第二節:心を決めたフィーリアは、“枷”を外し自由を得る。

第40話 「ただいま」とは言わない



 住んでいる場所から屋敷までの道が分からないだなんて、今まで全く気付きもしなかった。

 思えば私は追い出されてから、一度もあの屋敷に戻る気など無かったのだ。そう気がついて、思わず笑う。


「仕事が休みの日に意気揚々と出かけたかと思ったら、すぐに戻ってきて第一声で『お二人とも、目的地が分からないから教えてくれませんか』とか。アンタ自身が目的地が分からないんなら俺らが知る訳ないじゃんって話だよ」

「そ、それは、ちょっとした語弊と言いますか……」


 ちょっと言い方を間違えただけなのに。呆れたような声の端にからかい口調を垣間見せるノインに、私は少し口を尖らせる。

 この道を曲がればもう、屋敷への一本道になる。それなのに、まるで緊張感がない。

 が、もとより私は人前が苦手で、つまるところそれはあがり症であるという事でもある。そう思えば、この『いつも通り』は緊張を飛ばすのにちょうどいい。


「おい、負けるくらいならせめて一発ぶん殴ってこい」


 乱暴なディーダの応援に、私は「えぇ」と笑って応じる。

 これでも貴族だ、もちろん本当に暴力に訴えたりはしないけれど、意気込みとしてはきっとそのくらいで丁度いい。

 

 私はこれから、自身の自由を勝ち取りに行く。

 そのために必要なものは、もう既に教会から取り寄せてきた。かつての約束、今はもう枷になっているそれを手に、私は二人に微笑んだ。


「いってきます、二人とも」

「ご飯の時間までには帰ってきてよね」

「俺たちの腹を空かせるとかあり得ねぇぞ」


 相変わらずの二人に「はい」と答えて、私はゆっくりと踵を返す。



 二人には、これから私が何をしに行くのかは言っていない。

 きっと何かは察しているのだろうけど、彼らは何も聞いては来ない。

 それが私には信頼に思えた。どこに何の用事で行ってもどうせ帰ってくるのだから、自分たちの生活は変わらないのだからと言ってくれているような気がして、その不器用さがとても頼もしい。


 だから私も新しく得た『自分』を胸に、一歩前に踏み出した。



 ◆◆◆



 見通しの良い一本道だ。私が門を目視できるところまで来れば、当然相手からも私が見える。

 門番たちは、近づいてくる人影に気付きこちらを見た。

 おそらく最初は、いつも来る訪問者か何かと勘違いでもしたのだろう。しかし私の顔を見ると、あからさまにギョッとする。


 当たり前だろう。

 あの日、彼らはまるで景色であるかのように門の横に立っていた。私たちの一部始終を見ていた。見ていて何もしなかった。


 もちろん彼らに、主人に逆らって私に駆け寄るなどという事はできなかっただろう。むしろ目を合わさずに無いものとして扱ったのは、彼らにとっては温情だったのかもしれない。

 私だって蔑みや嘲笑や憐みの目で見られるのは嫌だっただろうし、あの時の彼らの存在を、わざわざ思い出して「景色であるかのようだった」などと言わなければならないくらい彼らを見ていなかったわけだから、あまり人の事は言えない。


 彼らは彼らの仕事をした。そして私は今、自分の権利を行使しようとしている。

 それで良いのだ、と素直に思う。

 だからあの日の彼らに抱いた仄かな感情は横に置き、人知れず深呼吸をする。


「門を開けてください」

「……何のご用でしょうか」

「当主家の一員が屋敷に入ることに、どうして用事が必要なのですか?」


 背筋を伸ばし、下腹部の前に添えるように両手を重ねた姿勢で言う。


 私はまだ籍を抜いていないのだから、奇しくもドゥルズ伯爵家の人間だ。まずは正攻法を試してみる。もしダメならば、一貴族として彼らに面会を申し出るだけだ。それでもダメなら――と、次の策にまで思考を巡らせたところで、目の前の門番たちが互いに顔を見合わせた。


 あぁ、きっとザイスドート様たちは私が来たときの対処について、彼らに何の指示もしていないのだ。そう悟って、苦笑する。

 きっと、追い出された私が戻ってくるなどとは思いもしなかったのだろう。侮られているようで少し失礼な気もするが、実際にもしここを出てすぐにあの二人に会っていなかったら、もしマイゼルが私を捜して連れ戻しに来なかったら、私がここに立つ事もなかった。

 そう思えば、彼らの失念にも納得するしかない。


「通してください、今すぐに」


 微笑みながら、そう告げる。


 使用人たちと仲良くしていたかつて、屋敷を守ってくれる彼らとも会えば他愛のない話をした。

 それもレイチェルさんが来て以降は徐々に減り、追い出される頃にはまったく話もしなかったけれど、そうでなかった昔はこうして、きちんと彼らの目を見て話し、時には笑ったりもした。


 今はもう、こうしてここにある自分がさも当然であるかのように笑みで武装して向き合わなければならなくなってしまったけれど、その頃の思い出がなくなる訳ではない。

 そんな昔を思い出した私を見て、彼らもまた何かを思ったのだろう。表情に僅かな後悔が滲んだ後、すぐに仕事の顔になる。


「――お帰りなさいませ、奥様」


 扉が開いた。

 門をくぐる。お礼も返事もしなかったのは、彼らはあくまでも彼らの仕事を全うしただけであり、もうである私が「ただいま」などという嘘を言うのは憚られたからだった。


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