第10話 誰かに必要とされる事



 私が危険だというのなら、彼らも同じなのではないの? 大人とはどうしても体格差があるのだから、何が起きても不利になるのでは無いかと思うし。

 でも、思えば彼らは少なくとも今日まで、そういう危険と隣り合わせの中で生きて、生き延びてきたのだ。昨日ここに来たばかりの私に心配されたら、きっと「大きなお世話だ」と怒られるだろう。


「それではどこか、ちゃんと泊まる事ができる場所を探さなくてはなりませんね。ご忠告いただき感謝します」


 とりあえず、何か大変な事になる前に教えてもらえて良かった。彼らには本当に助けてもらいっぱなしだ。

 そう思いながら、泊まる事ができる場所とはどこにあるのか。とりあえず建物の多そうな所に行けば――などと頭の中で考えていると、またもや深いため息が聞こえてきた。


「はぁー、お前、宿代なんかに無駄遣いするつもりかよ」

「え?」

「どれだけ大金を持ってたって、金だって無限じゃないんだろ。やがては無くなって腹が減る。寝る場所がなくても死なないけど、食えないんじゃ死ぬんだからな」

「わざわざそれ以外の所に金を使う意味が分かんないよね」


 彼らの言い分に、思わずキョトンとしてしまった。だって私は今まで一度も「屋根のある場所で眠れる事は、何も生活に必須ではない」などとは、微塵も思ったことがなかったから。

 だからこれまでどれだけレイチェルから辛く当たられたとしても、「屋根のある場所のベッドで寝かせてもらえて、薄汚れたお古とはいえ洋服を用意されているのだから、感謝すべき」という彼女の言葉に、異論を抱く事はなかった。耐える事ができていたのだ。


 しかしこうして言われてみれば、彼らの言葉こそ真理かもしれない。

 私が抱いているのは恵まれた考え方であって、平民街で暮らす選択肢しかない今はもう、とても贅沢なことなのかも。


 現に、彼らの服を見れば『衣』のクオリティーに重きを置いていない事は言うまでもない。それは私だって同じで、薄汚れた服を着ていても今、問題なく生活できている。

 ならば『住』に対しても同じなのではないだろうか。


 現に私自身、実際に『住』に重きを置かないこの場で一日寝てみたけれど、致命的な不足は今のところない。

 『住』を必要だと思うのは私の固定概念からくる贅沢で、今の私が『住』にお金を投じるべきではないのかも。


 でも、つい先ほど二人から、住むところの安全面を考慮すべきだと言われたばかり。そうなると、私は最低限安全で無償な場所を探さなければならない。

 一体どうしたらそんな場所なんて――。


「別にいいんじゃないの、ここでも」


 素っ気なく、ノインが言った。

 思いもよらない提案に、思わず目を丸くする。


「とりあえず面積はこの通り三人寝ても余ってるわけだし、アンタも世間知らず過ぎだし。出ていくにしても、もうちょっと色々知った後じゃないと、アンタすぐに騙されるか、野垂れ死ぬかの二択でしょ。流石にちょっと、寝覚めが悪いよね。っていうか、ディーダが絶対夜中に様子見に行くだろうし。そしたらボクも、とっても迷惑」

「しねぇわ、そんな事!」


 ディーダが抗議の声を上げ、ノインが彼に疑わしげな目を向けた。迷惑そうな顔を隠さずに「夜中に室内歩くと、床がギーギーいうからすぐに分かるんだよ。強がった後にバレるのとか、最大級に恥ずかしいと思うけど」などと口にする。


「どうせ生活に支障が出るんなら、宿代浮かすのとボクたちに色々と常識を教える代わりに、ボクたちのご飯をアンタが買う。正々堂々、持ちつ持たれつ。それで綺麗に収まると思うけど」


 さぁ、どうする? ノインの薄桃色の瞳が、静かに私の様子を窺ってきている。


 戸惑ってしまう。だってこんなの「ここに居ていい」と言っているも同然だ。私にとって、あまりに都合が良すぎる。


 二人は、私の素性を知らない。

 教会の婚姻契約が残っている限り、私は伯爵家の人間という身分に、ザイスドート様の妻という立場に縛られたまま。肩書だけは貴族であり、領主夫人なのである。

 万が一にも、二人を妙な事には巻き込めない。


「一体何を躊躇しているのかは知らないけど、これは平等な取引だ。ボクたちにも利がある話、いわゆる利害関係の一致だよ」

「まぁたしかに、お前を住まわせれば、当分の間は俺たちも食いっぱぐれずに済む」


 ノインの援護をするように、そっぽを向いてディーダも続く。



 膝の上に置いた手を、ギュッと強く握りしめる。


 彼らの提案が自分たちのより生きやすい選択の結果だという事は、もちろん私も分かっている。

 でも、それでも。


 知らなかった。いや、忘れていた。

 どんな形であれ、求められる事が、受け入れられる事が、居場所をもらえることがこんなにも嬉しい事だなんて。


 強がっていた自分が暴かれてしまう。


 本当は、何も知らない場所で一人きりで生きていける程わたしは強くない。

 ずっと怖かった。不安で寂しかった。

 何かに笑顔になれる事、掃除を楽しいと思える事、ご飯を美味しいと思える事。色々な楽しさを思い出してしまったから、尚更一人になることが心細くなっていた。


 だから、負けた。

 気が付けば、視界がじんわりと強くにじんでいて。


「えっ、ちょっ、はぁーっ?!」


 頬を濡らすのはおそらく涙だ。

 続くディーダの「おい! なんか俺らが虐めてるみたいだろ!」という怒り声がすすった鼻の音のせいで遠い。


 大人なのに、二人の前でこんな風に泣くだなんて情けない。

 グシグシと懸命に拭うけれど、今まで泣けなかった分の感情が一気に決壊したようだった。

 洪水になって溢れ出て、堰き止める事は叶わない。



 怒っても結局止まらない涙に、やがて諦めたかのようにディーダはチッと舌打ちをする。

 横でノインも肩をすくめた。だけど結局二人とも、それ以上は何も言わない。何も言わずに、私が泣き止むまでずっと、ただ側に居てくれた。


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