■03: ボーダーライン(2)

――――

――

『パトちゃん。一分前、用意はOK?』


「はい」



 パトリシアは配置に就いていた。


 黒セーラーに赤色のカラータイツ、ナックルガード付きのグローブ、ニーパッド、トレイルランニングシューズ。黒セーラーの上から防弾プレート入りのハイスピードギア製プレートキャリアを纏い、得物は9mm口径のピストルキャリバーカービン。

 プレートキャリアにはSMG用のマガジンポーチと予備弾倉が三つ。腰のファーストラインにはサプレッサーとライト、ドットサイトの装着されたCZ P10ピストル、樹脂製ポーチに入った予備弾倉、ダンプポーチ。ポーチにはケーブルタイが大量に入れられている。



 大まかな作戦の手順では、パトリシアは「ヘルズゲート」ビルの裏口から突入することになっていた。コンクリート製の塀、シリンダー錠の取り付けられた門扉を潜った先にある、鉄製のドアの前で待機。


 監視カメラにがっつり撮られているが、気にしない。それが彩乃と決めた方針だった。

 敢えて自らの姿を晒して、敵に準備の機会を与える。女二人が二手に分かれて突入しようとしているという情報で油断も誘える、と彩乃や蜂須賀は言っていた。

 サブカル感のあるパトリシアの出で立ちも、本人の意図しない撹乱効果を発揮しているかもしれない。



 パトリシアは、手に持った9mm口径のピストルキャリバーカービンに初弾を装填した。セレクターをセーフに入れ、ドットサイトの電源をオンにする。


 GHM9――B&T社製の銃。HuxWrx製のサプレッサー、ROMEO4ドットサイト、ショートサイズのフォアグリップ、九時の位置にはリモートコード付きのピストル用フラッシュライトが装着されている。

 パトリシアの選んだ相棒がこの銃だった。



 深呼吸し、ドアを見るパトリシア。

 スマートコンタクトレンズには、ドアの直線上に二人の人間のシルエットが赤色で表示されている。心臓の位置にはスクエアドットが置かれ、手にしている武器も輪郭表示されている。さらには薄い色のシルエットやドットで地下への経路上に接続するいくつかの部屋や通路の角にも敵勢力の面々がいることや、突入地点に爆発物などの罠がないことも教えてくれる。

 そして、およそ対角線に位置する正面入り口方面に、彩乃の姿が白い輪郭線が強調表示されている。そちらにもそれなりの人数が待ち構える形で配置されているらしいことが見えた。



『30――』


 突入三〇秒前になると、一帯の通信がすべて不通になった。「組織」の作戦時の一般的な手順。


 彩乃と蜂須賀が言うには、敵はこちらのやり方を知っている。それを利用すると。襲撃の合図を教えることになるが、それでいいのだと。

 備えのない相手を追い詰めたら何をするかわからない。彼らを戦闘態勢にさせることで、目の前の敵への対処に意識を傾けさせる。そして、自分たちの想定どおりに事が動き出したと思い込ませる。


 その一環として、監視カメラには工作の類は一切せずそのままにしておく。

 突入者が女二人だと知れば、数的有利と地の利から、脅威を無意識に低く見積もり、侮る。敵がそうした判断ミスに気付く前に、圧殺する作戦。

 相手は三〇人以上いる。二人でそんなことができるのか不安ではあるが、やるからにはやるしかない。自分は彩乃が動きやすいように、半分囮になる覚悟でいる。



『10――』


 インカムから彩乃のカウントダウンが聞こえる。パトリシアは内心で復唱し、ハリガンツールを構える。スチール製内開きドアの隙間にフォーク部をあてがう。


『3、2――1』


 息を吐く。


『ゴー』


 パトリシアは、ドアの隙間にフォークを捻じ込み、ハリガンツールをドア面に向かって押し込んだ。絶叫にも似た鉄の軋む音が響き、甲高い音をあげボルトがひしゃげていく。パトリシア自身も耳を塞ぎたくなる最悪なノック。

 一度では開放できず。もう一度、ハリガンツールを手前に引き、押し込むと、一際大きな音を立てて、錠は機能を失った。

 鍵が壊れたことを確認したパトリシアはサッと身を引いた。


 直後、ドアから雹がぶつかるような激しい打撃音がし、瞬く間に何十もの小さな穴が空いた。ビルと道路を隔てるコンクリート製の塀には、弾芯がへばりつき、地面にはコンクリートの破片と弾頭片、花弁状に変形した弾丸の被覆が積もっている。

 待ち構えていた「ヘルズゲート」構成員が発砲した。


 パトリシアは歪んだハリガンツールを捨て、GHM9のドットサイトが点灯していることを確かめ、セレクターをファイアポジションに切り替えた。


 わずかに身を乗り出し、様子を窺うパトリシア。硝煙でうっすらと煙る通路、蛍光灯の光が帯のように垂れ下がっている。

 その中を、扉へと近寄ってきている武装者が二人いることを視認。マガジンポーチ付きのプレートキャリアを身に着け、自動小銃を構えている。彼らの持つ自動小銃はガリルACE31。8.5インチの短い銃身から、市街地や室内での戦闘を想定していると思われる本気寄りの装備。サプレッサーとドットサイトまで装着され、気合が入っているのが見て取れる。7.62×39mm弾を用いる軍用銃は、パトリシアの装備と比較して圧倒的に高火力。


 パトリシアは半ば無意識に息を止め、半開きのドアに身体を滑り込ませた。身を低くし、数発撃つ。

 命中はしなかったが、敵の一人の横を掠め、壁に穴を開けた。

 構成員は、間近を銃弾が通り抜けたことに、俄かに委縮し、迎撃のための反応が遅れた。自動小銃を構え直し、侵入者へと照準を合わせる。


 パトリシアから直接見えている敵は二人。遮蔽はなし。正面は突き当たりで「T」の字に横へ廊下が伸び、そこへ至るまでの5メートルほどの間に部屋はあるが、施錠の有無は不明。下手にカバーするよりも、突っ込んで、無力化してしまったほうがいいかもしれない。パトリシアはそう考えた。



 一息に駆け、二人に肉薄するパトリシア。

 構成員は自動小銃をパトリシアに向けるが、パトリシアはその懐に潜り込み、超至近距離で片方の男を撃った。GHM9から放たれた四発の9mm弾が男の鳩尾付近に叩き込まれ、防弾プレート越しに確かな衝撃を伝える。


 亜音速の拳銃弾がライフル弾対応の防弾プレートを貫通する可能性はゼロだが、それでも被弾すればショックとストレスで心身に影響が出る。防弾があったから助かったことよりも、なかったら死んでいたという意識のほうが被弾者により強い印象を与えるだろう。


 撃たれた男は、ふらつきながら後退った。

 パトリシアはさらに二発撃った。

 被弾のショックは彼の動きと思考を一層鈍らせる。男は悪態を吐き、手放してしまった自動小銃を再び構えようと、スリングを手繰る。逃げるか、銃に頼らずパトリシアに掴みかかれば場を切り抜けられたかもしれなかったが、武器に固執してしまっていた。


 パトリシアは、狙いをもう一人に切り替え、二発刻みで二回撃った。

 二発が腹、一発が上腕に中り、被弾した男が悲鳴をあげた。怯んだ男を蹴り飛ばす。床を跳ね、突き当たりの壁にぶつかって動かなくなった。ヤニと埃で薄汚れ、壁紙も剥がれかけた壁面に頭や肘、自動小銃がめり込んでいる。おそらく、命に係わるダメージを与える蹴りだったが、パトリシアは気にしないことにした。


 被弾のショックでまごついている最初に撃った構成員も殴って昏倒させてから、ケーブルタイで手足を拘束した。自動小銃からは弾倉を取り去り、薬室の弾も抜いておく。念のために、構成員から遠い位置に滑らせ、再利用に手間がかかるようにする。



 曲がり角に張りつき、様子を窺う。

 パトリシアの耳に複数の足音と声が届く。数は四。スマートコンタクトレンズの情報と併せても、間違いない。

 味方の銃とは異なる銃声に、待機していた他の「ヘルズゲート」メンバーが集まってきている。

 二階への階段上にも陣取っている。が、パトリシアの目標地点は地下階。二階の敵は下りてこないのであれば、相手する必要はなかった。


 正面入り口の方向からも減音された銃声が聞こえてきている。彩乃のものと敵のものの二種類。

 敵の動きも、多少の混乱が見られるものの当初の持ち場を極力離れないようにしていることが、「ウォールハック」で見て取れた。


 そうとなると、現在のパトリシアへの脅威は、駆けつけてきた四人。彼らは、大丈夫か、などと声を投げている。

 四人の「ヘルズゲート」構成員たちは、壁にめり込んでいる男を助けようと、近づいてきている。一人が先行し、自動小銃を構えながらパトリシアのいる方向へ回り込んできている。


 その先鋒たる構成員の影が角の向こうから伸びているのがパトリシアには見えていた。スマートコンタクトの拡張表示でも、敵方の動きは見えているが、影も併せて、まるわかりだった。

 しかし、当の先鋒は床に落ちる己の影に気付かないまま、コーナーに寄り、素早く奥を覗き込んだ。

 突き出たサプレッサーをパトリシアは掴んだ。

 まさか銃を掴まれるとは思っていなかったのか、あるいは想像していたよりも敵が近くにいたことに驚いたのか、構成員は身を強張らせ、反応が遅れた。反射的に引き金を引いてしまうことすらできなかった。

 パトリシアは、スリング付きの自動小銃ごと構成員を引き寄せ、組み伏せた。その流れのまま、構成員の頸部を圧迫し、絞め落とす。



 仲間が曲がり角の向こうに吸い込まれるように消えた。

 その予想だにしない動きに後続の三人は、動きを止め、銃口を通路に向けた。背後の味方が前方を見張りながら、パトリシアのいる曲がり角に近い構成員から後退していく。


 彼らは、下手に動き回るより襲撃者が突っ込んでくるのを待ち構えることにした。フラッシュバンにさえ注意しておけば一人相手に負けることはないと踏んだ。すでに三人が倒されていることは楽観視できない情報ではあるが、場所は狭い通路、前に向かって撃ちさえすれば、外れることはない。7.62×39mm弾が一発でも中れば、無事では済まないだろう。


 そう考えながら、視線をコーナーに注ぎ、引き金に指を張りつける。唾を飲み込み、微動だにせず、侵入者が動くの待つ。三人の構成員は、内心で「来い、来い、来い」と繰り返し、張り詰めた精神を保っている。




――

 しゃがみ、曲がり角の向こうの様子を窺うパトリシア。

 スマートコンタクトレンズに投影される透視画像は、三人の構成員が通路の先で待ち構えていることをパトリシアに教えてくれている。角から飛び出せば、自動小銃が一斉に火を噴くだろうことも。

 パトリシアはパトリシアで、興奮と緊張に身震いしていた。息を吐ける時間ができてしまうと、様々な感情が頭を巡ってくる。

 相手方の武器はこちらのものよりもずっと高火力だ。狭い廊下で急所に被弾しないようにしながら、相手を制圧しなければない。難しい問題だった。

 面倒臭さと不安にふらふらする。


 フラッシュバンを持ってくればよかった。

 そう思っても、もう遅い。



 身を乗り出し、二発撃つ。

 即座に、苛烈な反撃。まるで散弾銃で撃たれたかのように、出隅が抉れ飛んだ。パトリシアは、堪らず体を引いた。


 パトリシアは、ふと怖くなった。

 しかし同時に、苦痛とも高揚感ともつかない感覚が湧いてきた。宙に浮かんでいるかのような、不快感一歩手前のむず痒さが神経を撫でる。義肢の付け根がチリチリと痺れ、胃と腹がまるで絞られているかのように苦しい。しかし、それでいて、仄暗い喜怒の情も脳裏を渦巻いてもいた。心拍数も跳ね上がっている。命の危険と緊張が心身に影響を与えていた。

 ゆっくりと息を吐いて、気を落ち着かせる。冷静になれ、と己に言い聞かせる。正直、怖いし面倒だが、いまの自分には脅威を排除できる力がある。

 パトリシアは、再度、キルゾーンに飛び込む意志を固めた。



 角から躍り出るパトリシア。

 その瞬間、弾丸がパトリシアに殺到する。左右の壁に交互に寄りながら、銃弾の発射元へと向かう。フルオートと数発刻みのバースト射撃が、パトリシアを追いかける。途切れることなく、弾丸がパトリシアへと浴びせられていく。

 パトリシアの腕を弾丸が掠めた。袖が千切れ、義腕の表層が抉れる。しかし、義腕の機能には全く影響しない。



 パトリシアはライフル弾対応の防弾プレートを装備している。

 プレートキャリアのサイズの都合で下にはフィッティングも兼ねた衝撃吸収用のパットを仕込んであり、胴体に被弾してもダメージを抑えられる。義腕義足のパトリシアに有効打を与えるには、義肢も防弾プレートもない首から上か下腹に弾を中てるしかなかった。

 しかし、パトリシアの身体のことなど、「ヘルズゲート」構成員たちは知りもしない。



「なにやってんだ! もっとちゃんと狙え!」


「やってる!! ああ、くそ、動き回りやがって」


 弾丸の雨に怯まず突っ込んでくる少女兵に、構成員たちは恐慌する。迫り来る眼前の敵に焦燥と恐怖が募る。

 パトリシアにもその感情が伝わってきた。お互いに、この数秒、5~6メートル程度の距離が何倍もの時間と距離に思えていた。

 やけくそになって乱射する構成員。三人ともがフルオートで弾丸を垂れ流した。

 ついには、何発かがパトリシアの脚を抉り、胴にも数発中った。

 しかし、パトリシアの動きは止まらない。


「いま、中っただろ! 中ったのになんで――」


 間違いなく命中したはずなのに怯みもしない少女に狼狽する。その男に、パトリシアは跳び蹴りを入れてノックアウトした。

 パトリシアは、すぐさま、隣にいた構成員に向けて銃を撃った。一発が銃に命中、跳弾し、壁に刺さった。一発が前腕を掠め、三発が胸に中った。撃たれた構成員は、被弾のショックと緊張で失神し、膝から崩れ落ちた。


「ひっ――」


 小さく悲鳴をあげ、最後の一人が逃げ出す。

 パトリシアは脚を狙った。数発撃ったうちの一発がふくらはぎを穿ち、転倒した。命乞いしながら、這いつくばる。パトリシアが近づくと、ホラー映画の被害者の如く恐怖に引き攣った表情のまま、気を失った。

 パトリシアは、気絶した男の手足をケーブルタイで縛って、そのまま床に寝かせた。先にノックアウトした二人も、同様に拘束。


 事を終えたパトリシアは周りを見回した。視界にオーバーレイされるスキャン情報では、一階部分に動ける敵は残っていない。彩乃も二階へ移動し、交戦しているのが見える。


 一度、肩の力を抜いて、小さく深呼吸する。硝煙の匂い混じりの空気が、粘膜を刺激する。気付け薬代わりにちょうどよいかもしれない。

 落ち着くと、今度は汗で濡れた生身の部分が気になってくるが、まだ仕事は終わっていないと、気を引き締め直す。



 パトリシアは、地下への階段を降り、踊り場から覗き込んだ。

 階段を降りきった先は、三帖ほどの空間になっており、ゴミ箱や掃除用具が置かれている。そして、地下室へと繋がるドアが一つ。

 地下の人数はスキャンが正しければ、六人。うち一人は想定人質。


 突入前に、GHM9から弾倉を抜いて残弾を確認する。

 弾倉内の残りは一発。弾数を気にしていなかったことに、いま気付いた。

 新しい弾倉に交換し、薬室もチェックする。ファーストラインのピストルや予備弾倉などの装備がきちんと残っているかを確かめる。さきほどの被弾でGHM9用の予備弾倉が二つ破損してしまっていた。残りはいま銃に挿入されている弾倉だけ。ピストルと拳銃用予備弾倉は無事。



 ここまではうまくできたのだから、最後までやれる。やってみせる。

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