第16話いざ神殿へ
「エリオル王子…目が…?」
「父上に言ったらな、なんて言ったと思う。『命まで取られなくて良かったな』とさ」
穏やかな笑顔とゆったりとした声だ。
我慢していた涙が溢れてくる。
((泣かしたか?なるべく明るく言ったつもりだったが、難しいなあ))
優奈はぐいと袖で涙を拭った。
「エ、エリオル王子は全く危機管理能力がないんですから。お茶なんか飲まなきゃ良かったんです」
「ははっやられたよなぁ」
((まあ、ユーナがこんなにならなくて良かった。ハナマルだ))
「私は嫌です。こんな…ことになって」
「すまないなあ。薔薇は少しだけ待ってくれるかい」
「そんなに長くは待ちませんからね。とっとと治ってください」
「厳しいなあ」
ふっとエリオル王子は笑って薄く目を開けたが、その瞳に光はなかった。
居た堪れなくなって、私は決意を口にした。
「私、今日から神殿に行って力をコントロールできるようになります。もっともっと自分の力を引き出して、できる限りのことをしてきます。だから…」
「頑張れよ」
((側に居ろよ、少しで良いから))
エリオル王子の左手は空を掻いた。
((どこにも行くな))
私はその手を取った。
「ちゃんと口で言う約束は?」
「聞こえたか?僕のわがままが」
「もう!」
エリオル王子はぐいと手を引っ張った。
「…行くな。行くなよ。ここに居てくれ。ユーナ。頼むから…」
ぎゅうと胸に抱かれる。
暫くしてエリオル王子は眠りについた。
私は静かに部屋を辞去した。
応接室に戻ると、昨日の面々が座っていた。
当然そこにエリオル王子だけがいないのが分かって、胸の苦しさを覚える。
「ユーナ、行ってきてくれたか。エリオルは喜んだだろう」
国王の言葉に視線が集まった。
「今、エリオルの意識が戻ったと説明したところだ」
(目が見えないことは言っていないみたいね)
「掛けなさい」と促されて着座した。
「あの、国王陛下…私はこの後神殿に行こうと思います」
国王は頷いた。
「…私は行かない」
花梨が言うと明らかにグノーシス伯爵は焦った。
「カリン!君だけの問題ではないのだぞ」
「はあ?私には関係ない。王子のことも、この世界のことも。伯爵、アンタのこともね」
腕を組んでぷいとそっぽを向いた。
「ふむ、カリンはいつから精霊の声が聞こえるのだ?グノーシスは知らなかったのだろう?」
国王は柔らかく質問した。
「1ヶ月くらい前からです。会議室で火をつけた日の夜」
グノーシス伯爵は狼狽した様子で聞く。
「…なんということだ…なぜ教えてくれなかった」
「なぜ教える必要が?」
「カリン…」
「私、ティアナの気持ち分かる」
「花梨、今なんて?」
「あんた達の都合でこの世界に飛ばされて、今までの人生を奪われた。私は優奈みたいにお利口じゃないから。何か力が使えるなら、私は自分の為に使うわ」
『カリンを妻にするのはごめんだ』
馬車の中で聞いた王子の心の声は、花梨の気持ちを見抜いたからか。
「…そうか。私は止めんよ」
「国王陛下…!!」
「グノーシスよ、この世界に来てティアナはどうなった」
グノーシス伯爵はそっと顔の傷を撫でた。
「ティアナ嬢は社交界でそれは人気がありますぞ…」
「見てくれだけの人気じゃろうて。ティアナの嫉妬は醜いぞ。未だにエリオルに執着しておるからな」
「え…?」
「狂っておるよ。…この世界の歪みを異世界の者に正してもらうことで成り立つ平和とは、なんじゃろうの」
国王の言葉にその場の全員が黙り込んだ。
私は今なら聞けるかもしれないと、国王に疑問をぶつけた。
「国王やエリオル王子の言葉と、私たちの状況には明らかな乖離がありますよね。非人道的な手段で異世界の女性を呼んでおきながら、お二人からは憐れみの様な気持ちが感じられます」
「そうじゃなあ、できることなら自分たちで解決すべきだからな」
「しかし、お二人は世界を半ば諦めているかのように見えます」
「痛いところを…ついてくるな」
「ユーナ嬢、お気持ちは分かりますが今国王は…王太子様が大変な時にあまり責められますな」
グノーシス伯爵が私を窘めた。
「いや、良いのだ。彼女らは我々に問いただす資格があるじゃろうからな」
ふぅとため息を吐いて、椅子に深くもたれた。
「君たちの世界ではどうだろうかな。王が絶対君主かね」
「いえ、私たちの世界では身分制度がずいぶん昔に廃止されましたから」
目を大きく開く国王。
「それは、驚いたな。本当にその様な世界が可能なら一度見てみたいなあ」
「そうか」と小さく言って遠い目になった。
「この国ではなあ、政神分離と言って政治の分野は国が、信仰の分野は神殿が執り行っておって、それぞれの分野の干渉を禁じられておる」
「聖女を呼んだのは大神官、神殿の方ですよね。つまり聖女を呼ぶことについて口出しはできないと?」
「そういうことじゃな。あいつらは呼ぶだけ呼ぶが、後のことは国に丸投げじゃがな。後見人の手続きなんかは国の管轄なのでな」
腑に落ちない。
モヤモヤした気持ちを察したらしい国王は言った。
「まあ、神殿を見てくると良い。神官の奴らはいけすかんが、力をいつまでもそのままにしていくわけにもいかんじゃろうし。あまり怖がらずに行ってくるが良いぞ」
そう言って窓を指した。
見ると窓の先に大きな時計塔がある。
(あそこがそうなのか)
私は張り付く喉に唾を飲み込んで、自分の緊張を確かに感じた。
暫くしてやって来た執事が私を神殿の入り口まで案内してくれた。
王宮の隣の神殿。
だが、確かにお互いの距離を感じさせるには十分すぎるくらいに大きく分厚い壁が間に建てられている。
「私はここまでとさせて頂きます」
「あ、ありがとうございます」
執事は軽く会釈をし、元来た道を歩いていった。
私は前に向き直り、扉に触れようと手を伸ばすとひとりでに開いたので前のめりに躓く。
「ユーナ様でいらっしゃいますね。こちらへ」
白い服を着た男が突然声をかけてきたので、心臓が跳ね上がった。
「あ、あの」
(なんで来ること知ってんの!?)
「まずは大神官様の所へ。案内しましょう」
淡々とした口調でそう言って、男はガラスドームの温室の中をすいすいと進んでいく。私は必死に後に続いた。
男の白い服は、歩むたびにふんわりと空気を孕む。
その肩に青い鳥がとまった。
男は少しだけ立ち止まって、木の枝に鳥を戻してやっている。
見ると、小鳥が飛び交うなんとも美しい場所だった。
暫く歩くと、大きな扉の前に出た。
嵌まった石板に向かって男が手をかざすと青く光る。
「大神官様、ユーナ様をお連れしました」
(インターホンみたい…)
目の前の扉が開かれた。
差し込む眩い光。
(めっちゃ怖い人だったらどうしよう…いや、挫けちゃダメだ!エリオル王子の目が見えない今、私はできる事を少しでもしなきゃ!)
案内の男が両手を前に組んでお辞儀をしたので、私も頭を下げて早口で言う。
「失礼します!ユーナと申します!」
「ダッ!だぅ!ばっ!」
(ん?)
私は顔をあげる。
これは…
「赤ちゃん、ですか?」
男は答える。
「赤ちゃんだ」
「大神官様はどこに…?」
「あの赤ちゃんが大神官様だ」
「はい!!?」
赤ちゃんに大神官が務まるわけがない。
「ヘイリー、揶揄うのはよしなさい。お前はいつもそうだ」
目の前の赤ちゃんは流暢に話した。
「ユーナ、歓迎しよう」
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