■02: グラスホッパーマウス(7)

 ビルから撤収する一行。旧派の構成員数名と、これから到着する情報部のエージェントに後処理を任せることになっている。

 猫澄も持ち場を離れ、銃入りギターケースをSUVのラゲッジスペースに寝かせ、SUVに乗ろうとしている。


 彩乃は猫澄を呼び止めた。「お嬢さまはこっち乗って。猫澄は向こうに」


「またか……。てか全員乗れるでしょ」


「戦闘能力のバランス」


「こんなか弱い女の子を強面の男たちと同じ車に乗せるなんて、あーあ大変だ、どうなっちゃうことやら」


「どうにもなんないでしょ」


 猫澄は、やれやれといったふうに、わざとらしく両手を上げ、首を振ってみせた。旧派の構成員たちは軽く頭を下げ、猫澄を通した。猫澄はそのまま「仕方のない感」を出しながら、有坂らのバンに乗り込んだ。


 SUVには、彩乃とパトリシア、光莉、そして蜂須賀が乗ることになった。蜂須賀が運転し、彩乃は助手席、パトリシアと光莉が後部座席に座る。

 彩乃は足の間にリュックサックを置き、シートベルトを着けた。


「よし、乗ったね」車内を確認し、蜂須賀が言った。


 パトリシアは、反射的に頷いた。

 SUVが動き出す。このSUVの後ろに、有坂たちと猫澄の乗ったバンがついてきている。パトリシアと光莉は行き先を知らなかった。彩乃も目的地の正確な住所までは把握していない。


「光莉」彩乃が呼んだ。


「あ、はい」


 彩乃は、グローブボックスからポーチを取り出し、後部座席の光莉へ差し出した。ポーチの中には包帯やサージカルテープ、ガーゼ類が入っている。


「手当をしてあげて。車動いてるし、暗いしで大変だとは思うけど」


「ええ、うん。わかった」


「平気です、痛くないですし。そもそも生身じゃないんですから」


「そういう考えじゃダメ。悪い癖になっちゃうよ。それにね、自分では平気って言うけど、義肢の先生に診てもらわなきゃいけないんだから、ケガはケガ」


「すみません」謝る。光莉へ傷を負った手を見せる。「じゃあ、光莉。お願いします」


「――まかせて」


 結果、ぎちぎちに巻かれた包帯とそれを上から固めるテープの、バンデージ様の処置が出来上がることになる。念入りすぎるが、パトリシアの想像していたよりも丁寧な仕事だった。




――。

 一行の目的地は両道聖会の二次団体の事務所だった。

 離反者たちが拠点にするには、あまりにも大胆すぎる選択。それほどに勝機があったのか、有坂ら旧派が少数派だったのか。


 到着後、猫澄と蜂須賀は有坂たちと共に、「連絡役」だった捕虜を連れ、ビルへ入った。

 彩乃とパトリシア、光莉は車内に残っている。

 どうして降りないんだ、と言いたげな顔をし、車内と外とを見る光莉。焦っているのか、困っているのか、不安そうな目。


「あの、降りないんですか?」パトリシアが尋ねた。


 彩乃はドアに肘を突き、外を眺めながら答える。「わたしたちはここでお留守番」


「どうして?」光莉が尋ねた。


「どうしてって? そりゃね、あなたを守るのが仕事だから」


「守ってくれなかったくせに」吐き捨てる。


 パトリシアが申し訳なさそうに頭を下げる。思わぬ流れ弾。「……すみません」


「ちが、違うの、パトリシアのことじゃないの」


「だって、むざむざ攫われたのは事実ですし……」


「いや――あれは作戦だったの。だから、あなたとパトリシアはわたしたちを責める資格がある」


「作戦?」


 パトリシアは少しショックだった。そういう作戦がある、とは教えられていなかった。

 自分はやはり未熟で信頼されていないのではないか。

 そう彩乃に問いたくなる。しかし、問えば問えばで「作戦を伝えなかったのは、言わなくてもその作戦をこなしてくれると信じていたから」などと答えられるのは予想できた。よくよく考えてみれば、配属されて一月も経っていない新人を全面的に信用しろというのも難しい話である。しかも、殺すのが仕事なのに躊躇いができてしまっているとなれば、扱いにも困るだろう。彩乃や猫澄の本心がどうであれ、自分が上司だったら、そうするだろうなと、パトリシアは思った。


「そう、作戦。誰が味方で誰が敵かの最終確認。塩山が裏切り者だっていうのは早い段階でわかっていたから、ちょっと利用させてもらったってわけ。光莉お嬢さまは渦中の人だけど、一番安全な立場だからね。パトちゃんもお嬢さまのお友達にしか見えない背格好だし」


「だから、囮にした、と」


「そうなるね」


「全然悪びれないのね」刺々しい口調。


 光莉は少しイラついていた。自分はともかく、仲間であるパトリシアに隠し事をしたまま仕事をするのは、不誠実だ。しかも、生死に関わるような仕事で。


「そういう仕事なのよ。本当は事前に全部説明してあげたいし、あなたたちを囮みたいにしたくもないんだ」本当だよ、と念を押した。


「じゃあ、ちゃんと仕事して」


「というと?」


「ビルの中へわたしも行きます」


「ちょっと光莉――」パトリシアが横から言う。


「いいんだ、パトリシア。……ねえ、彩乃さん――、車にいようが、中で敵と会おうが、あなたがいれば安全なんでしょ? まだ時間内、あなたの仕事は終わってない」


「それなら車の中で事が終わるのを待っていても同じこと。いくら護衛がいるとはいえ、わざわざ敵がいるとわかっている場所に行くなんて、いい考えとは言えない。そんなこと、あなたの仕事じゃないでしょ?」


「いいえ、わたしの仕事ができる場所なんだ、ここは。……あそこには裏切り者の頭がいるのよね?」


「ええ」肯定。


 ひどい茶番だ、と光莉は思った。彩乃もそう思っている。

 このやりとりは、光莉が自分から首を突っ込むことを選んだという事実を強調するための手続きだ。

 有坂たち旧派には悪いが、光莉は「組織」の協力者にもってこいの人材だ。光莉は、そんな思惑など知らず、事が終わったのちは「組織」へ入ることを要求するつもりだった。そういう意味でも、ひどい茶番だった。


 パトリシアも遅れて、そのことを察した。顔を青くし、光莉を見た。


 光莉は、目を閉じ、小さく息を吸った。


「――なら、わたしもその場に立ち会うべき。その権利――資格が、わたしにはあるはず」




――

 事務所内部。

 応接室には、「敵」の幹部層の内の暴力団関係者たちが集められ、手足を縛られたうえで座らされていた。他の幹部層、学生を中心とした共謀者たちは別室に拘束され、「組織」の取調室へ移送されるのを待っている。

 連れて来られた拉致実行役も、列に加えられていた。彼の役目は、有坂たちが押し入る際の「鍵」だった。用が済んだ以上は、手元に留める必要もない。

 場を制圧した旧派たちは壁際に立ち、虜囚たちを囲んでいた。

 有坂が、回転式拳銃を手に裏切り者たちに、非難の言葉を投げている。裁判官が罪状と判決内容とを読み上げるかのように、その口調は静かだった。痛罵するのは敵に情をかけるのと同じだと考えたからだ。ゆえに、努めて冷静冷酷を装っている。



 そうした状況を、蜂須賀がジンバルを装着したアクションカムで記録していた。のちのち、必要になるかもしれないからだ。本部へ報告するにも、画像や映像が添付された報告書のほうが不都合も少なくなる。傍から見れば、過激な暴力集団の見せしめ撮影に見えなくもないが。


 猫澄はソファに座り、その光景を眺めていた。別のソファと目の前のテーブルには武装解除時に奪った銃器類や刃物が置かれている。その内の一挺、UZI短機関銃にはいつでも触れるようにしていた。退屈げに休んでいるように見せながらも、不審な動きがあれば対応できるように緊張感は保っている。



 いよいよ処罰が始まろうというとき、ドアが開いた。一斉に視線がドアを向く。何人かは、予期せぬ訪問者へ反射的に拳銃を向けた。

 彩乃を先頭に光莉、そしてパトリシアが、応接室に入ってきた。

 どよめきが起こった。拳銃を向けた者は狼狽えながら、銃を下ろした。騒めく場を有坂が手を上げ、制した。口にこそしなかったが「なぜ、ここに光莉がいるのか? 話が違う」と、有坂の視線が彩乃を責めていた。


 光莉は部屋に入るなり、有坂の前へと進み、有坂の手に握られたスタームルガー製の.38口径の回転式拳銃を示した。


「その銃をよこしなさい」


 有坂たちと処刑待ちの囚われ人らは、息を呑んだ。裏切り者も含めた「両道聖会」の関係者たちにとって、光莉の言葉はあまりにも心苦しいものだった。空気が張り詰める。


「――はやく」


 拒否することも、説得することも、有坂にとっては難しいことだった。表情を曇らせ、言葉を濁し、間を延ばすような、子供じみた抵抗しかできなかった。


「いや、しかし――」言い淀む。


「こんなに滅茶苦茶やって、いまさらわたしだけ白を切り通すなんて都合のいいことなんてありえないでしょ。あなたたちの言う事なんて聞いてあげないわ」だから銃を、と重ねて告げる。


「だとしても、お嬢の手を汚させるわけにはいきません。言いつけを下されば、自分が――」


「そうですよ、お嬢さまがこんなことをするなんて」塩山が口を挟む。


「誰が喋っていいと言った?」睨む有坂。


「構わなくていいわ」静かに有坂を制す光莉。「有坂、銃を」


 光莉がこの場に現れて数分で、彼女の纏う雰囲気は変わっていた。佇まいにボスとしての風格が形作られつつある。


 有坂は黙って従うよりなかった。これ以上、遅延行為を続ける意味はない。自分が銃を渡さなければ、光莉は彩乃たち部外者に凶器を要求するだろう。そうなってしまっては、せっかく得られた清算の機会をふいにしてしまうのと同じだ。部外者の助力を受けるにしても、成否や損得の線引きはある。


「はい……」


 有坂の手から、光莉の手へと回転式拳銃が移った。塩山の表情が強張りを増した。


「お嬢さま、許してくだ――」


「光莉お嬢さまなんて、もういない」


「どういう意味……」


「『会』はもうないの。そんなこと、あなたのほうがよくわかってるはずよね?」


「だったらなぜ――」


「あなたたちのことなんて本当はどうでもいいの。でも、わたしがあなたたちの末路を見ずに明日を迎えるのは、あなたたちを許すことと同じになる。……これは慈悲よ。あなたたちを人間として罰してあげると言っているの」


 光莉は、部屋を見回した。


「それに、これはわたしが個人的にしたいことよ」跪かされた者たちを見、言い聞かせるように告げた。「――あなたたちもそうしたんでしょ? その結果がコレなんでしょ? ……だからわたしも好きにする」


 塩山は、光莉が自分たちを怖がらせるだけ怖がらせて本気で撃つ気はないだろうと、高を括っていた。その予想が間違いだとようやく気付いた。少しばかり残っていた心の余裕が消えた。


「やめ、お願い、します。なんでもしますから」


 目を細め、溜息を吐く。「――なら、死んで」


 光莉は撃った。

 轟音と閃光が辺りを塗り潰した。落雷があったかのようだった。

 至近距離で解き放たれた弾丸は、頭蓋骨に二つの穴を開け、通り道をかき回した。塩山は前のめりに倒れ、数秒痙攣したのち、動かなくなった。


 光莉は倒れた塩山を見下ろし、弾倉に残る四発を撃ち込んだ。その様子を有坂ら旧派構成員が苦しげな表情で見ていた。同じく事の成り行きを見守る謀反人たちは、みるみる顔色を失っていった。彼ら関係者にとって、重い意味を持つ誅罰、戒飭、威圧だった。


 しかし光莉にしてみれば、余分ともいえる四発は、もちろん必殺や見せしめの意図もあったが、もっと感情的な理由も含まれていた。初めて人を殺した。しかも、〝罪人〟として裁いた。責任に似た何かが重く圧しかかる感覚。自分が選んだとはいえ、その重さに潰されそうになる。叫んでしまいそうで、だから、銃声でかき消した。感情を整理するための、とっさの行動だった。己の弱さを、過剰な処刑の光景で覆い隠した。

 人の上に立つ者は、見せる隙を最小にしなければならない。自分のような、腕力のない小娘なら、なおのこと。年相応の姿は、この場では不適切なのだ。


 無表情を装いながら、光莉は撃ち切った回転式拳銃を有坂に差し出した。


「――次」低い声で言った。


 有坂は拳銃を受け取ると、空薬莢を捨て、新しい弾を入れた。薬莢が床を跳ねる音が足音となって「次」の者を恐怖させる。


 次は自分だと悟った男が、床に額を擦りつけた。手足を縛られているために、平伏の姿勢というよりは、芋虫がのたうっているように見える。


「お願いだ、頼む。忠誠を誓う、鉄砲玉として使ってくれてもいい。今日のところは――」


 光莉は、つくばる男の言葉に関心を示すこともなく、無言で引き金を引いた。床に赤い飛沫が散った。それもすぐに大量の新しい赤色で塗り重ねられた。


 隣の男に移動し、その男も撃った。光莉は、この場にいる裏切り者たち全員へ自ら手を下すつもりだった。ある意味では、有坂たちにとっても、罰のような苦しい時間でもあった。

 沈痛な面持ちの有坂たちへ光莉は言い放った。


「なにバカみたいな顔してるの? あなたたちもこうするつもりだったんでしょう? わたしに見せないでさ」



 部屋の隅で、彩乃は煙草を燻らせ、事の次第を眺めていた。気怠げな様子だが、周囲に気を巡らせ、MA‐1のポケットにホルスターごと突っ込んだ小型拳銃P365をいつでも取り出せるようにしていた。

 猫澄も退屈そうに、かといってスマートフォンをいじって遊んでいるわけにもいかないという様子で、ソファに背を預けている。いつの間にかUZI短機関銃を膝に座らせている。

 蜂須賀は変わらず、撮影を続けている。


 渋谷チームの中、パトリシアだけが態勢を緩めていた。見逃せない、優先度の高いものが目の前にあった。パトリシアは、光莉から目を離せなかった。


 光莉は彼女の役を果たすことに決めた。いま、この場で行われているのは、儀式だ。〝必要悪〟の澄んだ浅瀬から、真に深い闇の奥へと踏み込む決意表明。

 パトリシアは光莉に尊敬の念を抱いた。同時に、己が惨めに思えた。自分が人を撃つのは仕事だからだ、光莉は違う。自分はその仕事すら確実に為すことができていない。光莉の行動は一般的な感性からは逸れているが、自らの意思で選択し実行できるのは、すごいことだ。そう思わずにはいられなかった。

 おぞましくもあり、眩しくも思えた。藻掻くこともなく、ただ己の身の重さのまま海の深みへと沈んでいくような。闇に潜り、二度と光の下には出られないはずだが、その暗がりに歩を進めるたびに彼女の光が増していく、そんな印象を抱いた。


 パトリシアは、自分もどうにかしなければ、と思わずにはいられなかった。四月末の夜の出来事だった。

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