■02: グラスホッパーマウス(2)
川に面したオープンカフェのテラスで、彩乃は少女と二人で午後のティータイムを過ごしている。
彩乃は、デニムスカートに黒のノースリーブカットソー、オリーブ色のMA‐1、ハイキングシューズ、ラウンドフレームの伊達眼鏡、髪に入った緑色のインナーカラーとメッシュも相まってロッカー風味の装い。
少女も、スキニージーンズにパステルカラーのオーバーサイズカーディガン、ストリートブランドのキャップ、ドクターマーチン、鳥の羽根を象ったイヤーカフ、落ち着きと背伸び感の同居するカジュアル系。
一見すると、友人か妹と遊んでいるように見える彩乃だが、実のところは任務中だ。
同席する少女は「
そうした謀略から、この少女――
当の光莉は、いきなり学校を休めだとか、家には帰るなだとか、この人が護衛だなどと言われて、困惑と鬱陶しさを覚えていた。
高校生にもなって周囲の大人に説明もなしに従わされるのが不服だった。
そして、そもそも目の前の女性に護衛の任がこなせるのかも疑問だった。
彩乃と光莉が歓談する様子をパトリシアと
黒セーラーに赤のカラータイツ、チョーカーという装いのパトリシア。ギターケースを背負う姿は傍から見ればバンドを組んでいる女子高校生だが、ケースの中身はギターではなく猫澄のカスタムAR。
隣の猫澄は、青いトラックジャケットにロングスカート、トラウト柄のキャップ、量産型のリュックサック。首から提げたクラシカルなデザインのミラーレスカメラと、足元に置いた三脚バッグがカメラ女子を演出。
二人も当然ながら仕事中だった。彩乃たちに近すぎず遠すぎずの位置で監視しつつ、周囲に不審な人物がいないかもチェック。
その最中、パトリシアがふと尋ねた。
「わたしって役立たずですか?」
「どうした?」
「この前も失敗して、今日だってネコ先輩の荷物持ちじゃないですか」
「たしかにウチらの仕事にはミスったら大惨事になるのもあるにはある。だからといって全く失敗が許されないってことにはならない。ミスをカバーするのも仲間の仕事だし、ミスできるときにミスしておくのも経験じゃないかな」
「『学校』では失敗は許されないって教わりました」
「そりゃ、ヤっちゃいけない奴をヤったらダメだし、スイッチを押させたらみんなドカンで手遅れだ。そういう仕事でドジらなきゃいいって話。だいたいそんな仕事、お前にはまだ来ないよ」
パトリシアの表情が曇る。欄干を掴む手に力が入る。ギリギリと音が鳴った。
「別にパトリシア、お前がどうしようもないお荷物の無能ってわけではないよ」
「そう言ったのと同じです」拗ねる。
「自分の頭を吹き飛ばしたり、錯乱して味方を撃ったりしないだけで超優秀だよ。ゲロくらい可愛いもんだ」声を落として言った。
「可愛くない、です。先輩の前で吐いて倒れるなんて」
「先輩後輩の前で吐くなんざ、この時期の風物詩みたいなもんだろ」
「そういうのと一緒にしないでほしいんですけど。こっちは真面目に悩んでるんです」
「悩んでる、つったって、続ける気満々だろ。倉庫で真剣に相棒を選んでたわけだし」
「それはそうですけど……」
「もっとアドバイスがほしいんなら、彩乃に直接聞けばいい」
「彩乃先輩は、答えてくれない気がします」
「だろうな。それならわたしに聞こうってか? でも――」声量を落として続ける。「わたしはお前や彩乃と違って、組織に入る前から人殺しだったから参考にはならないと思うぜ」
「それって……」
「組織の子たちは、だいたいは孤児だろう? 親が死んだり、親や親族に見放されたり、はたまた身内がどうしようもないクズで離れたほうが幸せだったりするような、不幸で不運な子供たちだ。でも、みんながみんなそういう可哀そうな子ばかりっていうわけじゃあない」
「……」パトリシアは、自分は可哀そうな子じゃない、と反論しかけたが内心に留めておいた。世間から見れば、可哀そうな過去があるのは事実だった。それに、猫澄の言う「可哀そう」は少しニュアンスが違うように思えた。
「悪い意味で、わたしはお前たちとは違うんだよ」
「こうやって隣で同じ仕事をしてるのに、ですか?」
「そうさ。だから、わたしの立場から言えるのは、ウチらの仕事は悪人が悪人をしばくことが許された違法で合法な仕事だってこと。死刑執行のボタンを押すことを刑務作業として与えらえた服役囚。そこに誇りやらやりがいやらがあるかは知らない。わたしにはこの仕事しかないんだ、お前とは違う理由でな」
「そんな――」言いかける。そのとき、
パトリシアのスカートのポケットに振動があった。携帯端末のバイブレーション。ポケットのファスナーを開けて、端末を取り出した。彩乃からのメッセージだった。
猫澄へ伝える。「彩乃先輩の後ろのカップルっぽい二人組。いま入ってきた人たちです」
指示された二人組は、いかにも体育会系な風体の男性と低彩度ファッションの女性。どちらも目立たないようにしたい、地味にしようという意識が漏れ出ている。
周囲を気にしながら、スマートフォンや腕時計をしきりに確認している。水を飲み干し、店員を呼んだ。
「ド素人だ、この前のがプロに思えるぜ」
猫澄はカメラを構えた。二人の顔がはっきりと写るようにフレームに収め、シャッターを切った。撮影データは無線通信で携帯端末に転送され、
「――出ました」結果をパトリシアが読み上げる。「男のほうは、
「面倒なことになりそうだな」風景を撮る素振りをしながら言った。「じゃなきゃウチらに依頼なんて来ないか」
パトリシアは、照会結果を彩乃へ送った。すぐに返答。「ネコ先輩、厳重警戒だそうです」
「おっけー」
「でも、彩乃先輩を疑うわけじゃないですけど、なんで反社会団体のいざこざに大学生が関わろうとしているんですか? 二人とも関係があるようではないですし」
「さあな。裏社会の人脈だとか、人手がほしいとかじゃね? 女のほうはリストの関係者なんだろ、しかも大学生、何仕出かしてもおかしくはないっしょ。そういう何かデカいことするには使い潰せる兵隊がいたほうがいいだろ。死んだところで誰の心も痛まないような」
二人は知らなかったが、現在、帝都大学内部にテロ計画疑惑があり、情報部で調査中だった。その監視対象が件の暴力団の構成員と接触したことから、「組織」の介入案件になった経緯がある。
そうした事前情報がなくとも、この任務がロクでもない仕事だと、パトリシアと猫澄は察していた。ただの子守りで終わるはずがない、という予感があった。それが確信に変わりつつあった。
「もうすぐ五時か。やるならそのタイミングだろうな」建物を見る。不自然に開いた上階の窓や屋上の人影もない。「いまのところスナイパーはいないようだが」
「あの、怪しい人が――」耳打ちする。「左に5メートルのところの男。ずっとわたしたちのこと見てます」
「あー、そいつは敵じゃない、味方でもないが」一瞥して言った。
「え?」
「公安の人だ。凪子さんの奴隷」さらっと言った。
「いまなんて? どういうことですか」
「協力者とか二重スパイみたいなもん。ヒューミントはわからんからこれ以上は聞くな」
はい、と小声で返事するパトリシア。失敗カウンターが一つ増えた。
「他に怪しい奴は?」
カフェの対岸に、数分前にはいなかった人影が増えているのをパトリシアは見つけた。その人物を指す。
「あの人は? 双眼鏡と傘持ってる人」
「あからさまに怪しいな。指示と視線誘導の兼役だろう」でかした、と言い添える。「……こんなところで仕掛けるつもりか、キマッてんな」
傘持ちの男以外にも、通行人の中に不審な人物が交じってきた。光莉を奪取しようとする派閥や二次団体の構成員の顔もある。
「どうします?」
彩乃たちを見る。二人は席を立ち、カフェを出ようとしていた。
「お前はとりあえず彩乃とお嬢さまと合流して」
リュックサックとギターケースを交換し、パトリシアはカフェの方へ移動を開始した。
「こっちはジャミングと援護を――」
そのとき、双眼鏡と傘を持った男が、傘を開いて掲げた。そして銃声が一つ響いた。
――
数分前、オープンカフェ、テラス。
「ガキのお守りは飽きた?」氷だけになったグラスをストローでかき混ぜ、言った。
ついさっきまであれこれ話しかけてきた彩乃が無表情でスマートフォンの画面を見ているのが、光莉には少しイラっときた。
「いいえ光莉ちゃん、わたしの仕事はまだ始まってないのよ」
光莉は怪訝な面持ちで彩乃を見た。この女のことがまったくわからない。
「どういうことなの――」疑問が零れる。
さて、と彩乃は光莉の言葉を受け流し、
「お姫さま、そろそろ出ましょうか」立ち上がり言った。
「あ、うん」
光莉は一瞬ドキリとした。彩乃は出会ってからずっと光莉のことを名前で呼んでいた。それが「お姫さま」呼びになった。顔が熱くなる。
店を出る支度を光莉がしている隙に、彩乃はスマートフォンを見た。インカメラで背後を確認。例の二人組がこちらをジッと観察している。
「あの、お手洗いに行っても」光莉は恥ずかしげに小声で言った。
「ええ、わたしも」
そう言い、彩乃は光莉の手を引き、肩に手を回した。
「ちょ、なに。なんでトイレ行くのにこんな近――」
「敵がいる、これから何が起こっても取り乱したり、泣き喚いたりしないで」耳打ち。
歩き始めてすぐに、背後から、打ち上げ花火に似た破裂音が聞こえた。
「え、何の音?」光莉は尋ねた。自分の置かれている状況から、音は銃か爆弾の音だろうと察しはついていた。
「気にしない」
そう言い、彩乃は俄かに慌ただしくなったフロアをずいずいと進んでいく。
店内の端、パーティションと観葉植物の鉢で区切られたスペース。トイレの個室が二つ、女性専用と車椅子利用可の共用個室。
光莉を個室に押し込み、彩乃はドアの前で待つ。
そこにパトリシアが現れた。走ってきたのか、少し息が荒くなっている。
「急いでここを離れましょう、攻撃が始まりました――」
「お疲れさま」
「え、あれ? 先輩、お嬢さまは?」
彩乃は背後のドアを指した。
「リュック頂戴」
「はい」
リュックの中身を確かめる彩乃。
「パトちゃんはお嬢さまを連れてセーフハウスへ。店の外に組の人いるから、車はその人に」この人だと、写真を見せる。
「先輩たちは?」
「ここは俺に任せて先に行けー、なんてね」ウインクしてみせる。
「え?」
「こっちはこっちでやることあるんだ。後ろは任せて」
「わかりました」了解はするも納得はしていないという様子。
パトリシアの返事を聞き、彩乃はドアをノックした。ノックが返ってくる。すぐに水を流す音がした。ドアを少し開けて、光莉が顔を出す。パトリシアを見て、不審がった。
「お姫さま、あとはこの子がセーフハウスまで案内してくれるから」
「は、なに勝手に」
「じゃ、パトちゃん後はよろしく」
パトリシアは頷き、光莉の手を取った。「お嬢さま、行きましょう」
「ちょ、ちょっと、力つよ――」
トイレのあるスペースからパトリシアと光莉は出て、店の出入り口へ歩き出した。
彩乃はその場に残り、観葉植物の隙間からフロアを窺う。ほとんどの客と店員は、身を屈めながら対岸で起こっている騒ぎの見物をしていた。携帯端末の通信も不調で、それに対する不審や混乱の声も聞こえる。店内の無線ネットワークも不通となっている。それらの不満を店員に投げている者もいる。
そうした低レベルの異常事態の中、パトリシアと光莉を追う人影がいくつかあった。さきに確認した大学生二人組以外にも〝敵〟が潜んでいた。
彩乃は、不審者軍団最後尾の男から3メートルほど離れて、一団の後を尾け始めた。
――
パトリシアと光莉がカフェから出ると、待っていたと言わんばかりにスーツ姿の女性が二人の前へ立った。彩乃がパトリシアへ見せた写真の人物。彼女は今回の騒動に際し、光莉の世話係に就けられた構成員だった。
川向こうの散発的な銃声がビルに反射し、雑踏に振りかかる。
女は光莉へ頭を下げたあと、パトリシアへ厳しい視線を向けた。状況から、パトリシアが彩乃の仲間だろうことは察せられたが、万が一に敵である可能性も捨てきれない。
女がジャケットのボタンを外した。裾に沿って手が動く。パトリシアも利き足を後ろへ運んだ。
「塩山、この人は三日月の仲間よ」光莉が女へ告げた。
塩山と呼ばれた女は、パトリシアと光莉とを交互に見やり、小さく頭を下げた。
「……失礼いたしました」
「いえ、こちらこそ」会釈する。「――お嬢さまをセーフハウスへ送ります。車をお願いします」
「承知しました、こちらです」
――
塩山の先導でコインパーキングへ到着したパトリシアと光莉。パトリシアにはどれが自分たちが乗るべき車両かはわからないため、二人に急ぐよう促した。
光莉は停めてある日本製のセダンへ近づき、解錠されるのを待っている。パトリシアも光莉の近くへ移動した。しかし、鍵を持っているはずの塩山はパーキングの入り口で立ち止まったままだった。
「塩山?」光莉が問いかけた。
「ああ、お嬢さま、お車はそちらではありませんよ」
「はぁ?」戸惑いと苛立ちを見せる光莉。
様子がおかしい。パトリシアは光莉の肩に手を回し、周囲に視線を走らせた。
そのとき、パーキング前の道路に、バンが一台停車した。それと同じタイミングで、別の出入り口から拳銃や刃物を持った男たちが現れ、パトリシアと光莉を取り囲んだ。
大人の男を相手にした多対一の格闘戦の訓練をパトリシアは積んでいるが、この状況では分が悪い。光莉を守りながらとなれば、なおのこと。包囲を突破して逃げることなら倒すよりは簡単だろうが、そうなると武装した一団に追われることになる。無関係な人や物を不必要に危険へ晒すことになる。
「塩山、どういうつもり――」
「恐縮ですが、お嬢さま方には行き先を変更していただきます」
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