第26話 可用性と利便性と彩りと



 『財布』というと、これまでの人生で自ら財布を持つ機会がまるで無かった私の頭に思い浮かぶのは、やはり今持っている革袋のものだけである。

 だからだろうか。財布はてっきり革製のものでしかありえないのだと、今の今まで思っていた。


「今の財布の主流は革だが、あんたが持っているのを見ると、どうにも武骨感が否めない。もうちょっとあんたが持ってもおかしくないような財布が作れないかと思ってな。ほら、布なら色も付けられるし、わりと他でも需要がありそうな気がしたんだ」


 まさか私から着想を得てくれたとは。

 驚き半分、嬉しさ半分。じんわりと温かみが滲んだ心が段々ソワソワへと変わり始める。

 が、彼は困ったように眉尻を下げた。


「財布なら小物だからそれ程材料費にも負担が無いし、販売価格も値も張らずに済む。普段使いもできるものだし、いい案だと思うんだが……結局のところ、やっぱりデザインと配色で手が止まる」


 どうやら今、ちょうど苦戦しているらしい。きっとそれで私に話を聞こうと思ったのだろう。

 しかし私はまず、デザイン以前の部分が気になってしまった。


「あの、お金ってけっこう重いですが、布で強度は大丈夫なのでしょうか……?」


 私が初めてお財布を手にしたあの土砂降りの日、冷えと精神的ショックで外からの刺激に鈍くなってしまった体の感覚の中でも分かったたしかな重みに、私は少し安堵した。

 しかし、裏を返せばそれ程までに財布とは重いものなのだ。

 それでも安心の強度を持つ革製品と比べれば、やはり布では心許ないのではないだろうか。


「幾ら可愛く作れても、底が抜けて財布としての機能を失ってしまっては、あまり意味がないでしょう。少なくとも、多くの皆さんが買い求めてくれるとは思えません」


 そう言いながら、一方で「しかし、たしかに彼の言う通り、革袋の財布には飾りっけが無い。他の人の財布もこうなのならば、少し工夫の余地がある様な気もする」と考える。


 たとえば私が、この店の色彩の豊かさに心が躍るように、もしかしたら日用品に小さな彩りが加わった事で、少しでも日々の生活の中で誰かの心が躍るのなら、それはとても素敵な事だ。


 となれば、問題は『強度と彩りをどう両立するか』という所になるけれど。


「……あ、バイグルフさん、財布そのものではなく、財布用の飾りカバーとして売り出すのはどうでしょう?」

「飾りカバー?」

「はい。皆さんが使っている革袋の、財布の上から被せて外見を飾るのはいかがかな、と」


 私が今提案したのは、貴族の間では普通に行われている事の応用だ。


 貴族界では、如何にセンスの良いものを持っているかが一種の話題作りのための武器になっているが、それらは普通の仕立てをベースにして如何に飾り付けるかに注力したものである事もままある。

 いわゆるセミオーダーメイドだ。


 それを、この街の人々が買える価格レベルの品物に落とし込む形で販売する……というのを思いついたのだけれど、どうだろう。

 もし既に存在する試みだった場合、何かしらの理由で既に除外済みの考えかもしれないけれど。


「なるほど、カバーか。考えた事はなかったが……」


 あ、よかった。そうでもなかったみたい。私はホッと胸を撫でおろす。

 だとしたら、一考の価値はあるかもしれない。


「そういえば先日果物屋のおじさんが『お金を扱っていると手が黒く汚れてしまう』とぼやいていました。ちょっと触っただけでも手が汚れるのであれば、もしかしたら財布にも汚れが移るかもしれません。しかし外だけを飾るのであれば、綺麗な布がお金のせいで汚れてしまう可能性も低そうですし」


 言いながら、目の端――窓の外に動く何かの存在に気がついた。

 黒髪の頭と茶色の頭が、ヒョコリヒョコリと見え隠れしている。その正体には大いに心当たりがある。


 理由は不明だが、彼らはたまに窓の外で私を盗み聞き・盗み見している。

 住処で私が掃除をしたりご飯を作っていた時から、そうだ。おそらく二人の癖のようなものなのではないかと私は勝手に思っている。

 それはここで働くようになってからも変わらず、ちょこちょこと見られる光景だ。


 本人たちはうまく隠れているつもりのようなので、私も特に指摘したりはしない。見ないふりをするのにも慣れた。

 別に邪魔になる事はないし、むしろちょっと微笑ましくさえある。実息のマイゼルはこのような事をしたことは一度も無かったので、新鮮な気持ちもあって楽しい――と、ここまで考えて、また一つ提案品の利点を見つけた。


「あ、あと、外側だけを飾るならば、着脱可能ですよね。これも、もしかしたら重宝するかもしれません」

「何でだ?」

「たとえばうちは、一つのお財布を二人と兼用にしています。バイグルフさんがもし可愛いお財布を作ってくれたとしてそれを二人が持つとなれば、一体どのような顔をするか……」


 想像して、思わず苦笑してしまった。彼もどうやら察したようで、可笑しそうに笑い出す。


「はははっ、たしかにな。あの悪ガキどもは嫌がりそうだ」

「他のお宅でももしお財布を兼用にする習慣があるのなら、カバーを外せば普通の革袋のお財布です。大して気にもならないでしょう」

「なるほど。旦那は自分のを持ってるだろうが、子どもはたまに母親のを使ったりするだろうな。買い手が子持ちの女だと考えれば、子ども本人以外にも、子どもに汚されるのを嫌う人もいるかもしれない」


 顎に手を当てしきりに頷いている彼を見るに、どうやら好感触のようだ。


「よし、それを作ろう。そうなると後は色とデザインか……」

「女性向けのカバーという事であれば、鮮やかな色の方が好まれるかもしれませんね。皆さんオシャレはしたいですが、汚れたら目立つからと、中々普段使いに鮮やかな色の服は着ないようですから」

「具体的には?」

「そうですね、たとえば花の色あいなどは、参考にできるかもしれません」

「あぁ確かに、女はみんな花、好きだもんなぁ」


 うんうんと頷いたバイグルフさんは、広げていた布をテキパキと片付けながら続ける。


「なぁリア。色選ぶの、もうちょっと手伝ってくれ」

「はい、私でよろしければ」

「あぁもちろん、助かるぜ」


 こうして私たちは、あぁでもない、こうでもないと二人で布を選んでいく。

 それはとても楽しくて、ワクワクする時間だった。


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