第一節:乱暴な『おむかえ』に、フィーリアは決別を決意する。

第34話 いつもの朝、招かれざる来客



「うーん。今日はお洗濯、しない方が良いでしょうか……」


 家の外。井戸の水で顔を洗って目を覚ましてから、空に昇った太陽を見上げ呟いた。

 天気のいい日もあれば、当然良くない日も存在する。最近は比較的天気がいい日が続いたが、今日は太陽に光の輪が掛かっている。


 たしかあれは昔、実家の領地に居た時にお母様が教えてくれた雨降りの前兆だった筈。

 今日も仕事で『ネィライ』に行く。その間に雨が降ってしまったら、せっかく洗濯をして干していてもまたやり直しになるだろう。


「今日は止めておきましょうか」


 誰に言うでもなくそう言った。

 代わりに朝の空いた時間に、少し手の込んだ晩御飯の仕込みでもしようか。先日野菜を売っているおばさんから「煮物は作り置きしておいた方が味が染みて美味しいのだ」と教えてもらったのである。


 ディーダもノインも野菜を食べない訳ではないけれど、それ程好んで食べている風でもない。二人とも、油滴るような肉と濃い味が好きな傾向にある。

 けれどそれは、あまり体に良くなさそうだ。彼らの健やかな成長を思えば他の方法で何とかしたいと、前々から少し思っていた。


「うん、試しに一度やってみましょう」


 頑張るぞ、と心を決めて、まだ二人が眠っている住処の中へと入る。

 最初こそ早く起きて動く私が出す物音にモゾリと寝返りを打っていたけれど、最近は少し慣れたのか、よほどの音を出さなければ二人とも眠そうな顔で私を睨んでくるような事もなくなった。


 淡いグリーンのワンピースの上から、簡素なエプロンを付ける。バイグルフさんから頂いた端切れを縫い合わせて作った手作りで、お気に入りの服を汚さないためのものである。


 朝ごはんは、昨日買ってちぎり水につけておいたレタスに、目玉焼きをパンに挟んだサンドイッチ。あらかじめ作っておいたソースを付けるとして、あとはスープだ。

 それとは別に、煮物も作ろう。トントン、コトコトという控えめな音を立てながら、そちらの方の準備も進める。


 薪で火を起こす事にも、もうすっかり慣れている。料理の手際も以前より、心なしか良くなったような気がしている。

 そして何より、どんな顔でこれを食べるのか、二人の姿を想像しながら作る料理は楽しくもある。段々鼻歌交じりにもなる。


 火にかけた鍋に、ちょうど野菜を入れて肉を入れて調味料も投入した。

 おばさんに聞いた『おとしぶた』という物をした時だ。背中越しにゴソリと何かが動いたような気配がする。


「んー……」

「おはようございます、ノイン」


 上半身を床から起こした彼に言えば、第一声で「なんかお腹減った」と言われた。思わずフフフッと笑いながら「今日は晩御飯の仕込みをしているからですかね」と答えておく。


「顔を洗ってきたら朝食にしましょう。目玉焼きを焼いておくので、ちゃんと顔を洗ってきてくださいね」

「ん」


 朝が苦手らしいノインは、起きがけはいつもより少しだけ素直だ。

 頷いたのか、ただの掛け声じみたものだったのか、声と共に彼はのそりと立ち上がった。

 少々おぼつかない足取りでいつものように井戸を目指す後ろ姿の、ピョコンピョコンと跳ねる寝癖が微笑ましい――などと思っていたところ、道すがら彼はバッチリとディーダのどこかしらを踏んだようである。


「ぐえっ」


 起きがけの第一声に潰れたカエルのような奇声を上げさせられた彼は、腹を抱えて上半身をむくっと起こす。朝っぱらから「てめぇノイン!」と噛みついて、追いかけて彼も井戸へと向かった。

 いつもの朝だ。


 いつものように顔を洗えば、寝ぼけたノインも目を覚ますだろう。

 戻ってきた二人のためにと、私は火にかけてた新しいプライパンの上に油を引いて卵を割った。


 ◆◆◆


 鼻歌交じりに店の棚の整理をしているのは、今日は一日バイグルフさんが店に来ないと知っているからだ。

 お客様やバイグルフさんが居る時は恥ずかしいので封印しているのだけれど、今室内には誰も居ない。ふんふんふーん、とどこかで聞き馴染んだメロディーを鼻でハミングしながら、はたきでパタパタと布の棚を掃除していく。


「それにしてもバイグルフさん、良い目利きなのよねぇ。一昨日入荷したこの布も、とても綺麗に染色されてて……」


 今日も色とりどりな棚の布たちを眺めながら、そんな事を考えた。

 色ムラがなく染められているというのは、どうやら生地そのものの質と同じくらい、布にとっては重要らしい。


 実際についている値札を見れば一目瞭然だし、たしかに街中を見れば使われている色は色ムラが目立つものもかなり多い。

 思えば貴族時代に来ていた服たちは、全て綺麗に染まっていた。

 もちろん中にはグラデーションや部分的な色付けをしているものもあったけれど、やはり意図してやっているだけあって、そういう品は綺麗なのだ。やはり見え方が違う。


 おそらく置かれている環境にもよって品質にも変化が見えるのだろうが、よく見れば色褪せないような商品の配置や陰干しなどの定期的な商品への配慮など、随所に布を大切にしているところが見られる。

 彼は「陰干しやら何やらと、金にもならない手間を先代が『やれやれやれやれ』煩くってな」と笑っていたけれど、その手の作業が結局彼にも習慣付いているのだから、やはり彼も何だかんだで『お金にもならない習慣を丁寧に続けているマメな人』なのだ。

 私はそこに、布屋としての欣嗣を感じる。


 そういう所で働けて嬉しい。

 そう思えば、鼻歌にも一層の力が入るというもので――。


 カランカランと、ドアベルが鳴った。振り返り「いらっしゃいませ」と言おうとする。

 今日は、いつもと変わらぬ朝だった。少々天気は悪いけれど、それでも今日も穏やかで楽しい一日になるだろうと何故か、過信していた。


 入り口を見て、そこに立っていた人を認識して、思わずヒュッと息を呑んだ。


「本当にこんな所に居たのだな。報告通り、どうやら平民風情に上手く取り入ったらしい。よくもそんな、プライドの無い事ができる」


 バカにしたような、蔑むような、見下したような声だった。


 ウェーブかかった金髪に、青い瞳の少年。彼の後ろ――扉の向こうには停められた馬車が見切れていて、開かれた扉の脇には妙齢の執事が一人。車体には、鋭い眼光の雄々しく羽ばたく鷹の紋章が刻まれている。


 そのどこを切り取っても、私は心当たりがあった。

 分からない筈がないではないの。彼の顔も、馬車の紋章も、私はよく知っている。


「マイ、ゼル……」  


 そこに居たのは間違いなく、私をずっと「こんな女と血が繋がってるなんて、ホントに反吐が出る」と罵って、私をあの屋敷から追い出す事に賛成し、お腹を痛めて生んだ息子・マイゼルだった。


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