■01: ウェットガール(3)
彩乃は、作戦地付近のコインパーキングにSUVを停めた。
時計を確認。午後七時三十分過ぎ。
難しい顔で外を眺めているパトリシアへ言う。
「
パトリシアは指示どおり、ITISを起動した。
利き手に着けたスマートウォッチにオレンジ色の四角い枠が表示された。スマートコンタクトレンズを介して視界にイメージが重ねられている。注視すると時刻や位置情報、気温、湿度といったデータが映る。心拍数や血中酸素量、皮膚温などの項目もあるが、「N/A」となっていた。
彩乃を見ると、右手のスマートウォッチとファーストラインのポーチに収納されたITIS母艦とに青色の枠が表示された。生理状態も併せてオーバーレイされている。ふと彩乃の心拍数に目をやると、五十前後で安定している。対して自分の心拍数は、体感でわかるくらい早い。緊張もそうだが、どちらかといえば期待、興奮が心情の多くを占めていた。
「緊張するのは悪いことじゃないよ。ただ、もう少しリラックスね」彩乃はパトリシアの緊張を解そうと声をかけた。「近くにコンビニあるから何か飲み物でも買う?」
「いえ、大丈夫です」
「そうだね。猫澄に怒られるね、二人で寄り道なんてしてたら」
パトリシアはどう反応していいのかわからず、首を傾けた。それを見て、彩乃は小さく笑った。
「リュックはわたしが持とう」
「いえ、平気です」
「ああ、違う違う。こっちが背負ってれば、リュックを下ろさないで中身が取り出せると思うんだけど、どう?」
「なるほど、連携っぽい」
「でしょ」
――
「配置に就いた」インカムへ告げる。「見える?」
『見えてる』猫澄の通信。
彩乃とパトリシアは、運河沿いに位置する廃業後そのまま放置された製造所、その敷地内に積まれた廃タイヤとドラム缶の陰に身を潜めていた。
障害物の向こう側には、ガラの悪い男たちが集まり、何かが来るのを待っている。男たちの乗ってきただろう自動車のヘッドライトが広場を照らしている。
情報では、この場所で武器取引が行われる予定になっている。彩乃たちの仕事はその武器取引を手段と結果を問わず不成立にすることだった。本来であれば警備警察の仕事だが、そうもいかない事情があった。悪事を取り締まるにも、作法がある。彩乃たちは、それをブラインドできる。
それにしても夜の八時、九時に武器取引をするというのもかなり大胆なことをするな、と彩乃は思った。近くには高速道路もあるし、鉄道の駅もある。
彩乃は、準備するように、と背負ったリュックサックを指した。パトリシアは「失礼します」と小声で断り、リュックサックからMDP9を取り出した。リュックへの納まりがよくなかったために外しておいたサプレッサーを取り付け、弾倉を挿し込む。
「猫澄先輩はどこに?」ふと尋ねた。
「右、川向こうの建物の屋上」
パトリシアは彩乃が言った方向を見た。対岸のビルの屋上に青いタグが浮かんでいる。目を凝らしてみると、タグの横に人影が見えた。100メートルと少しくらいの距離だが、夜の闇も相まって、そこにいるとわかっていなければ、気付くことはなかっただろう。
「スナイパーだったんですか」
「いや、ロールをつけるならスナイパーじゃなくてサポーター。狙撃が専門ってわけじゃないよ」
おそらくパトリシアのほうが射撃の腕は上だろうと、彩乃は言い足した。
/
ビルの屋上。猫澄は、ジョイスティック式ボール雲台の取り付けられたカメラ用三脚に接続したライフルを望遠鏡のように扱い、眼下の、かつては町工場の駐車場か資材置き場に使われていただろう場所を監視していた。
猫澄が望遠鏡代わりにしている銃は、Q社のMini Fix。ストックを畳めば、バックパックに難なく入るほどの小ささの短銃身ボルトアクションライフル。銃と同じメーカーのチタン製サプレッサーと、日本メーカーの1‐10倍の倍率可変ショートスコープが取り付けられている。
スコープの前には戦術装備が置かれている。見た目から想定される暗視と測距機能のほか、ITISと連動して情報をゲームのHUDのように表示できるハイテク機器。これは機能制限のあるロープロファイルモデルだが、フル機能版は予測弾道の表示や目標の軌道予測など、未来視に近い芸当が可能だ。
「こっちから見えるのは八人。そっちは?」
ライフルにはまだ弾倉は挿さっておらず、未装弾の状態。彩乃からの許可があるまで武器に弾は入れないでおくことにしていた。個人的な信条で、隠し持っている拳銃にも空の弾倉を挿してある。
『ちょっと待って…………、こっちから見えるのも八人。マークして。見えてる八人が同じか確認する』
「りょーかい」
戦術装備のスキャンモードを起動する。見えている八人を順にスコープの中央に収めて、トリガーを引く代わりに端末を操作する。照準点を合わせた箇所に、赤色の四角いマークが表示されていく。マークされた対象は、戦術装備のセンサーの有効角度にいる間はリアルタイムでタグが追随する。そして、その情報は猫澄のチームメイトである彩乃とパトリシアにも共有される。
『確認した。見えてる八人は、そっちと同じ』
『あの、バット持ってるのがいますけど、要注意目標ですか?』
『他に武装らしい武装してる人がいなければ、そうなる』
「どうせナイフの一本や二本くらいは持ってるだろ。ま、銃持った相手に斬りかかったり殴りかかったりするような度胸があるかっていうと、どうだろうね」
『たしかにそうですね』
ふっと、会話は途絶えた。取引の予定時刻が近い。
一旦、スコープから目を離し、俯瞰する。左折して現場に入ろうとしている車両が見えた。
「商人側が来たぞ。2トントラックと黒のSUVが一台ずつ。そっちから見えるか」
/
猫澄の報告を受け、彩乃は遮蔽から軽く乗り出し出入口の様子を窺った。パトリシアも恐る恐る頭だけをドラム缶の山から出して、覗き見る。
「見えた」
すぐに身を隠す二人。
パトリシアは、俄かに胸が熱くなるのを感じた。見つからないかの不安と焦り。そして、いざ本当に仕事が始まるのだと思うと、気持ちが上擦りがちになる。
『車から降りた。五人。マークする』
赤い正方形のマークが五つ追加された。
「確認した」
障害物越しに、マークが移動している。
『一人は交渉役か、スーツ着てる。で、あとの四人はプレキャリ着てるな。プレート仕込んでるかはわからないが――』
彩乃が廃タイヤとドラム間の山の隙間から窺った。スーツを着た男が、チンピラのリーダー格らしき男と握手し、話し込んでいた。その間に、トラックの荷台から木箱が一つ降ろされた。中身を確認するよう言っている声が、彩乃とパトリシアの耳にも微かながらに届いてくる。
『ライフルを持ってるやつが二人。ガリルっぽい。ワンポイントで吊ってる。なんかの講習受けた感じ、プロでもないが、受け取り側のチンピラほどの素人ってわけでもなさそう』
猫澄の報告に合わせて、視点を移す。彩乃も自動小銃を持った取り巻きを視認。
商人側の二人にドクロマークが追加された。脅威度の高い目標として区別。
彩乃は溜息を吐いた。「たしかに、面倒臭そうだ」
見た感じ商人側のコスプレ感は拭えないが、装備は本物だ。武装しているだろうことは想定の範囲内だったが、防弾装備を身に着けている可能性は考えから抜けていた。本当にプレートキャリアに防弾プレートを仕込んでいるかはわからないが、この場合プレートありだと見做したほうがよい。
(もっと強いのを持ってくればよかったか……)
彩乃は腰の.22口径拳銃FN502を指でなぞった。
『あとの二人は、拳銃だな。ホルスターからグリップが見える。種類までは判別できない。以上』
「受け側も合わせて十三人、か」
『どうする?』
「ジャマー起動後、まずネコがわたしたちから遠いライフル持ちを撃って、それに合わせてわたしたちが突っ込む。わたしが左奥へ進むから、十秒後にパトちゃんが突入、右へ動いて。わたしとパトちゃんの位置取りがL字になるように。ネコはカバー」
パトリシアは頷いた。猫澄も「りょーかい」と軽い返事をした。
配置からすると、防弾装備の可能性がある敵を彩乃が対処することになる。
「準備はOK?」改めてパトリシアへ声をかけた。
「はい」頷く。
彩乃はスマートウォッチを操作した。
「ジャマー起動、300で終了」
妨害電波とハッキングで付近の通信機器の機能を制限する。このジャマーが有効になっている五分間が実質的な作戦時間。
彩乃は、一般回線で契約した私物のスマートフォンで、通信が抑止されていることを確認。猫澄へ主導権を渡す。
「あとはそっちのタイミングでやって」
『りょ。いつもどおりスリーからでいく、聞き逃すなよ』
「そっちも外さないでよ」
/
猫澄はスコープの倍率を四倍に下げた。
一定の拡大率を保ちつつ、視野を広げるためだ。これから場が動く。近距離での支援には「見え方」のバランスが重要になってくる。よく見えすぎて対象以外が見えていない、反対に、全体を見通せても細部が見えなければ効果的な射撃は難しい。
目標は明らかな格下。やろうと思えば一人で全員を撃つこともできるが、早撃ちの大会ではないのだ。撃ちたがりの自覚のある猫澄にしてみても、大して上手くもない射撃の腕を見せびらかすことに意味はないと思っている。
どのみち、今日は新人の仕事ぶりを見ることも大事だ。
ライフルを操作。
ボルトハンドルを引き、ハンドロードした.300ブラックアウト弾が十発入った弾倉を挿す。
ボルトを戻す前に、右手の人差指と親指に息を吹きかける。
スコープを覗き込む。
自動小銃を持った男の頭頂に照準点を合わせ、ボルトハンドルを前へ押し、倒す。
発射準備完了。
冷たく真面目な声音で告げる。
「――3」
/
猫澄によるカウントが始まった。パトリシアは思わず、息を止めた。高所から水に飛び込む直前のような緊張感と、幾許かの不安と高揚感。目の前の彩乃をジッと見つめる。彩乃は片側の目を閉じ、耳を澄ませている。
『2、1――』
カウントダウンが終わる、
パシン――と何かを叩くような音が響いた。着弾音。
弾丸はライフル持ちに命中。
およそ115メートルの距離を飛翔した亜音速の重質量弾は、自動小銃で武装した男の左肩から彼の体内に潜り込んだ。194グレインの銅製拡張弾頭は花開きながら、鎖骨を砕き、骨の破片と共に血管と臓器を傷つけた。被弾の精神的なショックも併せて、致命の一撃。
場は突然の攻撃に慌ただしくなる。
意識が銃撃を受けた一人に集まっている。辺りを見回す者もいるが、その場を動くことも、身を伏せることもせずにいる。
「行くよ」
彩乃は、音もなく、するりと、遮蔽から飛び出した。
狙撃を受けたのとは別の、もう一人のライフル持ちを狙う。すでに筒先を上げ、戦闘態勢だが、後方ががら空き。彩乃は駆け寄りながら、その背へ二発撃ち込んだ。バシバシと着弾音。被弾に驚いてはいるが、有効打ではない。音と反応から防弾プレートありと判断。
(背中にもアーマー仕込んでるのか――)
即座に狙いを頭へ移し、後頭部に二発。さらに迫り、後襟を掴んで引き寄せ、腰へ二発。そのまま盾にするように肩越しに撃ち、残りの防弾持ちを牽制。
襲撃者の出現に、場の意識が一点に収束した。全員が彩乃を見ている。
「警察か!」「一人だ、ぶっ殺せ!」怒号が湧く。
見せつけるように、引き寄せた男のこめかみを撃って、雑に手放した。
次の標的へ狙いを移す彩乃。拳銃を抜いた男が引き金を引く前に、肉薄し膝を蹴り折る。頸窩にサプレッサーの先端を押し当て、発砲。
そのタイミングでパトリシアも物陰から飛び出した。彩乃を注視する一団を横合いから殴りつける。
MDP9から放たれた9mmのSCHP弾が男たちへ喰らいつく。ニッケルメッキされた銀色の薬莢がヘッドライトに煌めく。パトリシアサイドのチンピラ集団は、防弾装備もなく、恰好の的だった。あっという間に四人が倒れた。
「やばい、やばい、やばい――」「隠れろ!」「畜生! なんなんだ!」
二人目の襲撃者に、取引現場の混迷は深くなった。この段階でようやく自分たちの乗ってきた自動車に身を隠すという行動をとり始めた。
戦術装備で対象の位置を把握しているパトリシアには障害物は存在しないも同然だった。
亜音速の9mm弾であろうと、乗用車のドア程度は貫通しうる。殺傷力は減じているが貫通した弾丸片やドアの破片、飛び散るガラスは、隠れた者を恐怖させるのに十分な威力があった。サプレッサーで発砲音が抑えられていることで、着弾音が鮮明に聞こえる。それもまた、死のビジョンを叩きつけた。
「おい、なに立ち上がって――」
ふいに一人が立ち上がった。泥酔しているような足取りでふらふらと、歩いている。バケツで水をかけられたかの如く振りかかった予期せぬストレスに耐え切れず、現実感を失っている。
容赦なく弾丸を浴びせる。糸を切られたように倒れた。その男でちょうど弾倉の二十七発を撃ち切った。
「――死ねやァァア!」
銃撃の途切れるタイミングを逃さず、ナイフを持った男が勇敢にもパトリシアへ斬りかかろうと駆け出した。しかし、その刃がパトリシアへ届くことはない。ナイフ男は車両の陰から飛び出すも、数歩と進まぬうちに膝から崩れ落ちた。
猫澄の狙撃。
環境音に紛れ、音を殺して送り込まれた弾丸は背中から侵入し、脊椎と腎臓を砕いた。致命傷だが即死ではない。男は絶叫しながらもナイフを放さず振り回し続けていた。
リロードを終えたパトリシアは、刃物男の頭に二発撃ち込んだ。さながら慈悲の一撃。
狙いを車両へ戻す。そのままその場を動かず、撃ち続ける。二、三発撃ち、一拍置き、また二、三発撃つを繰り返す。
猫澄から通信。『いまなら回り込める。車に隠れてる奴をやれ』
指示どおり、パトリシアは左方向から車両の陰に回り込んだ。二人が頭を抱え、隠れていた。
「たす――」
口を塞ぐかのように、撃った。二発、二発、戻って一発。的確に素早く頭を射抜いた。
パトリシアの相手は、その二人で最後だった。彩乃のほうを見る。
ちょうど彩乃も最後の武装者を組み伏せ、側頭に弾丸を捻じ込んだところだった。彩乃は、パトリシアを見ると、左手の親指を立ててみせた。
『ひとまずはクリアだな。あと一人、スーツ着てるのがトラックの下でビビってる。殺すか?』
「証人としての価値はないだろうけど、生かしておいてやろう。建前、建前」
幸か不幸か生き残った一人をトラックの下から引き摺り出す。
「ほら、立って。大人しくしててよね」
拳銃で背をつつき、歩くよう促す。手近な自動車まで進ませる。立ち止まらせ、拳銃をホルスターに収めた。頭に袋を被せ、ガラスの割れたドアにケーブルタイで拘束。
「迎えが来るまで静かにね。できなかったら、わかるよね?」囁く。彩乃の言葉に男は首が千切れんばかりに首を振った。
彩乃は、端末を取り出し、耳に当てた。
「ああ、もしもし。予約したいんですが――。はい、お願いします」
通話を切る。一仕事終えたとばかりに伸びをしながら、トラックの荷台のほうへ回り、開封された木箱を覗いた。拳銃類がパズルのように、きっちりと収められている。
箱から出されていた一挺を猫澄がいるビルの方向へ掲げた。
「ほら見て、またデザートイーグルだ。こんなん、何に使うんだって話」
撤収中の猫澄。薬莢を拾う。『熊でも狩るんじゃね? まあ、好意的に解釈すれば防弾抜くとか』
「それだったら拳銃に限ればトカレフ系のがよっぽどマシでしょ。最近じゃ
『何使っても、そこらの警官くらいは圧倒できる。だとしても警察が本気出したらチンピラ如きがどんだけ重武装したって敵わんだろ』
「そりゃそうだけど、規模が違うとはいえ悪党のほうがいいもん使ってるなって」
『自虐か?』
悪党具合だと、悪党を問答無用で殺せる自分たちのほうがよっぽど悪い人だ。法に不在している。
「かもね」
大型拳銃を箱に戻し、蓋を被せる。
パトリシアのほうを見た。
「お疲れパトちゃん。連絡も済んだしさっさと撤収しよう」
彩乃の呼びかけにパトリシアは反応せず、地面に転がる数分前まで生きていた〝物〟を見つめていた。
「どうしたの? なんか顔怖いけど」
「あ、いえ、なんでもな――うっ」言いかけ、パトリシアは口を押さえ、膝を突いた。
「ちょ、大丈夫な――」
パトリシアは、吐き気を抑えようとするも堪えきれず嘔吐した。咳き込み、唾液と鼻水、涙が溢れ出る。終いには、声をあげて泣き始めた。
さしもの彩乃も心配になり駆け寄り、パトリシアの身体を支えた。
「ね、どうしたの?」肩を擦り、鎮めようとする。
「わたし、わた――わたし――」うなされたように。「おと、さ――おか――わた、し――うぅ」
泣き咽ぶパトリシアだったが、やがて電源が切れたように、ふつ――と気を失った。
「大丈夫、大丈夫だよ」彩乃は穏やかな声音で告げた。
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