第32話 もう雑巾にはできない
何故私に? 何故服を? そんな疑問が頭に浮かぶ。
しかしそれらを打ち消すような衝撃発言が齎された。
「俺らのバイト代を全部はたいてやるんだから、絶対に汚したりすんなよな」
「あ、もちろん破るのも禁止だからね。まぁそもそもコレには余分な布の部分なんて無いし、今のソレみたいに破って雑巾にはしようもないとおもうけど」
「えっ」
思わず声を上げてしまった。
もしかして二人とも、私が陰でこの服の裏地を雑巾代わりにしている事に気が付いていたの? 雑巾を作る時はいつも、周りに注意してこっそりと作っていた筈なのに?!
「四六時中一緒なんだから、コッソリ観察してれば分かるよ。まぁ、アンタは上手く隠してるつもりだったのかもしれないけど」
私の表情を読んだのだろうノインが、ニヤリと笑っていたずらっ子の片鱗を覗かせる。
そのようなところまで見て気がついてくれたなんて嬉しい……と、普通は思う所だろう。しかし私の頭の中は、急激に沸いた羞恥心ですっかり塗りつぶされてしまった。
裏地は既に、それなりに使っているのである。つまり新たに雑巾を作る時、それなりの高さまで一度スカートをたくし上げなければいけなかったのだ。
具体的に言えば、今ならおおよそ膝上くらいの高さまで。
「あぁぁあ、足が丸見えで、二人に見られて……?!」
自覚した瞬間、顔に血がブワァッと集中した。
当たり前だ。だって淑女は、肌を殿方に見せてはならない。ドレスでデコルテは多少出すが、足を見せるのは破廉恥な行為だ。
膝下でさえ恥ずかしいのに、それを、まさかの膝上だなんて。そんな場所、過去ザイスドート様以外には見せた事がないというのに!
熱い頬を両手で挟み、顔を真っ赤にしてアワアワとする。
そんなあられもない姿をたびたび目撃した彼らも、さぞ気まずかった事だろう。
本当に本当に申し訳ないし、本当に本当に恥ずかしい――と思ったのだけれど。
「はぁ? 足を見られたから何だってんだ」
「だってそんな、はしたない――」
「はしたない? 何だソレ、意味分かんねー」
ディーダの答えに、私は思わずキョトンとした。
「川遊びとかする時に、よく裾を上げたりしてるよなぁ?」
「まぁ眺めが良い事は良いが、そんなに赤くなるほどでも、なぁ?」
「何? アンタの常識ではそんな感じなの?」
怪訝な表情で互いに顔を見合わせているディーダとノインに直面し、私は今度は違う意味で「え、あ、えっと……?」と動揺する。
最初こそ「優しさで、あえて気にしないふりをしてくれているのかな」とも思ったけれど、彼らの表情を見るにどうやら本当に何とも思っていないようだと理解できる。
見回せば、バイグルフさんも「どうしてそんなに恥ずかしがるんだ?」と言いたげな顔になっているのだから、二人の見解の説得力は増す一方だ。
もしかして、平民や貧民にとっては、別に恥ずかしい事じゃない……?
なんだかもう段々と、自分がとても自意識過剰なように思えてきた。
別の意味で、恥ずかしい。顔からプシュゥと蒸気が出そうなくらいの羞恥が顔に集まったところで、ノインの「いやまぁまぁ良いけどさ、それよりも」という声が私の思考を切った。
「早く受け取ってくれないかな? いつまでボクら、アンタの服を持ってないといけないの?」
「あっ、すみません」
反射的に謝り、服を受け取った。
ジワリと心に温もりが灯る。
改めて腕の中の服を見れば、当たり前だけれど生地自体は決して質の高いものではなかった。もちろんオーダーメイドでもない。どこの誰とも知れない人が、どこの誰とも知れない人相手に作った既製品だ。
が、それでも。
「ありがとう、ございます」
無機物には籠っていない筈の熱を、この服から感じた気がした。
嬉しい。そう、噛み締めるように思う。
「ありがとうございます」
あれだけ「服は生きる上で必要不可欠なものじゃない」と言っていた二人だったのに。いつもはあれだけ、好きに日々を生きているように見えるのに。
声が震えてしまうのは、きっと誰かから送られるプレゼントが久しぶり過ぎるからだけではない。
もしかして、私の事を考えてくれている時間がその中にあったのだろうか。もし、私のためにわざわざ労働を買って出てくれたのだとしたら、それはとても。
ワンピースをギュッと、胸の中に抱きしめる。
視界が滲んでどうにもならない。ふわりと微笑めば、目尻から頬を濡らす雫が零れて。
「ありがとう、うぅ……」
「ちょっと、リア。ハンカチ代わりにしないでよね。着る前からシミ付きとか、笑えない」
「ふんっ、だからお前は何でもかんでも泣きすぎなんだよ。涙腺バカリア」
ぶっきらぼうな声達が、私の名前を初めて呼んだ。
本当の名ではないけれど、それでも私を「リア」と呼んでくれた事が嬉しい。
「実は俺も参加してんだ。ほらその首元の所。元は無地だったのを、俺が刺繍したんだぜ」
言われてよく見てみると、バイグルフさんの言う通りワンピースの首回りに細かな刺繍が施されている。
「ちゃんとリアが言ってた通り、糸の色を『馴染みの良さを優先して色の近いものを選ぶ』ってのでやってみたんだが」
「えぇ、本当に。とても綺麗」
出来栄えを窺うような彼に思わずフフフッと笑ったところで、また涙が一筋頬を伝って滴った。
ホッとしたような彼の表情が、私の心をまた一つほんわかと温かくする。
「皆さん、ありがとうございます。大切に着させていただきますね」
幸せだ、と思う。
こんなに幸せを貰ったところで返せるものなど大して無いのに、果たしてこんなにも優しくしてもらって本当にいいのだろうかと思う。
でもそんな事を口にしたら、きっと彼らは「素直に受け取りなよ」とか「めんどくせぇこと考えんな」とか「くれるって言うんだから貰っとけばいいだろうよ」などと言うと思うから。
それらの想いは、敢えて言葉にはしなかった。
心の中で「もう服を雑巾にはできないな」と微笑しながら強く強く、服を抱きしめる。
私はこの場所が好きだ。ここに来られて良かった。
心の底から、私はそう思ったのだった。
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