カナリア・インピンジメント

京ヒラク

■01: ウェットガール

「おかしいなあ、ここで合ってるはずなんだけど……」


 フードデリバリーサービスの女性配達員が一人、とあるマンションの一室の前で惑っていた。

 ピンクに染めた髪に、サイクルジャージ、クロスカントリー用のビンディングシューズ、スマートウォッチ、デリバリーサービスのバックパックとだいぶ気合の入った彼女――三日月みかげ彩乃あやのは、携帯端末の画面と部屋番号プレートを見比べ、


「うん、間違ってない」


 頷き、ドアチャイムを鳴らした。微かにチャイムの音が聞こえてくる。


 もう一度鳴らす。「すみませーん。配達物でーす」もう一度鳴らし、ドアをノック。「ユーバーFDでーす。食べ物の――」


 ドアスコープに影が差したのを見て、横へ一歩移動する。


「うるせえな。何の用だ?」ドアを開け、男が顔を出した。怪訝な表情で彩乃の頭の先から足下までを探るように見た。


「えっと、ここ、ヨコタさん、のお宅で合ってますか?」


「――いや、そんな奴はここにはいない。住所を間違えてるんじゃないか。ちゃんと確認した?」


「え、そんなことは……住所はあってるはず」端末を見せる。配達先の情報が表示されている。


「なんだ?」端末の画面を見る。「――ああ、確かにここみたいだ。でもだ、そのヨコタって奴がいないのに変わりはないし、食い物を頼んだ奴もいないよ」


「ええー、じゃあわたしはどうすればいいんですか?」腰を屈めて上目遣い。声も若干猫撫で気味。


「そんなこと俺に言われてもなあ」


「ですよね……」


 困り果てた様子を見せる彩乃の全身を男は今一度確かめた。大学生くらいの年齢、整った顔立ち、ピンクの髪、身長170センチ強の男と同じくらいの背丈、メリハリのある体型、本格的なサイクルウェアに下着の派手な装飾を浮き出させる無頓着さ、隙だらけ。男はこの女をこのまま帰すのは惜しいと思った。


「おっと、そうだなー。お姉さん、このあとも配達あるの?」


「ここで一応最後なんですけど……、それってどういう……」


「じゃあさ――」


 男は玄関扉を開け、ドア板を背に立った。壁面とドアの隙間を埋める立ち位置。訪問者が去りにくい状況を作る、妙に慣れた動き。

 室内からは話し声とテレビの音が聞こえる。廊下と居室とを隔てるドアは、指ほどの隙間が開いたまま。彩乃が訪ねた部屋は通路の最奥部、疑似的な密室が作られていた。


「予定ないなら、寄ってかない? 届けられなくて廃棄するんなら、一緒に食べようぜ」


「いや、そういうことはちょっと」


「まあまあ、いいじゃない少しくらいサボったって。疲れてるでしょ、休んでいきなよ」


「でも、あの、えっと、戻らないとなので……」困りながらも笑顔を作る。


「そんなこと言ってよ、お姉さん結構遊んでるでしょ」


「ちがっ、違います。このあと、バイトがあるので本当に戻らないといけなくて。ごめんなさい」道を塞ぐ男を押し退けて進もうとする。


 男、彩乃の肩を掴んで制止。「なに、お金に困ってるの? だったら、いい仕事があるんだ。お姉さんになら教えてあげるよ、これも何かの縁ってやつだ」


「あのわたし、そういうつもりじゃなくて……」震えた声。


「これ、何かわかる?」


 男はシャツの裾を上げて、ズボンに挟まれた拳銃を見せた。1911系統のグリップとスライド後部。


「本物、じゃない、ですよね」おずおず尋ねた。


「本物だよ。痛い目見たくなければ、大人しくしてくれないかなぁ、お姉さん」勝ち誇ったように告げた。


「ひっ――」


「悪いようにはしないから」耳打ちする。「――騒ぐなよ」


「やめ、わかった、わかりましたから――」


 怯える声の後ろで、異音がした。金属の擦れる音。


 男には、その異音が拳銃のスライドを引く音だと思い至るわずかな間すら与えられることはなかった。彼の顎下をサプレッサーが撫でた次の瞬間には、40グレインの鉛弾が男の頭を掻き乱した。顎から一発、耳孔から一発。


 彩乃の手には拳銃が握られていた。FN502――使用弾薬.22LR、装弾数十五発、標準でサプレッサー対応銃身、光学照準器対応――〝悪用〟してくださいと言わんばかりのスペック。Dead Air Silencers製サプレッサー、Swampfox製ドットサイト、X300U‐Bフラッシュライトをトッピングされた完全武装ピストル。


 三日月彩乃は殺し屋だった。



 意識の絶えた男の身体が倒れてしまわないように支え、ゆっくりと横たえ、


「はぁ、わかりやすい小物。笑っちゃう」うんざりした様子で呟き、血で汚れてしまった手を男のシャツで拭った。


 念押しにか、あるいは腹いせにか、すでに拍動の絶えた男の胸に一発追撃。


 居室のほうに動きがないことを見、サイクルジャージの背面ポケットから新しい弾倉を取り出し、交換。残弾には余裕があるが念のため。古い弾倉はポケットへ仕舞う。薬室へ装弾されているか確認、親指でドットサイトを押してスライドを動かす。ハンマーが起ききっているかも確かめる。


 ばたんと、わざと音を立てて玄関のドアを閉める。共用廊下の音が遮断され、テレビの音と話し声が鮮明になる。

 玄関ドアと同様、わざと足音をさせながら塩化ビニル製の床材の貼られた廊下を歩く。姿勢を低くしつつも、足音が成人男性のものに聞こえるよう歩調をコントロール。


「おう、遅かったな」男が戻ってきたことを察知したか、居室から声。「なにし――」


 少し開いたままのドアの隙間、ソファーに座った男と彩乃の目がFN502に載せられたグリーンドットサイト越しに合った。

 次の瞬間には、男の眼窩に弾丸が叩き込まれていた。サプレッサーで減音された発砲音と銃の動作音は会話とテレビの音に溶け、男の仲間たちの耳には異音として認識されなかった。

 しかし、仲間の一人が突然意識を失ったことまでは隠せない。


「おい、どうした」


 動揺が伝わってくる。まだ頭を撃たれて死んだことには気付いていない。遅れて、倒れた男に近寄る動き。


 その間に彩乃、耳を澄ませ、室内の動きを探る。声と足音から人数と位置を計らう。男三人に女一人。近づいてくるのは一人。残る三人はドアからは遠い。


「どうした――――、ひっ、死んで――」


 状況に気付いたタイミングでドアを蹴り、居室へと飛び込んだ。

 死体を確認した女の背後をとる。女の背越しに室内の様子を確認。十帖程度のキッチン付きの部屋、ソファーにテレビ、折り畳みコンテナと段ボールの収納された金属棚、32インチのテレビ、マルチモニターPCの置かれたデスク、引き戸で隔てられた隣室にはベッドと床置きマットレス。生きているのは女を含めて四人。拳銃のようなものがテーブルの上に見えるが弾倉は挿さっていない。


「後ろだ!」「は?」


 男たちは腰から拳銃を抜くも、いきなりの襲撃と仲間の一人が射線上に立つ状況に判断が遅れてしまっていた。戦闘経験皆無の素人だから、という単純な理由もある。そして仲間ごと襲撃者を撃つという判断を下せるほど冷徹ではなく、そこまでの目的意識も覚悟もなかった。


 彩乃は女を突き飛ばした。男たちの意識が女へ逸れる。

 胸元に抱えるようにFN502を構えたまま、装着されたフラッシュライトを点灯。


「くそ、見えね――」


 フラッシュライトで照らされた先へと、.22口径弾を撃ち込んでいく。目眩ましと照準器の役目を果たす一石二鳥。


 映画に出てくるサイレンサーピストルのような静かな銃声が不気味に響く。弾倉内の十五発を撃ち尽くすと、立っている者は残っていなかった。


 痛みに喘ぐ声と、いびきのような水気の混じった荒い呼吸音が、テレビから流れるサッカーの実況に上書きされる。


 彩乃は周囲の様子を見、さきほどの使いかけの弾倉と空弾倉とをゆったりとした動作で入れ替えた。スライドを引いて、ロックを解除する。


 倒れ呻く男たちに、おもむろにトドメを刺していく。すでに息絶えた者にも急所へ一撃を入れる。頭に銃創がなければ、頭に。胸に銃創がなければ胸に。どちらか片方にしかなければ、もう一方の部位へ。両方に傷があれば、首か鼠径を撃った。念入りな殺し、生きて逃がさぬという確殺の意思。

 その光景に、


「ど、どうして……こんなことに――、頼む見逃してくれ」比較的傷の浅い一人が怯えながら言った。


「いやね、どうしてって言われても、仕事だから。わたしにはどうにもできないことだ。まあでも、大人しくクスリと裏ビデオを売るだけで我慢しとけば、こうはならなかったかもね」


「仕事……、俺たちも仕事だ。そうだ、取引しないか? 雇い主のことを話すから、命だけは……」


「そういうのは、ウチはやってないんだ」さっぱりと言う。「だいたい、情報が欲しいにしても、スマホとパソコンを回収できれば十分。あんたたちの証言なんて最初からアテにはしてないんだ。証言が必要なら、そもそもこんなふうに襲わないでしょ」


「や、やめてくれ――」


 じゃあね、と軽い口調で告げる。命乞いに構わず、弾倉に残っていた弾すべてを男に撃ち込んだ。

 一仕事終えホールドオープンしたスライドのロックを解除し、空撃ち。リモコンを操作してテレビの電源を切った。


「ふー、これでおしまいかな」


 彩乃は伸びをし、ウィッグを外した。頭を振って髪を広げる。ウルフカット、黒髪に緑のインナーカラーとメッシュ。ピンク色のウイッグとは系統の異なる派手な髪。


 FN502をバックパックへ仕舞って、電話をかける。端末を手近な棚の棚板に置き、ワイヤレスイヤホンを着けて、応答を待った。


「――ああ、三日月です。完了しましたー」


 通話しながら汚れたサイクルジャージとブラを脱いで、あらかじめ用意しておいた別のものに着替える。幾何学風パターンとグラデーションのサイクルウェア。


「――はい、そうです。……ええ、銃と爆発物」


 テーブルの上と、部屋の隅に転がる開きっぱなしのスーツケースを見やる。

 フルオート改造済みと推定されるオールドモデルのグロック17が六挺、大量のロングマガジン。トイガン用のカービンキット。炭酸飲料の缶やワインの瓶にプラスチック爆薬が充填された爆発物、手動式とタイマー式の起爆装置。この住所から近場の銀行数ヶ所と最寄りの警察署の見取り図、襲撃計画。


 男は、雇われた、と言っていた。だとすると、陰謀めいた面倒な動きが水面下でありそうな気配だ。とはいえ、そういった難しい話をどうこうするのは、いまのところは彩乃の仕事ではない。排除する必要のある対象を処理するだけだ。

 彩乃が属する組織のエージェントには超法規的な権限が与えられているが、それは破局的状況下においての話。平時においては「暗殺許可」を持つ不可視の便利屋系脱法法執行官L Eでしかない。


「はい、では――」通話終了。


 伸びをし、肩と腰を回した。

 デスクを漁り、この部屋の鍵を見つける。

 バックパックを背負う。部屋を出て、鍵をかけ、階段を降りていく。エントランスで、引っ越し作業員に偽装した処理班へすれ違いざまに鍵を渡す。


(さて、天気もよさそうだし、少し走ってから戻ろうか)


 彩乃は、愛用のグリーンカラーのロードバイクに跨り、マンションを後にした。

 暖かな日差しと、ピークを過ぎた桜、少し冷たい風が地面に積もった花びらを流す。春の穏やかな日だった。

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