第2話 私の知らない彼らの常識
背丈はちょうど私の胸の辺りだろうか。膝に穴が開いている薄汚れた服を着ている彼は、マイゼルと同じくらいの年頃の少年に見えた。
きっと、色々と考えるべき事があった筈だ。
たとえば「何故こんな子供が?」とか、「間違っても栄養状態が良いとは言えない体つきだ。あまり良い暮らしが出来ていないのだろうか」とか。
少なくとも大人としては、それが正常な思考だろう。
だけど私が真っ先に思ったのは、目が綺麗。ただそれだけだった。
静かにこちらを観察してくるその瞳は、まるで透き通るような薄桃色だ。
咲いては散るサクラの花びらのような色だと思った。
しかし違う。あの花は雨が降ればすぐに散ってしまうけれど、彼の瞳に宿っているのは強さだ。
現状を嘆くでもなく、悲観するでもなく、しなやかな光を孕んでいる。
芸術作品に心奪われた時のような感覚だった。彼の『強さ』に惹きつけられた。
しかし無意識に伸ばした手が、彼に届く事はない。
「おいノイン、お前何でそんなところに突っ立って――」
呆れたような声が、私に気が付き途中で切れた。
茶色の短髪のその少年は、ノインと呼ばれたこの黒髪の彼とおそらく同年代だろう。服装も体の細さも、ノインと似たり寄ったりだ。
違うのは、どこか中性的な雰囲気のノインと比べてやんちゃな男の子という雰囲気と、顔の造詣――特に気の強そうな釣り目だろうか。
曇天に輝くような黄金色が、私を見つけて訝しげに細められる。
「何だ、このババア」
「さぁ? 知らないオバサンだよ」
吐き捨てるように言われた言葉に、ノインが肩をすくめて答える。
女性に対して言ってはならない暴言が大いに含まれていたものの、そのような事はどうでも良かった。
彼の瞳もまた、強い輝きを秘めていた。
逆境を跳ねのける力を体現したようなその色に、気がつけば「どうして」と口走っていた。
「どうしてそんな風に居られるのですか……?」
彼らだって今、私と同じく雨に濡れている。私と同じくらい汚れた格好で、私よりも細いのではないかという手足をしている。
なのにどうして、彼らはこんなにも私と違うのか。絶望の中で見つけた光に疑問と羨望を見つけて、そう尋ねずにはいられなかった。
しかし彼らは、意味が分からなかったのだろう。
ノインはキョトンとし、茶髪の彼は、一体何が気にくわなかったのか。眉をひそめて「はぁ?」と更に顔を厳つくする。
「意味分かんねぇ、何がだよ!」
「だって貴方達は現状に、まったく絶望していないように見えます」
「あぁ? 何だテメェ、俺ら貧民には生きる価値もないってか?! 喧嘩売ってんのかコノヤロウ!」
「ちっ、ちがっ、そんなつもりは! 私はただ、純粋に疑問に思っただけで!」
彼に吠えられてやっと「誤解を招く言い方だった」と自覚した。
もちろん彼らを貶めるつもりは無い。純粋に何故と思っただけだ。
身振り手振りを駆使して慌てて弁解すると、その気持ちが無事に伝わったのだろうか。
目を怒らせた彼が一変、今度はまるで珍妙なものでも見付けたかのように片眉を上げてくる。
「希望を失うって、何だソレ」
「だって、服も栄養状態も、今だって雨に降られてずぶ濡れで」
「はぁ? 別に普通だろ、このくらい」
呆れたような声色の彼は、まるで「一体どこに絶望を感じる必要があるんだよ」とでも言いたげだ。
そこに己への卑下は無い。隣に「なぁ?」と同意を求めると、ノインも「うん」と普通に頷く。
普通なの? 彼らにとってはこの状況が?
疑問が増えるが、彼らが嘘をついているようには見えない。
私は、生まれてこの方貴族としてしか生きてこなかった。汚れや穴の無い綺麗な服も、温かい場所も、美味しいごはんも、子供の頃には当たり前のように用意されていた。
たしかにここ一年ほどは粗末な扱いを受けていたけれど、私は大人で彼らはまだ子どもだ。大人の私とは忍耐力も、成長に必要な栄養だって違う。
だからそうでない彼らは絶望してしかるべきだと思っていたのだが、そんな私の中の常識に反して、彼らが彼はあっけらかんと言った。
「お前がどれだけ恵まれた環境にいたのかは知らないけどな、俺達にとっちゃあ家が無いのも食べるものが無いのもいつもの事だ。早々気にしていられるかっての」
「まぁたしかに雨の日は、出店もみんな休みだから食べ物をくすねられなくて困るけど」
「おいノイン、今食い物の話はやめろ。腹が減ってくるだろうが」
もし彼らが言う通り、今日がいつもと変わらない日なのだとしたら、たしかに特別今日という日に絶望する事はないだろう。
だけどそれは裏を返せば、まだ年端も行かない子供たちが日々劣悪な環境に身を置いているという事でもある。
庇護者は一体何をしているのか。
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