍にすると。

その言葉にしぶしぶ作業が始まる。

駕籠を用意して、高みの見物がしたい母は妹も連れ出した。

一番初めに掘り出された原石を削り出して、結婚式に使おうと意気揚々楽しげに話している。


すると、どこからか轟音が聞こえる。

危ない、逃げろ、落石だ!

そんな声がすると狭い山道で人々は我先にと走り出していった。

大きな大きな岩は真っ先に駕籠を押し潰した。

人々は道から溢れていく。

父と兄は固まっていた。

グノーシスは父と兄を助けようと手を伸ばす。

そこで飛んできた石が顔を切った。


結局、何の因果かトノール家はグノーシスと次男を除き皆死んでしまった。

あれだけ結婚を楽しみにしていた妹も逝ってしまった。

領民は怪我人が出たものの、死者は出なかった。


領主の仕事が一切分からない次男は、父がいなければ何も言えなくなっていた。

自身に素質がないことくらいずっと前から分かっていたようだ。



こうして何も期待されなかったグノーシス・トノールは伯爵となる。

次男はトノール領の端の端、それでも大きなお屋敷で、今もひっそり暮らしている。

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