第5.5話 一方その頃 ~レイチェル・ドゥルズは嘲笑う~
暖色のシャンデリアの光に、温かな室内の下。窓の外で雨音がザーッと降り荒んでいる音を聞きながら、ソファーに座りうつらうつらとしているザイスドート様を眺めて、私は一人ほくそ笑んだ。
欲しいものは、自らの力で手に入れなければね。
三年越しの努力が実を結んだ今日、独占欲が満たされて実に心地よい。
彼と初めて会ったのは、私がまだレイチェル・リリアだった頃だ。
私は昔から体が弱くて、青春期をずっと屋敷の中で過ごしていた。社交に出たのは十九歳になった年。
まずは顔を覚えてもらわねばと、父に連れられパーティー内であいさつ回りをさせられていた時だった。
「我が娘、レイチェルだ」
「たしか療養中だったという話の」
「あぁ、だが病状が落ち着いてな。今後は社交界にも顔を出すようになる」
礼に則り、私は「レイチェル・リリアです」と挨拶をした。
頭を下げながらチラリと彼を見た感想は、何といっても『顔が良い』だった。
愛想のない男だった。切れ長の目をチラリと向けただけ。それも一瞬の事で、笑いもしないし褒めもしない。
パーティーに来るようになって気がついたのだが、私の容姿はどうやら男ウケするものらしい。その上侯爵家の娘という高い身分であったから、周りは皆第一声でまず褒めそやす。
この時には最早それが普通なのだと思い始めていたから、そうではない彼は新鮮だった。
彼にイラッとしなかったのは、もしかしたら私に対して「行き遅れの売れ残り令嬢」が故の反応を微塵も示さなかったからなのかもしれない。
私の機嫌を取らない代わりに、憐みや嘲笑や婚姻を結んで都合よく取り込んでやろうという類の嫌な興味を彼は示さなかった。
聞けばこの人、領地経営こそ熱心ではないが、社交活動にはそれなりに力を入れているらしい。
我が目上にあたるリリア侯爵家と対等であるかのように接し、それをまた父も許容している事からもそれは明らかで、それも、我が家だけではないのだとか。
上級貴族に対して多くのパイプを持ち、上手く渡り合っている。あの愛想のなさでそうなのだから、きっとうまく世渡りをしているのだろう。
実に、私が知っている『貴族』らしい。
見た目にもそれなりに気を使っているようで、身につけるものはすべて通常の伯爵家以上、下手をすると侯爵家と同等の品質のものだったりもする。
私は、ぬるま湯につかっているような男は嫌いだ。
せっかく『貴族』なのだから、上を目指す野心が欲しい。
その上、社交界に出られなかったせいで得られなかった上級貴族としての恩恵――周りからの様々な優遇が、得られる場所にどうしてもいたい。
私だって『貴族』なのだから、体調が戻った今、婚姻の義務を果たさねばならない。どうせ嫁ぐなら侯爵家以上がいいのだけれど、この年齢では難しいだろう。
娶られたところで、相手は間違いなく「娶ってやった」という心情でいるだろうと思えば、私の中では論外だった。
その点、彼ザイスドート・ドゥルズの隣はちょうどいい。
「お父様。私、彼の所に嫁ぎたいわ」
私のこの一言で、婚姻はトントン拍子で進んでいった。
婚礼の後、今日から彼と共に暮らすのだという当日、屋敷の前でとある女が待っていた。
「ようこそ、レイチェルさん」
弱気に微笑む、平凡な女。貴族だろうとは思うけれど、あまりに地味な服装に私は思わず「何だこの女は」と思った。
それが、フィーリア・ドゥルズを初めて認識した時の印象だ。
思えば社交パーティーで、ザイスドート様の隣に度々地味な女が寄り添っていたような気がする。
社交中めったに話さずずっと彼の隣にいるものだから、地味すぎてその存在を認識できていなかったけれど、どうやらこの女が彼の正妻であるらしい。
――どうせ喋らないアクセサリーなら、私の方がよほど役に立つわ。
心の中で、私と彼女の立ち位置が決まった瞬間だった。
ザイスドート様は相変わらず愛想が無いけれど、生活としてはおおむね快適だった。
問題は一つ。私よりも上の存在がいる事と、それが私よりも明らかに無能であるという事実があることである。
フィーリアは、限りなく社交をしないに等しい女だった。
苦手なのだと言っているが、頼りなさげで困ったような笑みがまた癇に障った。
私の方が上手くできるのに。生家の爵位だって二つも上。なのにどうして彼女が正妻で私が第二夫人なのか。
気にくわないのはそれだけではない。フィーリアには、既に息子が一人居る。将来このドゥルズ伯爵家の跡取りになる息子だ。
その上、ザイスドート様がたまに笑うのだ。彼女といる時に、少しだけ。
ザイスドート様の役にも立てない女のくせに。派手なのは嫌いだからと伯爵家に不釣り合いに地味な服を着て、ザイスドート様とまるでお似合いでもないくせに。何故こんな女に負けなければならないの。
屋敷の管理と子の世話だけは熱心にしているようだけれど、家のことばかりなんてこんな女、使用人も同然だわ。子の世話なんて、乳母でもできるのだし。
そう思った瞬間、私の中で何かがカチッとハマった気がした。
そうだ、使用人が私よりも高い位置に居座っているなんてどう考えてもおかしいわ。
欲しいものは、手に入れようとしなければ手に入らない。私に足りないのは努力よ。
正妻の仕事は、他家の夫人と関係を良好に保つ事と屋敷の管理。そして跡取りの育成。
社交については、フィーリアはまるでやっていないのだから普通にやればいい。屋敷の管理は、まずは有力な使用人をこちらに引き入れる所からね。
跡取りについては……邪魔だし排除するという手もあるけれど、フィーリアとザイスドート様のあの愛でようだと面倒な軋轢を生みかねない。ならば利用する事にしよう。
どうやら私には、上っ面だけで相手の機嫌を取る社交に適性があったようだ。他家の夫人たちとすぐに仲良くなり、彼が無視できないくらいには家への貢献ができるようになった。
屋敷でも水面下で動きつつ、表ではフィーリアに私とのザイスドート様への貢献度を見せつけて、己の立場を分からせて「せめて屋敷の管理くらいはきちんとやったらどう?」という言葉で屋敷業務に張りつけにし、その一方で息子・マイゼルを甘やかし、少しずつその耳に毒を仕込み続けた。
努力は見事、結果に結びついた。
屋敷の管理をしていた筈のフィーリアはいつの間にか屋敷の働き手の一人へと成り下がり、マイゼルは私を慕うようになりフィーリアに更なる打撃を与えた。
ザイスドート様は、今や私の意向を無視できない。
お陰で私は、実質的に正妻の地位を手に入れた。
帰る場所などとうに失っているあの女は、今や居場所さえも失って、一人冷たい雨の中ではいつくばっているだろう。
そう思うと、おかしいやら楽しいやら。あの女には、私が嫁いできた時点で私に正妻の座を譲らなかった事を悔いてもらおう。アレが無ければまだ屋敷内にくらいは――いえ、結局目障りになって同じ結果を辿ったかしら。
可哀想なフィーリア。
誰にも必要とされず、ボロ雑巾のように朽ちてしまうがいいわ。
生粋の貴族令嬢だ、突然放り出されてまさか外で生きていける筈もない。
ザイスドート様の寝顔を眺めながら、私は勝利を噛み締めた。
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