再開分最新話
■03: ボーダーライン(1)
■
制圧した武装者たちをケーブルタイで拘束し終えたパトリシアは、顔を上げ、周囲の様子に目を向けた。
通路に満ちる硝煙に、血と鉄、真鍮の匂い。煙は空調にかき回され、投影された光が躍っている。
俄かに増した湿度、煙る空気が身体に纏わりつく。硝煙が目、鼻と喉を引っ掻き、呻きと嗚咽が耳を撫でる。飛び散った血肉、虫食いだらけの壁、散乱する薬莢、破壊された調度品や設備。誰の目にも明らかな銃撃戦の現場。
汗ばんだ肌の湿っぽさや冷たさが、不快感と息苦しさを強めた。戦闘状態が終わり、世界に色が戻ったと思えば、すぐにまた彩度が失われていくような感覚に酔いかける。まだ現場に慣れていない自分に情けなさを感じてしまう。
雑念を振り消すように、パトリシアはつかつかと通路を進む。とある部屋を目指して、まっすぐに。周囲に戦える状態の敵がいないことは、各種センサーによるエリアスキャンで把握している。
目的の部屋には一人、誰かがいる。その人物は銃撃戦の最中にも、一歩たりとも動くことはなく、その場に留まっていた。戦闘前から、小部屋にいるのは作戦目標の人質だと想定して動いていた。心拍センサーが捕捉するバイタルサインと現場に漂う悪臭じみた雰囲気から想定が間違っていなかったことはすぐにわかった。
ドアノブに手が触れたところで、パトリシアは動きを止めた。
嫌な感じがした。覚えのある匂いと空気感が扉から漏れ出ている。それに当てられ、パトリシアは動けなくなった。最悪の懐かしさ。皮膚の下を虫が這うような感覚、耳鳴り、視野狭窄に眩暈、そして吐き気。一拍置いて、目の前にあるはずのドアがひどく遠くにあるように思え、自分の腕が何メートルにも伸びた感覚に襲われた。
このドアの先の光景を自分は知っている。
確かめたくない。いっそ、何もなかったことにして去ってしまえたら、と思った。
しかし、スマートコンタクトレンズに映し出された情報は、扉越しに生命活動の存在を教えている。
ドアを開けたところで、自分に何ができるだろうか。このまま任務を遂行できるだろうか。冷静でいられるだろうか。以前のように、吐いてしまわないだろうか。
事前情報で、人質は尋問を受けていると伝えられた。言葉を濁してはいたが、実態としては拷問に近い行為が行われただろうことは、パトリシアにも察せられた。
嫌な光景を想像して、思考がまとまらない。
だとしても、
進むしかない。ここで進めなければ、自分はずっとこのままだ。彩乃たちに迷惑はこれ以上かけられない。いつまでも初仕事での殺しのショックを抱え続けているようでは長く生きられない。遅かれ早かれ、乗り越えなければならない事柄は出てくる。
それが今日だ、と――パトリシアは一人、決心した。
ドアノブを握る手に力を込めた、
その瞬間、パトリシアの肩が叩かれた。
■
――八時間前/渋谷支部事務所
「仕事の依頼です」
事務所に集められた彩乃、猫澄、パトリシアに蜂須賀が告げた。
彩乃はキッチンスペースの換気扇の下で煙草を燻らせ、猫澄はソファでスマートフォンとタブレットを弄っている。パトリシアはカウンター席にちょこんと座り、真面目な面持ちで説明を待っている。
「決行日は?」彩乃が尋ねた。
「今日――、今夜です」
「うへ、いつもながら急だぜ」猫澄がわざとらしく肩を竦めてみせた。
「その分、報酬は多めだから。いつものように、ね」
「よし、お財布が寂しかったんだ、助かる」猫澄が小さくガッツポーズをした。
「――?」パトリシアは猫澄を不審そうな目で見た。
先週も仕事があって、その報酬も数日前に渡されている。
新人のパトリシアの報酬ですら、都心部で一ヶ月生活しようと思えば足りる程度の額があった。
猫澄の金だから、どう使おうが猫澄の勝手ではある。しかし、パトリシアがチームに加わってから、猫澄はずっと金欠だった。何に使っているのか、疑問に思った。配属されて以降のパトリシアの一般に浪費ともいえる購入物は、メトロノームと振り子の玩具、サメのぬいぐるみくらいだったため、なおのことだった。
パトリシアの疑問を代弁するように彩乃が言う。「ネコ使いすぎ。またゲーム? 水着キャラにはまだ早くない?」
「花嫁イベがあるから。今年は推しキャラで大変大変」
猫澄はゲームに大金をつぎ込んでいた。複数のゲームを並行してプレイしており、新しいキャラクターやアイテムが実装されるたびに、それらを〝完全〟にするまで有料アイテムを購入していた。それ以外にも配信者に〝投げ銭〟したり、偽装IDで馬券を買ったりと、金を泡に変える勢いで浪費していた。
「だいたいね、こっちは宝くじ買えば必ず高額当選するような運のいい女と違うんだよ」
彩乃は首を振ると、煙草を咥えた。
「はいはい注目してくださ~い」
蜂須賀が両手をひらひらさせる。三人の視線が蜂須賀とモニターに集まったことを確かめると、部屋の照明の光度を下げた。咳払いをし、説明を始める。
「今回の任務は、救出任務になるわ。対象はこのエージェント」モニターに顔写真が映し出される。「鈴江葵――潜入捜査中に連絡が途絶え、消息不明。五日の空白期間ののち、いまから一〇時間前に救難信号を確認、と。バイタルサインも確認できたことから、少なくとも生きてはいることがわかっています」
バイタルサインを分析すると厳しい責問を受けていることは明らかだが、と言い添える。
パトリシアは画面に映る女性の顔を見つめ、記憶を辿っていた。ターゲットの人物に見覚えがあった。
「あれ……この人……」
「知ってるの?」
「三年くらい前まで同室だった人です。情報部に配属されたって聞きましたけど、こんなことになってるなんて……」
思い返せば、こちらを勝手に妹扱いして可愛がってくる少し騒々しい人だった。若干鬱陶しくもあったが、嫌いな人ではなかった。ふと、パトリシアは感傷的になる。
「そうなんだ。任務降りてもいいよ?」彩乃が小声で告げる。
「いえ、平気です」
「ま、降りるかどうかの判断は、彩乃さんと侑加さんもですけど」蜂須賀が言う。
「そういって、拒否権とか実質ないくせに」
蜂須賀は苦笑いしてみせる。
続けて、と彩乃が促す。
「ええ。……えっと、彼女と同じ任務には、あと二人就いていたのだけど、その二人とも連絡が取れない状況」
画面が切り替わり、二人の写真が映し出される。長谷川という男性エージェントと鴻巣という女性エージェント。
「端末の追跡もできていないとのこと。おそらく意図的にネットワークを遮断しているよう。救難信号と同時に受信したログを見ても、長谷川と鴻巣の両方が同時に鈴江の端末とのデータリンクから消失していて、その後に鈴江のバイタルに変化が起きているので、この二人のどちらか、あるいは両方が裏切り、鈴江は捕まったと考えられるわ」
「もしかしたら、鈴江葵こそが裏切り者で救難信号も罠という可能性もなくはないけど、そんなことを考えたらキリがない、よね?」
「どのみち、目標地点は掃討するわけだし。情報部の人質救出チームじゃなくてウチらが担当するってことは、人質だろうが裏切り者だろうが〝処理〟しろってことだろうしね」
「救助じゃ、ないんですか」パトリシアが尋ねる。
「いや、助けられるに越したことはないよ」
「そういうこと。長谷川と鴻巣が離反者で鈴江葵を救助対象という仮定は崩れないし、そういうつもりで作戦を進める。そうだよね、凪子さん」
蜂須賀は頷く。
つられてパトリシアも頷く。
続けるわね、と蜂須賀は一同を見回して、端末を操作した。
画面が切り替わり、三階建ての建物の写真が映し出される。何の変哲もない都内によくある中層ビル。
「救難信号は、このビルから発信されています。一棟全部が『ヘルズゲート』という名前の会員制バーとして運営中」
「ひでえ名前」猫澄が茶化す。
「控えめに言って、かなりいかがわしい『特別な』会員制のバーですからね。住所と名前で検索しても出てこないけれど。一応、住所で調べて出てくるのは少し古い情報で『ヘルズゲート』の前に同じ建物で経営していた会員制のバーのものね。こっちはまだ健全だったみたい、摘発されて閉店してるけど」
「それはいかがわしいのでは?」
「『ヘルズゲート』は比べ物にならないくらい普通にヤバいことやってるお店ってこと。売買春や薬物取引は当然、人身売買や殺し屋紛いのこともやっているみたい。それに加えて、テロ組織との関わりがある可能性が高いらしくて……帝都大学の監視対象サークルの関係者をはじめ、複数の監視対象や要注意人物が出入りしているのが確認されたから、潜入捜査中だったみたい」公安も目をつけていたと、蜂須賀は言い添えた。
「それで、現在そのビルの表向きの所有者は通信販売会社で、案の定事業の実態はなかったわ」
典型的なペーパーカンパニー。
続いてスライドには画質の粗い人物写真や武器類の写真が写されていく。いずれも暗がりで手早く撮影されたと思しきノイズの多く乗ったいかにも隠し撮りといった趣。
「暫定裏切り者の報告だから信用度はあんまりだけど、どうも戦闘の教育係がいて訓練を積んでいるそう。なんか教官役は元特殊部隊とかいう経歴らしい。情報部が関係各所の情報を漁ってるところ。でも裏は取れてないって。何年か前にタクティカルトレーニングの講師をしていた人物がこの教官と同一人物である可能性が高いみたい。そうすると、件の人物は元警察で銃器対策系の部隊に所属していたようなので、特殊部隊出身というのは完全な吹かしってわけではないかも。……経歴の真偽はともかく、一応プロ寄りの指導者がいて多少なりとも訓練を受けてるというのは事実。武器も自動小銃やレベル3の防弾装備が戦闘員全員に行き渡るくらいには用意してあるって話。実際の練度は不明ではあるけど、割と気合入ってる感じなのは厄介かも。あと特筆すべきところとしては機関銃とか、爆発物も手榴弾とか梱包爆薬以外にRPG‐26やらRPOなんかも持ってるみたい」
「なんか変な感じ。……なんというか、テロってより戦争ごっこ、いや過激なサバゲ―がしたいのかね」
「迷惑すぎる」
「テロ組織と関わりがあるって話ですけど、この『ヘルズゲート』自体は現時点では目的意識や主張みたいなものがあんまり見えてこないから、たしかに気持ち悪い感じがします」
「だね。でも、放っておけばテロ紛いの事件を起こすのは間違いない」
これ以上、芽を育てるわけにはいかない。
「敵勢力が重武装である可能性が高いことから武器の制限はありません。でも、周りが普通に街なので、あんまり派手にはしないでね。一応、周辺は情報部や公安でカバーするとはいえ」
彩乃たち三人は頷いた。
パトリシアは緊張してきた。
「彩乃さんとパトリシアさんが突入チーム、侑加さんが狙撃支援でいい?」
「ええ」彩乃が答える。猫澄も頷いた。
「侑加さんは、狙撃・監視用にビルをいくつかピックアップしてあるので、好きな場所を選んでおいて」
「りょ」
猫澄は仕事用のタブレットPCに指を走らせ、場所選びを始めた。ブツブツと呟きながら、指で宙に何か描いている。
続ける蜂須賀。「情報部も周辺にエージェントを配置して支援する予定ですが……」
「戦力として勘定には入れないほうがいいって?」
「そう。飽くまで監視と民間人の制止、そして後処理が任務なので。それに、敵方には情報部の端末が最低でも三つあることになるから、情報部側の動きは漏れていると考えたほうがいいからね」
「どうせなら、不自然にならない程度にわざと作戦を漏らして、相手に待ち構えさせよう」
「そう言うと思ってたわ」
「えっ、そんなことして平気なんですか。逃げたりとか」不安げなパトリシア。
「こいつらは逃げたりしないよ」
彩乃には確信があった。
ヘルズゲートを根城にしている反社会勢力は暴力を振るいたいだけだ。その機会をテロ集団に協力する形で得ようとしている。むしろ、テロリストに加担することで傭兵を気取ろうとしているのだろう。こういう手合は「実戦形式の練習」で自信をつけたがるし、見せびらかすための実績を欲しがる。
それに、これは挑発なのだ。向こうから売ってきた喧嘩でもある。彩乃だけでなく、蜂須賀と猫澄もそういう認識だった。
「不安ならパトちゃんはお留守番でもいいよ」
「……いえ、行きます」
そう答えたパトリシアの表情は、いつにも増して硬かった。
しかし、彼女は不安や恐れよりも、光莉の一件以来になる大きな戦いがありそうな仕事に暗い高揚感を抱いていた。今度こそ、上手くやって、自分がウェットワーカーとして十分役立つことを示したい。そう考えていた。
「――じゃあ、再度確認です。彩乃・パトリシアが突入。出入口は正面と裏口の二箇所あるけど……」
「単独で、それぞれ突入する」
「わ、わたしもそれで平気です」
「そう、わかった。……では二手に分かれて単独で突入。猫澄が監視と狙撃支援。情報部が周辺警戒と封鎖を行います。突入チームにはドローンとセンサーの使用許可が下りています。これは渋谷班のみに情報共有する設定で、情報部のシステムからはアクセスできないようにしてあります。もし可能なら何人か捕縛してほしいけれど、基本は掃討のつもりで動いて構いません。……あと大事なことは、突入する彩乃さんとパトリシアさんは死なないでね」
頷くパトリシア。それを見て、蜂須賀は頷き返した。
「――説明は以上です。移動時間まで待機」
事務所から自動車で現地まで移動する。その時間まで、およそ七時間。この時間で装備や精神を整える。
■
――作戦区域付近/二三時四〇分
現場付近の路地に自動車を停め、彩乃とパトリシアは作戦開始時刻を待っている。自動車は国内メーカーの軽ハッチバックで車体カラーは淡いブルー。
「事前調査のマップと変わりはなさそうね」
「覚えたのは無駄にならなそうでよかったです」
彩乃とパトリシアのタブレット端末には「ヘルズゲート」の内部構造が三次元のワイヤフレーム画像となって映し出されている。
画面端のアイコンをタップすると、構造画像に人型のシルエットが重ねられた。建物内部の生体反応の位置を示している。
これらの画像は観測用ヘキサコプター二台と地上に設置した観測機材でのスキャンを基にしている。複数の観測手段を用いることで心拍センサーだけでは捕捉できない対象の頭部や四肢の動きを描画でき、建物内にいる人間の人数と配置、姿勢がリアルタイムに反映される。さらにハッキングした移動通信端末の電波を利用し、精度を高めている。
スマートグラスやスマートコンタクトレンズを用いれば、壁越しに人間の位置を透視することも可能で、猫澄はそのことを「ウォールハック」などと茶化している。シューターゲームで、本来は視認できないはずのオブジェクト越しのプレイヤーを透視できるチートになぞらえている。それくらいインチキなシステム。
「ここが〝救助〟対象者のいる部屋ね」
彩乃は椅子に座っていると思わしき人物をペンでタップした。地下の一室、奥まった位置にある部屋。建物内の生体反応の中で衰弱していると思しき反応はこの人物だけだった。
「やっぱり地下、ですね」
彩乃もパトリシアも人質は地下階に囚われていると予想していた。
「うん。それで、端末の位置はここ」
救難信号を発し続けている鈴江葵の携帯端末とスマートウォッチは二階にあった。
彼女の端末群は依然としてバイタルをモニターし続けているが、別の人間にすり替えたか、データ自体を改竄しているようだった。罠にするつもりだったのだろう。
「パトちゃんはどっちに行く?」
「どっちって……」
「地下か二階か」
「……えっと――」
「なら、わたしが上ね。パトちゃんは鈴江葵を」
「ぁう、先輩、自分で聞いておいて。まあ、いいですけど」
「じゃ、わたしは一服してくるから」そう言い、彩乃は車から降りた。数メートル先の軒下で煙草に火を点けた。
パトリシアは彩乃を目で追ってから、タブレット端末に目を戻した。作戦開始時刻まで、あと四〇分強。
頭の中で動きをシミュレートする。
相手は防弾装備。自分の手持ちの武器では防弾を貫通することはできない。頭に中てさえしなければ、致命傷まではいかないはず。怯ませてから殴り倒せば、死なせずに無力化できるだろう。
なぜか、殺すことへ躊躇いを覚えてしまっているが、別に撃てないわけではない。むしろ、頭部を避けさえすれば、高確率で殺さずに動きを鈍らせられる。場合によっては、防弾越しの被弾だけで制圧できる。いま現在の自分には、むしろ戦いやすい相手のはずだ。
大丈夫、わたしはやれる。
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