■02: グラスホッパーマウス(3)

 パトリシアと光莉ひかりは、とあるビルの一室に閉じ込められていた。

 物置に使われている三帖程度の窓のない部屋、剥き出しのLED電球の眩しくも狭い光が冷たく二人を照らしている。


 バンに乗せられるときに、イヤーマフとアイマスクを装着させられたおかげで、自分たちがどこに連れられてきたのか二人にはわからなかった。体感では移動時間は一時間もなかったように思えたが、それだけでは場所の見当もつかない。意図的に遠回りされた場合、経過時間はノイズにしかならないだろう。せいぜいわかることといえば、高速道路を使っていないことと、閉じ込められている部屋が五階にあるだろうことくらいだった。


 パトリシアと光莉は、手首と足首を結束バンドで拘束されていた。パトリシアのほうが拘束が厳しく、後ろ手に手首だけでなく親指と人差し指の根元も縛られ、さらに前腕を粘着テープで巻かれていた。


「……ねえ、あなた護衛なんでしょ。なんで一緒に捕まってんのよ」


「お嬢さまを守るためです。あの場では大人しくしておくのが一番被害が少なかったんです」


「そう言って自信がなかったんでしょ。それかボディーガードなんて嘘だったとか。わたしと同じくらいの年齢としよね、そんな子が護衛とか漫画じゃないんだから、ありえないでしょ」茶化す。


「――そうですよ。わたしなんかが人のために尽くすとか無理なんです。さっきだって、あとで先輩たちが助けてくれるかと思って。わたしはなんにもできない新人だから……」そっぽを向いて言った。


「え、やめてよ。そんないじけられても困るんだけど」


「事実ですし」


「こんなところに一人で閉じ込められるよりは寂しくなくてずっとマシよ。あと彩乃さんよりは、あなたのほうが落ち着――、そういえば名前は?」


「あ、パトリシアです」


「こう言うのも変だけど、パトリシアが一緒でよかった」


「――お嬢さまは優しいんですね」嫌味と本音半々。


 顔をしかめ、言い返す。「そのお嬢さまっていうのやめにしない?」


「なんて呼べば」


「光莉でいいよ。とにかく、お嬢さまと名字呼び以外ならなんでも」


 その言葉から、光莉が「塞城さいじょう家や両道りょうどう聖会ひじりかいの光莉」という立場によい感情を抱いていないことは、パトリシアにも察せられた。このくらいの年頃の少女であれば、自らの家のことを不満に思ったり反発するのはおかしな心の動きでもない。光莉のような特殊な家の事情なら、なおさらだろう。ずっと昔に両親も家も失っているパトリシアにしてみれば、そうした感情を家族や家柄に抱けるのは羨ましくも思えた。そして、自身の将来に対して自分で選択肢を用意できないという点では、共感しうる部分もあった。


「わかりました、光莉」


 よし、と光莉は笑った。気紛れに、手首を締める結束バンドが外れないか腕を動かしたが、すぐに諦める。


 溜息を零す。「はぁ、わたしたちどうなっちゃうのかな」


「光莉は組の乗っ取りに利用される、奴らの計画どおりに。――で、わたしは海に沈められると思います」


「最悪」


「そう最悪、です。でも、そうはならない」


「仲間が助けに来てくれるって?」


「はい、きっと」


「……」


「……」


 会話が途切れる。仲良くお喋りをしている場合ではないが、大して身動きも取れない状況では他にすることもない。とはいえ、楽しい話題があるわけでもない。二人は、なんとなく気まずさと気恥ずかしさを抱えていた。


「……」沈黙に耐えられず、口を開く光莉。「パトリシアはさあ――、あの――」


「あ、パトリシアって長くないですか、呼びにくくないですか?」


「え、別に。綺麗な名前だと思うけど。口に出したくなる名前。パトリシアって」


「そう、ですか」


「うん。それでさ、聞きたいんだけど」


「はい」


「パトリシアと彩乃さんの仕事って、なんなの? 有坂は護衛だって言ってたけど。あぁ、有坂っていうのは、おじいさまの会の理事長の人ね」


「すみません、それは詳しく答えられないんです」


「――だよね。忘れて」


 光莉には思い当たる話があった。

 政府の裏仕事をする組織があるという噂話を耳にしたことがある。それだけでなく、マイナーな都市伝説にもテロリストや反逆者を暗殺する部隊の存在が語られていた。

 パトリシアと彩乃は、そういう秘密組織の人間なのではないか。そう思った。こんな状況でなければ、非日常な体験に胸を躍らせることができただろう。


「でも、カッコいいと思うよ、わたしは」ぽつり、と零した。


「うん?」パトリシアは、何のことだ、と光莉を見る。


「ま、どうなるにしろ、わたしたちにできることはないんだ。しばらく二人で過ごしましょ」拘束された手足を見る。「パトリシア、もしかして、これ、外せたりする? あっでも、外せても敵の中を逃げるなんて無理か」


 パトリシアは首を振った。「映画じゃないんですから」


「映画じゃないんだから、か」光莉は、ふふっ、と小さく笑った。


「何か変なこと言いました?」


「映画とか漫画の世界にいそうな人が何言ってんだか」


「それを言ったら、あなただってそう」


「そうかな。メキシコとかアメリカ、イタリアあたりなら、結構ありそうじゃない?」


「そう?」


「いや、わかんない」


「テキトーじゃないですか」


 二人は顔を見合わせ、クククと声を抑えて笑った。拉致監禁状態にありながら大した度胸だな、と互いに思った。目の前の少女を鏡として、自分たちはどうしようもなく普通ではない、と感傷的に震えそうだった。



「――ねぇ、パトリシアはさ、友達とか、大事な人っている?」ふと尋ねる。


「いえ、いないです」


 光莉は「家族は?」と言いかけたが、押しとどめた。代わりに、少し困り顔を作った。

 両親が健在、あるいは不仲でないのなら、自分と同年代の少女がこんな仕事をしているはずがないと思った。ヤバい仕事を請け負う人たちは、本人も大概ヤバい経歴なり境遇があるものだ。祖父の仕事のことはあまり見ないようにしてきたが、知らないなりに自分の観測範囲内では、この法則は成り立つ。


「光莉はどうなんですか、友達多そうですけど」


「前はね」噛みしめるように言う。「お父さんとお母さんが死んでから、友達はみんな捨てた。自分は普通の家の子じゃないんだって、思い知ったから」


「反社会的な犯罪組織の子、しかも会長の孫娘で、たった一人の肉親」


「さすがに知ってるか」空笑いしたあと、長く息を吐いた。「――みんなさ、ヤクザの子とか気にしないって言うけど、こっちは気にしてんだって話よ。将来のこと考えると、わたしとの関係は悪い汚れになることは目に見えてる。だから、長い間ずっと友達でいるなんてさ、大人になってからも付き合いをさ、続けるなんて無理。他人の人生を、虐めたりとかそうことしないで滅茶苦茶にするかもしれない責任なんて取りようないでしょ。後になってお前のせいだとか言われても嫌だし。だから……わたしは存在しちゃいけない人間なんだって、そう思うと悲しいけど、気がラクになった」


 つい、深刻な様子で耳を傾けてしまうパトリシア。そんなパトリシアを見て、

「そんなつもりじゃないんだ、気にしないで。――ただ、なんかわたしたち、ちょっと立場みたいなものが似てるんじゃないかなって。そういう意味では、わたしたち友達になれそうじゃない? あなた普通の人じゃないし、気を遣う必要ないし」


「たしかに、いまは一緒に閉じ込められてますけど」


「もう面倒臭がらないで、ちょっとは乗ってよ」


「だって友達になれそうとか言っても、この件が終わったあと、お互い連絡取れます? 関係を維持することが仕事柄許されるかどうかもわからない。それはそっちもそうじゃないですか」


「それじゃ、パトリシアのところに就職するわ」


「それこそ、いまここでわたしに言われても困る」


「ま、無事にここを出られたら」


 ですね、とパトリシアは相槌を打ち、背後を見やった。つられて、光莉も後ろを振り返った。何てこともない、ただの壁があるだけだ。

 光莉は、上を向き、目を細めた。


「はあ、家のこととか、会のこととかどうでもよかった。どうでもよかったけど、こんな滅茶苦茶やられたら、さすがに頭に来る――」声が震え、熱が増す。「おじいさまが死んで、会は解散するはずだった。有坂もそのつもりだった。わたしには普通に生きてほしいって。わたしを箔付けのための道具にしたくないって。――でも誰かが裏切った。きっと塩山だけじゃない」


 光莉は、眼前に道が現れる感覚を得た。道の先からは光が差しているが、その向こう側に〝明るい未来〟はないことは予感できた。

 本当の裏切り者は自分だ。


「この代償は払わせる。でも、わたしにはそんな力はないことはわかってる。だから、あなたたちに協力してもらいたい」


 そう告げた光莉の顔を、パトリシアはまっすぐ見て、頷いた。

 光莉はパトリシアの視線を感じ、横を見る。目が合い、一瞬ドキリとした。「なに?」と、口を開きかけたとき、パチンと音がし、パトリシアが腕を前へ回した。音は、拘束に使われていた結束バンドと粘着テープが千切れた音だった。

 パトリシアは疲れたというふうに、腕を伸ばし、テープの切れ端を剥がした。光莉は驚きと困惑を同時に覚えた。


「え……、それどうやって」


「力づく」ぽつりと答え、足の拘束も引き千切った。


 感心する光莉。「ほー、すご……」自分にもできるかもと、腕に力を込めた。「――うーん。無理」


「光莉は真似しないほうがいいです。痣になったり切ったりしたら大変」


 パトリシアはそう言い立ち上がると、スカートの中からフィンガーリング付きの小振りで薄い、メスに似たナイフを取り出し、光莉の拘束を解いた。

 ナイフを仕舞い、次はP365SAS拳銃とモジュラーサプレッサーを取り出した。弾倉を抜き、弾が込められていること確かめ、戻す。ティルトバレル用の3ラグスレッドに3バッフルの短小構成サプレッサーを被せて捻り、スライドを引いて初弾を薬室に送った。


 光莉は、その様子をポケっと眺めている。


「すご、どんどん出てくる。どんなマジックよ」


「太腿の内側。ボディーチェックが甘くて助かった。……見ます?」冗談だが冗談ではない、真面目な顔。


「いや……、こんなとこでスカートの中覗きたくないわよ」視線を外して言う。「でもさ、外せるならすぐ外しちゃってもよかったと思うんだけど。ちょっと意地悪じゃない?」


「もし、敵がわたしたちの様子を見に来て、拘束を解いてるのを見たら何されるかわからない。だから、タイミングを待っていたんです」


 ちょうどそのとき、階下から破裂音が複数聞こえてきた。異なる銃器による散発的な銃声。怒号も漏れ聞こえてくる。


「え、嘘……銃声よね? 助けに来た? タイミングって――」


「そう。逃げ出しても、敵全員を相手にしなくても済むタイミングです」


 襲撃を受ければ、拉致犯たちは光莉を盾に襲撃者を牽制することは目に見えている。その機を待ってもよかったが、こちらへ一切意識を向けていないタイミングで後方から攻撃を仕掛けることで、敵にプレッシャーをかけようと考えた。というのは建前で実際には、少しでも暴れて戦果を出しておきたかった、という極めて私的な理由が根底にはあった。


「では、脱出しましょう」


「は、え? どうやって?」


「――こうするんです」


 パトリシアは、言い終える前にドアを蹴った。雷が落ちたような、強烈な衝突音が響いた。


「痛っ――」光莉は轟音に堪らず耳を塞いだ。


 内開きの金属製のドアは蹴り飛ばされ、向かいの壁に叩きつけられた。身長160センチ足らずの細身の少女が引き起こしたとは思えない破壊の光景。


「行きましょう」


「やば……」ぼそりと言った。

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