第17話 生きるための助け合い
いやしかし、聞いた事自体は正しかった筈である。
だって買って帰っても使い方が分からないのでは意味がない。ただの無駄遣いに等しいし、二人に美味しいものを食べさせてあげる事もできない。
どのタイミングであれ、聞かなければならない事だったのだ。自分にそう言い聞かせ、何とか平静を保てるように努力する。
と、その時だ。
「煮物にするといいと思うけど、下処理がちょっと面倒でね。家に帰ったらなるべく早く根元のこの固い部分と上のこの辺までを切り落として、皮をむいて、下茹でをしないといけないんだよ」
不思議がりはしたものの、おばさんは私の無知を決してバカにしたり嗤ったりしなかった。それどころか、とても詳しく教えてくれる。
「下茹で、ですか?」
「あぁ、アクが強いからね。下茹でしないと、えぐみが出てあんまり美味しくない。せっかくなら美味しく食べないと損だろ?」
「アク……」
アクとは何だろう。
私は所詮、最低限の食べものを得るために切ったり茹でたり焼いたりができるだけの人間だ。料理用語に馴染みがない。
思わず考え込むと、おそらく顔に出ていたのだろう。今度は驚いた顔をされてしまう。
「あんた、料理するのに灰汁取りも知らないのかい?」
「すっ、すみません……」
条件反射で、謝罪の言葉が口から洩れた。
咄嗟にフラッシュバックしたのは、屋敷で私を散々「貴女、そのような事も知らないの?」と嘲笑っていたレイチェルさんだ。
一体何度、彼女から「何でこんな事も出来ないんだ」「分からないんだ」と言われた事か。
忘れていた怖れが、足元から這い上がってくる。あぁきっとまた、私を、私の存在をすべて否定されてしまう――。
「不思議な子だねぇ。でもまぁ良いさ。人ってのは、失敗したり教えてもらって少しずつ知っていくものだからね。知らないんならこれから覚えていけばいい。素直にそういう経験を積めるのは良い事さ」
予想していた否定の言葉は一つもなかった。むしろ私を肯定するような言葉だと思った。
彼女のカラリとした笑顔に、無性に鼻の奥がツンとする。
何故だろう。日に焼けた肌と赤毛のぽっちゃりとした彼女とは似ても似つかない筈なのに、何故か今は亡きお母様を思い出す。
「私も昔、お母さんから色々と教えてもらったものさ。誰もが一人じゃ生きちゃいないんだ。こういうのは助け合いだからね。あんたもいつか、誰かに教えてあげたらいい」
お母様も、そうだった。
私が何か失敗をしてふさぎ込んでしまう度に「次頑張ればいいんだよ」と背中を優しく撫でてくれた。
私の最大の理解者で、最大の味方だった人だった。
責められなかった事に安堵して? それとも、他者の無知が許容できる彼女の心が温かくて?
分からない。両方かもしれないし。もっと他の感情なのかもしれない。
けれど無性に、ここに居ていいのだと言ってもらえたような、私という人間を肯定してもらえたような気分になった。
ダメだった。
「ありがとう、ございます」
何に対するお礼なのか、自分でもきちんと言葉にはできない。けれど、たしかに何かを貰った気がした。気がつけばお礼が口から零れて彼女に微笑む。
同じく零れそうになった涙をグッとこらえてた筈だった。なのに何かが頬を伝い、私は慌ててそれを拭く。
驚いたおばさんが「だ、大丈夫かい?!」と慌てて背中に手を沿えてくれた。しかしそれは逆効果だ。さすってくれる手の温かさに、更に目にジワリと熱が集まる。
「あー、そいつちょっと涙腺おかしくなってんだよ」
「よく泣くし、もう放っといていいんじゃない?」
呆れたような声の主は、泣き虫な私を知っている二人の子供たちである。
「えっ、そ、そうなのかい?」
「えぇ、大丈夫です……」
グスリと鼻を鳴らしながら目をグリグリと拭いていると「どこかが痛いとかいう訳じゃないんだね? っていうか、そんなに乱暴に擦ったら目の下が腫れちゃうんじゃないかい?」と、更に心配までしてくれた。
優しすぎた。もう涙が止まらなくなって、ドバーッと感情が垂れ流しだ。
それでやっと周りは慌てから苦笑に変わり、子供たちは二人揃ってわざとらしくも盛大なため息を吐く。
そうだ、いけない。ここには買い物をしに来たのだ。
皆を呆れさせている場合ではないと、私は自分を奮い立たせた。
「う、うぅ……ずびっ、おじさん、リンゴとプラムをください」
「お、おぉ、泣き止んでからでもよかったんだが、まぁいいちょっと待ってろ。オマケしておこうな」
「あ、ありがとうごさいま……ずびっ。それでお二人とも、何か他に食べたい物は――」
「肉」
「肉でしょ」
未だに私の号泣に戸惑いがちな面々とは裏腹に、二人はまったく動じない。きっちりと己の欲を主張をしてくれるが、むしろ今はそれがありがたい。
わかりました、それも買いましょう。
えぐえぐと言いながら、それぞれの店で私は必要な食品を買い集めていった。
店員たちが当たり前のようにディーダとノインに品物を渡すので、涙声で「持ちますよ?」と手を伸ばす。が、その手をペシッと叩かれた。
「もう最初の店で買ったやつ持ってんだろ!」
まるで「俺のものに手を出すな!」とでも言いたげだけれど、それを持っていてもただほぼ重いだけ。ずっと持っていなくても、帰ったらちゃんと皆で分けるし、むしろ労力の無駄遣いだ。
彼らが一番嫌いそうな事なのに。
「でももう片方の手は残っていますし」
「そっちは顔拭くのに忙しいだろ!」
「う、それは……」
言い返せなかった。グッと言葉に詰まっていると、スッと私達の横をすり抜けていくノインが、通りがかりに「まぁ、これだけの物をちゃんと買って堂々と街中を持ち歩くとか、早々できる事じゃないしね」と言い置いていく。
フンッと鼻を鳴らして彼に続くディーダ。素っ気ない言いぶりと態度なのに何故か二人から温かみを感じる気がしたのは、ただの私の気のせいか。
私はグシッと涙を拭いて、二人の後について最後の目的地へと向かった。
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