■02: グラスホッパーマウス(6)

「い、いまの爆発? 何が起こってるの?」光莉ひかりは縮こまり、尋ねた。


「わかりません」即答するパトリシア。すぐさま通話。「彩乃先輩? ネコ先輩? 何があったんですか?」


『わからん。一階から煙が出てるのは確認できるが』


『――エレベーター爆弾。爆発物持たせて下の階にいるわたしたちを攻撃しようとしたみたい。一階にいた人たちが何人かやられた』ノイズ混じりの彩乃の声。


『生き急いでんな』呆れ気味の猫澄ねこずみ


「先輩、無事ですか!?」慌てて呼びかける。


『わたしはね。……パトちゃんも無事でよかった、よくやってくれた。いま、凪子さんに応援に来てもらってるから、もう少しで突入できると思う。それまで待っててね、防衛戦だよ』背後で怒号が飛び交っている。誰かが彩乃に泣きついているようなやりとりも聞こえた。『落ち着いて! ……落ち着けって言ってんだよ! あんたが吹っ飛ばされたわけじゃないんだから――。ごめん、わたしは一応大丈夫だから、必要があればこっちから繋ぐから――アウト』


「彩乃先輩……」


「平気だって、ね? パトリシア……」励ます光莉。


「……うん」頷く。



『――パトリシア、こっちはこっちで敵さんのお出ましだ。ドアの陰に何人か見える。バリケードに気付いて慎重になってんな』


「わかりました」


 パトリシアはドアの向こうを睨んだ。暗い階段フロアに気配を感じるが、深く探ろうと意識を集中させればさせるほど自身の鼓動の音が邪魔をする。経験不足さに、溜息が出る。

 携帯端末の通話をハンズフリーに切り替え、横倒しの机に立てかける。


「光莉、敵が来たみたいです。戦闘準備を」


「わ、わかった」


 光莉は、声を震わせながらも、回転式拳銃の照準器を出入口の暗がりに合わせ、引き金に指をかけた。身体が震えるのを抑えられない。その震えで引き金を引いてしまうのではないかと心配だったが、想像していたよりも引き金は重く、不意の発砲はなさそうだった。その代わり、少し怖くなった。心理的な意味での引き金の重さを感じずにはいられなかった。命や責任の重さ、覚悟が、自分の指先に集まっている。


 パトリシアも、場に漂う緊張の匂いに息が止まりそうになった。


『――シア――おい、パトリシア――』猫澄の呼びかけ。


「あっ、はい」


『撃つか?』


「お願いします」


『了解、牽制する――3、2、1』


 ピシッと、ガラスを突き破る音がした。階段フロアから弾頭が壁に叩きつけられた音が響いてくる。

 同時に、暗がりから狼狽する声が聞こえた。普通ならば、自分たちが狙われていることを知れば萎縮する。しかし、彼らは違った。攻撃に晒されたことで、むしろ前に進むしかないと思い込んだ。戻れば指示役に責められるかもしれないという意識も彼らの背を押した。

 拉致犯一味は、角刈りの男を先頭に雄叫びをあげ、突入を試みた。簡易バリアを乗り越えようとしている。


「く、来る――」震える光莉。


『そこは大人しくしといてくれって』愚痴り、引き金を引いた。


 猫澄の射撃で、先頭の男が崩れ落ちた。それでもなお、後ろの仲間たちは続こうとしている。


「射撃開始! 中らなくてもいいです。とにかく撃って、あいつらにここは危険だと教えるんです」


 パトリシアは拝借した拳銃マカロフを両手に握り、撃った。


 隣のパトリシアが撃ったのを見て、光莉も続く。ダブルアクションの重い引き金を一息に引ききった。心臓が一瞬止まったような感覚があった。銃声が耳を刺し、銃から伝わる衝撃が骨と肉を軋ませ、発砲炎と破裂音が脳を揺さぶる。目は眩み、放たれた弾丸の行き先がどこなのか、わからなかった。

 跳ね上がった腕を戻す。照準を定める余裕はどこかへ飛んだ、銃口が前を向いていることだけわかればいい。引き金をもう一度、引く。


(――2)


 頭の中で撃った回数を数える。弾の数は五、残りは三。パニックにならないように、最低限の意識を保つには、こうするのがいいと思った。




 路肩に一台の自動車が停車した。赤のクロスオーバーSUV、渋谷チームの共用車。蜂須賀が到着した。

 下の路上に車両が停まったことに気付いた猫澄は、手摺から顔を出し、下方を確かめた。蜂須賀が後部座席から荷物を取り出している。蜂須賀は猫澄のほうを見上げ、右手を上げた。猫澄は蜂須賀へ手を振り、こちらへ来るよう合図を送った。



 小振りのリュックサックとミリタリー調のスリングバッグを担いだ蜂須賀が、猫澄の陣取る外階段を上ってきた。

 蜂須賀は踊り場まで上ると、猫澄へ声をかけた。


「お待たせしました」


「ありがとう、助かる」


「どうすればいいかしら?」


「三階の突入・制圧支援を頼みます」真面目な口調。


「わかりました」階層を目で数える。「でも、こんなの本当に必要だった? 彩乃ちゃんなら一人で十分じゃない?」


「他の連中がついてこれない。建前として依頼主側に少しはやらせないと。だいたい、元は情報部そっちの仕事っしょ」


「そうね。ホントうちの部署はやらしくて、もうね」苦笑い。「さて、こっちのタイミングで始めちゃうのでいい?」


「うん」


「よし。ちょっと待ってて、すぐ始めるから」


 蜂須賀は階段を戻り、三階部分まで下りた。

 スリングバッグを床に下ろし、開く。中に入っていたのはグレネードランチャー。これが秘密兵器だった。


 GL‐06――スイス製の擲弾発射器。ブレイクオープン式、単発、ダブルアクション。使用弾薬、40×46mmグレネード弾。


 折り畳まれたストックを展開し、レッドドットサイトの電源を入れる。



「こちらホーネット、位置に就きました」蜂須賀は彩乃へ通信を入れた。


 蜂須賀の蜂とHとをかけたコードネーム。狙いすぎて滑っている感のある名前だが、「蜂須賀」よりは言いやすいし、聞き間違えもしづらい。作戦中に無線で「凪子」と呼ばれるのも、むず痒い。そうした理由で、使っている名前。


 すぐに彩乃からの返事。『――了解』安堵したかのような声音。『感謝します』


「催涙弾を使います。突入時注意」


 蜂須賀は、ランチャーに催涙弾を装填し、ビルの三階、階段からは遠い方向を狙った。


 グレネードランチャーの独特な破裂音が鳴り、弾頭が飛んでいく。弾頭はガラスを突き破り屋内へ潜り込んだ。ガラスとカーテンで勢いを減じ、窓と壁の中間地点に落ちる。弾頭に充填された催涙剤が飛散し、室内が燻されていく。噴霧された催涙剤は粘膜や皮膚に刺激を与え、灼熱感や咳、涙や鼻汁の流出などの症状を現す。さきの爆発で消火設備が作動していれば、催涙剤の効果は弱まっていただろう。消火設備を切っていたことが徒となった。数人が咳や落涙に耐えられず、外の脅威を忘れ、カーテンと窓を開けた。


 指揮役の立場にあるだろう一人が、出入口から顔を出した。何やら叫んでいる。その内容までは聞き取れないが怒号は蜂須賀の耳まで届いていた。室内にいた仲間たちが、自らの手で外のいる狙撃手に姿を晒し出したことへの叱責と注意喚起だろう。

 そこに次の一手。


「フラッシュを使います。二発、階段フロアと室内奥」


『了解』


 蜂須賀は、薬室を開放し、空のカートリッジを振り落とした。閃光弾を装填。

 「組織」の開発した特殊閃光弾。着発、あるいは発射後数秒で起爆。大音響で聴覚、閃光で視覚にダメージを与え、感覚を不調にさせる。銃撃戦で耳は多少慣れてしまっているため、効果は減じるだろう。しかし、銃と爆発物では、同じ音圧の爆発音でも心理面へのダメージは変わってくる。


 素早く狙いを無防備になった窓へ向ける。出入口へ駆けていく男が見えた。その男をドットサイトの光点が追う。閃光弾は、分類上は低致死弾に入る。しかし、直撃すれば致命的なダメージを人体に与え、炸裂時の熱や炎にも熱傷や引火の危険性はある。

 今回の場合、閃光弾の効果を与えたいのは出入口の向こう側。男に命中してしまえば、期待した結果は得られない。中ててしまわないようにしなければならない。


 男が止まったタイミングを見計らって、彩乃へ通信。「――いま」


 言い終えるや否や、蜂須賀は引き金を引いた。

 ちょうど、男が振り向いた。男の視界に、グレネードランチャーを構えた蜂須賀が映った。男は恐怖に顔を歪ませ、階段フロアへ飛び込んだ。

 閃光弾は男の横を通り、壁に命中し、炸裂した。20メートル弱離れた蜂須賀にも、一瞬の鋭い光が見えた。


 蜂須賀は、素早く二発目の閃光弾を装填。狙いを反対方向へ移し、催涙弾の影響下にある籠城者たちへ追撃を行った。

 二発目の閃光弾が爆ぜたのと同じタイミングで、階段フロアでも新たな爆発が起こった。



 蜂須賀の通信を受けて、彩乃は階段の先、バリケードの向こうの様子を窺っていた。もうすぐ閃光弾が撃ち込まれる。それを合図に突撃する算段。

 バリケードの奥では、予期せぬ攻撃に混乱が広がっていた。


「おい‼ 何してる、外から撃たれ――煙?」


「ガスだ! ガスが使われた――奴ら攻めてくる――」


 催涙弾が撃ち込まれたことを知った指揮役は攻めてくると悟り、攻撃を指示した。


「と、とにかく撃て、弾の残りは考えるな」


 さらに、温存していたマカロフ弾仕様のスコーピオン短機関銃とサプレッサー付きM10、56‐2式自動小銃を使うことを決めた。


「マシンガンと手榴弾を――」


 言葉を遮る。「ヤバい、こっちに来――」


 言い終える前に、視界内すべての輪郭が白く飛ぶほどの閃光と銃声を上回る爆発音が、バリケードを塗り潰した。


 籠城者にとって、閃光弾は突入の先触れであり、死の宣告にも等しいものだ。この現場でも、彼らは数多くのニュースやフィクションの中から得た知識として、恐怖を持ち合わせていた。抵抗しなければ自分たちは終わりだと、頭ではわかっていたが、視覚と聴覚への不意のダメージは、身体の動作を大きく制限した。映画で見るゾンビのように体を揺らし、呻くことしかできなかった。



 閃光弾の炸裂に合わせ、彩乃は駆け出した。


 バリケード防衛の一人が、準備していたM67手榴弾のピンを引き抜いた。彼は、背を向けていたこととサングラスをかけていたことから閃光弾の効果が薄く、かろうじて動くことができた。ぐらつく感覚に耐え、迫る彩乃に恐怖しながら、手榴弾を投げ捨てるように放った。


 安全レバーが外れ、手榴弾は壁を跳ねた。


 彩乃は手榴弾をキャッチし、バリケードを乗り越えた。乗り越えざまに手榴弾を高く掲げ手放す。駆け抜ける勢いのまま、室内へ滑り込んだ。出入口のそばで閃光弾に怯み屈んでいる女を掴み、出入口のほうへ振り投げる。

 直後、手榴弾が爆発。女がボロボロになって吹き飛ぶ。爆圧と破片をドア代わりに受け止めた結果。室内への影響は軽微。


 彩乃は吊り提げていたMDP9をストックを畳んだまま構え、自身に視線が向いている相手から先に撃っていく。速度と確実性を優先し胴体に数発ずつ撃ち込む。彩乃が撃つ前に武器を捨て、両手を上げる者は撃たずに生かしておく。


 三階をほぼ制圧したところで、旧派構成員たちが雪崩れ込んできた。


 彩乃は、あまり奥に行かないよう制したが、何人かは残った催涙剤に暴露し咳き込んだ。症状は尿でうがいすれば治る、などと冗談なのか本気なのかわからないことを伝える。その正誤不明の対処法を聞いて心底嫌そうな顔をした旧派の理事補佐に、この階の後処理を任せ、彩乃は上へ向かった。


 それからは、トントン拍子に事が運んだ。四階に立て籠もった者たちは蜂須賀に圧力をかけられ、部屋の隅に押し込められていた。射線から逃れた者たちは少ない人数で、階下から迫る旧派構成員たちと上階の異常に対処しなければならなかった。

 下階が突破されたと知るや、すぐに降伏した。


 暴力団関係者は有坂たちが、それ以外の者は彩乃たちの「組織」が処遇を決めることになった。裏切り者が許されることはなく、突入の時点ですでに重い代償を支払うことは決まっていた。では、「組織」に身柄を任された一味は助かったのかというとそうでもない。当然、彼らに明るい未来が用意されているはずもなく、情報部による〝聴取〟を受けることになる。どちらにしても、戦って死んだほうがマシな状況になるだろう。


 そうして、日没まもなく、事態はひとまずの終わりを見た。

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