第40話外伝


「今日、夕食の後、少し良いかい?」

ある日の午後、執務室に向かう途中でエリオル王太子に呼び止められた。

「ええ、特に予定はありませんが」

エリオル王太子はにっと笑うと足速に歩いて行った。


(お仕事、大変そうだな)


颯爽と歩く長い足が止まったかと思うと、くるっと踵を返して戻ってきた。

「?」

ちゅ、とおでこに柔らかいものが触れる。


「うむ…」

「なんですか、いきなり」

「いや、全然足りないと思ってな」

「足りてます!足りてますよ!もう充分すぎます!」

ブンブンと首を振った。

(廊下で突然やめて!!)

ドキドキと鼓動が高鳴る。


「僕は足りないのだ。食前酒を飲まされてお終いでは満たされないだろう?」

「どう言う理屈ですか、それ」

「ああもう!なぜ嫌がる!夫婦だろう!」

「二人きりなら良いですけど、見てください!ここは廊下ですよ!」

と言ってハッとした。

エリオル王太子はニコニコしている。


「なるほどなるほど、二人きりなら存分に楽しんで良いわけだ」

言うなり、ひょいと私を持ち上げた。

一見線が細いように見えて、鍛えられた身体に軽々とお姫様抱っこされてしまう。

じたじたもがいている内にヒールが脱げた。

私を抱っこしたまま、それを拾い上げて立ち上がったので(そんな簡単に!?)と思うと鼓動の速さに息が苦しくなる。


「ちゃんと捕まっていろ」


そうして、私は連れ去られる。


「お仕事中ではないのですか!?」

「ユーナが悪い」

(ひどい!)


寝室に入ると、温もりが消えたベッドの上に座らされた。

「…ユーナは、僕が触れるといちいち反応するな」

「だ、だって…恥ずかしいし…」

ごにょごにょと小声で言うと

「ふうん?」

僅かな軋みも感じられない柔らかなベッドに膝をついて、ほのかに体重をかけられる。

そうなるともう、私に抵抗するという選択肢は排除される。

寝転がるばかりの私の顔まわりの髪の毛を愛おしそうに手櫛で整えられた。

エリオル王太子の顔が近づいてきた時、

コンコンというノックが聞こえた。


「恐れ入りますが、宰相との会議は如何されますか」


はーっとため息をついて、顔に手を当てて答える。

「すまない、すぐにいく」

その声は僅かにうわずっている。

「最近、弛んでいるな…ユーナを見ると欲しくなる」

切なく、潤んだ瞳だ。


「…申し訳ありません」

「見境がないのは僕だ。どうかしている。言い方が悪くてすまない、君は悪くない」

立てるかい、と言うと肩を抱いてくれた。

くちづけを交わすと、ほのかに甘い味がした。

「行ってくる」

「はい。食後のお約束、楽しみにしています」


そして、名残惜しそうに、パタンと静かにドアが閉じられた。



(約束と言っても、具体的に何をするのか聞いてなかった…)


近頃のエリオル王太子は、少しだけ変だ。

時々熱っぽい視線を注がれる。

風邪でも引いたのでは、と侍女に聞いたところ「新婚だからでしょう」と言われた。



夜、それはそれは美味しい夕食が終わる。

「海老が美味しかったですね〜」

「うむ、そういえば久しぶりに海老を食べたな」

すぐにコーヒーが運ばれてきた。


「ところで、夕食後のお約束ですが…」

「ああ、少し待ってくれるかい」

席を立ちどこかに行ってしまった。

コーヒーを一口啜ると、エリオル王太子はすぐに戻ってきた。


その手には沢山のピンクのバラ。

「ユーナ、これを」

「え、え!!?ありがとうございます。でも、どうして?」

「今日で我々は結婚して3ヶ月だぞ」

「あ…」

「喜んでくれるかい?」

「嬉しいです。…なぜ今度はピンクのバラなのか聞いても?」

「結婚して、君は王太子妃に相応しくなろうと努力した。立ち姿から溢れる品性に驚く。まあ、僕と話す時のざっくばらんさは相変わらずだけどな」

くくく、と笑っている。

「もう」と言うと「まあ、そこが良いのだけど」と言われた。

「だが、やっぱり君はとても可愛らしいんだ。いつまで経っても、どんなに上品になろうと、ユーナの可愛さがたまらなく好きなんだ」

そんなことを言われると、思いっきり照れてしまう。


(記念日…私に何ができるだろう)


刺繍したハンカチをお渡しした事があったけれど、使っているところを見た事がない。

でも、私にできることといえばそれくらいだ。


よし!と意気込んで夜着に刺繍することにした。


翌朝、侍女にお願いしてエリオル王太子の夜着を持ってきてもらった。


(動物とか刺繍したいところだけど…男性だし、イニシャルを飾り文字で…)

ちくちくと一針一針に想いを込める。

どうか、心地よい睡眠がもたらされるように…そんな気持ちで。


目が疲れてきゅっと瞑って開くと、ピンクのバラが窓辺で光を一身に受けているのが視界に飛び込んだ。

黄色い薔薇と赤い薔薇が、その隣でピンクの薔薇に負けずに瑞々しく咲いている。『きっとなかなか枯れないぞ』という言葉は、本当だった。

出会って間もない頃の思い出に、心がほぐれる。


うん、と伸びをしてまた作業に戻った。


細かい作業に目の前が薄ぼんやりとし始めたが、日が傾く頃には完成した。

(完成してから思ったけれど、もし気に入らなかったらどうしよう…)


夕餉の時間もドキドキして、なかなか食が進まない。

「?どうかしたかい、君が美味しいと言っていたから今日も海老みたいだぞ。嬉しいじゃないか」

「とっても美味しいです…」


なんとか食事を終えると、ミルクティーが運ばれてきた。

「ふう、今日は少し疲れたな…」

「あのう…お疲れのところ申し訳ありません。ちょっと良いですか?」

「ああ、どうかしたかい?」


持っていたカップをそっと置く。

こっそり横の席に隠しておいた夜着を「これを」と言って渡した。


「これは僕の夜着だが…」

「ポッケ…ポケットの所を見てください」

畳まれていた服を広げるとエリオル王太子は、その手を止めてじっと見つめている。

「あ、勝手なことをして申し訳ありませんでした!その、私も記念日のプレゼントを渡したくて…」

骨っぽい手で、ぎゅうと服に力が込められ、ぽすんと顔をそこに埋めた。

しばらくすると、僅かに上げられた顔が覗く。

「ありがとう…嬉しいよ…」

「え?」

「すまない、嬉しくて叫びそうになってしまって必死に堪えた」

「そうなのですか?前に差し上げた刺繍のハンカチも使っている所を見た事がないし…」

「違う!勿体無くて!…あ……」

言ってしまったとばかりに赤くなる。まるで頭から蒸気が出ているみたいだ。

こほんと咳払いすると

「ならこれは毎日着る」

「ちゃんと交換して洗ってください」

「許可しろ」

「それは困ります。お嫌でなければ、お持ちの夜着に刺繍をしますから」

「なら良い」


ふふふ、と笑うエリオル王太子はぽつりと呟く。

それは聞こえないほど小さい声だったけれど、確かに聞こえた。

「幸せだ」

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【完結】親友と2人で異世界に召喚されました〜聖女は譲らないと言われても王太子が私を離してくれません〜 あずあず @nitroxtokyo

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