■02: グラスホッパーマウス(4)
部屋から出るパトリシアと
しかし当然のことながら、ドアの破壊を目の当たりにした拉致犯たちの注意は二人に集まっている。彼らにしてみれば、階下では襲撃を受け、人質はドアを打ち破り脱走、と厳しい状況に置かれていた。
じりじりと見合う。片や、多勢に無勢。片や、ドアを破壊しただけでなく銃を手にした想定外の脅威。動くに動けない。
その塞がった状況を崩すべく、パトリシアが天井へ向けて発砲した。サプレッサー+亜音速弾のマナーモード仕様だが、フルサイズに比して減音性能の低い短小構成ゆえに、銃声は階下から響く銃撃戦の喧騒に埋もれることもなかった。屋内至近距離での威嚇には十分な威力。
意外にも大きな銃声に、拉致犯たちは怯んだ。階下で戦闘が起こっているが、彼らにとってはまだ対岸の火事だった。サプレッサー装備の小型拳銃という映画に出てくるようなプロっぽさを感じさせる武器が、彼らを余計に萎縮させた
パトリシアは銃口を視線の高さに戻した。「動くな。動いたら撃つ」と無言で圧力をかける。パトリシアと光莉の眼前にいる敵は四人。暴力団構成員らしき男が二人に女一人、非構成員の男が一人。出入口は敵の背後、室内には壁際に机と金属棚がある以外は、パイプ椅子が数脚に、段ボールやコンテナ類、飲料などが置かれている程度。
「大丈夫、殺さないから」背後の光莉へ告げた。
「そんな変な気の遣い方しなくていい。あいつら裏切り者」吐き捨てる。
睨み合いの中、女が男の肩に手を乗せた。この中で位が一番高いのが彼女だった。男は「はい」と小さく答え、ジャケットのポケットからフォールディングナイフを取り出し、展開した。目はギラつき、額と首には汗が光っている。
パトリシアは光莉を下がらせた。光莉は、一瞬まごつくも、壊れたドアを盾のようにして、事の次第を見守ることにした。
先鋒に指名された男はパトリシアを見据えると、大きく息を吸った。彼はこのわずかな間で様々な決心をしているようだった。一拍ののち、男は裂帛の声を発し、パトリシアへ突進を仕掛けた。
全体重を乗せた一突きはパトリシアへ吸い込まれていく。パトリシアは避ける素振りも見せなかった。
「パトリシア!!」光莉は思わず叫んだ。
仕留めたか、とざわつく観衆。しかし、攻撃した本人は異常に気付いていた。細身の少女が、成人男性の突進を受けて、姿勢を崩さずに立っていられるはずがなかった。
パトリシアは、フォールディングナイフの刃を左手で掴んで受け止めていた。男がナイフを引き剥がそうにも、刃はがっちりと握られ、ビクともしない。普通なら、指が飛んだり、痛みに気を失ってもおかしくはない。パトリシアはといえば、顔色一つ変えず、血もほとんど出ていなかった。
「ありえねぇ――」思わず零す。
パトリシアは、男の足の甲を撃った。
男は撃たれたショックでナイフを手放した。
その隙を逃さず、膝蹴りを腹に入れ、崩れたところへ拳を打ち下ろす。床に叩きつけられた男は、嗚咽とともに動かなくなった。
呆気なく先鋒が倒されたのを見、残りの三人は殺気をパトリシアへ集中させた。体格のいい男がスーツのジャケットを脱ぎ、剣鉈を抜いた。もう一人、一般人らしき男も拳銃を腰から引き抜き、スライドを引いた。女も回転式拳銃を構えた。
パトリシアは銃口を三人へ向け直した。
それを合図とばかりに、体格に似合わぬ甲高い叫声をあげ、男は斬りかかった。剣術の心得があるのか、鋭い一撃がパトリシアに迫る。
一振り、二振り目を躱すも、三度目の攻撃は避けるには難しい剣筋。室内に置かれた荷物も邪魔し、回避行動も制限された。パトリシアを袈裟斬りにせんとする一撃が下る。
ゴッと鈍い音で、刃が止まった。パトリシアが剣鉈の一太刀を左前腕で受け止めた。男は構わずそのまま圧し切ろうとするも、わずかに沈み込むだけで、求める結果にはならなかった。
男は目を見開いた。自分が斬りつけたのは人間なのか。奇妙な手応えに、当惑よりも怖れが頭の中を覆った。身が竦んだ。男にとっては長い時間が流れる。
その非現実感を痛みが上書きした。右腕に赤い花が咲く。二発の135グレインのSCHP弾が上腕を切り裂いた。
脱力する腕、剣鉈を取り落とす。霧散する銃声、転がる薬莢、落ちた剣鉈が、死の影を形作る。男は迫る死に恐怖し、よろけながら後退った。
パトリシアは、一歩踏み込んだ。男の顎を蹴り上げ、ノックアウト。顎は砕け、歯が飛んだ。素早く姿勢を戻し、スカートの裾を払った。
もう一人の男のほうを振り向く、と同時に、
弾丸が髪を掠めた。
銃撃者は、上半身の構えこそきっちりとしているが、腰が引けていた。顔を歪め、二発目を撃つ。
パトリシアは身を低くし、射線と視線を外した。焦る男が三発目を撃つ前に、肉薄しスライドを掴んだ。
瞬間、発砲。男は、もう一度引き金を引く、撃発されない。スライドを握られたことで、動作が妨げられ、回転不良。
拳銃を押さえたまま手首を捻り上げ、足を払い、組み伏せる。拳銃を奪い、捨てる。空いた片方の手で頸部を圧迫、絞め落とす。
事を終え、ゆらりと、パトリシアは立ち上がる。
残った女は、パトリシアが三人目を組み伏せている間、回転式拳銃を撃っていたが、結局は一発も中らなかった。弾倉内の五発を撃ち切ったことにも気がつかず、引き金を引き続けていた。ハンマーが起き上がり、シリンダーが回転、ハンマーが落ちる、のサイクルを無意味に繰り返している。パトリシアが彼女へ顔を向けると、ようやく状況を認識し、銃を取り落とし、逃げ出した。
もし、彼らに勝機があったとすれば、それは一人目の突貫の時だった。刺突が止められた隙に味方ごと撃ってしまえば、少女の姿をした怪物を仕留められたかもしれない。もっとも、彼らの銃の腕と弾薬では、それも難しかった。
「逃げる!」光莉が叫ぶ。
遅かれ早かれ増援は来るだろうが、女を行かせなければ猶予が増える。
パトリシアは、逃げる女の背に拳銃の尾部を重ねた。水準器様の特殊な照準器は精密な射撃には向いていないが、光点をサイトの中心に置いておきさえすれば、銃で隠れた範囲に弾が届く。3メートルも離れていないこの状況では、数発撃てばターゲットへ確実に命中する。これまでに四発撃った。残弾は六。撃つなら二発以内に無力化したい。
撃って中れば、まず致命傷になるだろう。
意を決する。
しかし、パトリシアが引き金を引くより先に、女は倒れた。倒れる瞬間、白い筋が見えた。
窓のほうを見る。窓ガラスに歪な穴が開いていた。複数発の弾丸が狭い範囲に中り、貫通したことによるものだった。さきに見えた筋は、ガラスの微小破片によって視覚化された弾丸の軌跡だった。
パトリシアは倒れた女に近寄り、状態を確認した。見た限り、胸と肩の二ヶ所に弾丸を受けていた。いずれも貫通せず、弾は体内に留まっている。肩や乳房から入射したことで、侵入距離が増え、余すことなく破壊力が伝わった。心臓と肺、鎖骨下動脈や腋窩動脈に損傷を受けており、もう十秒もせず絶命するだろう。
広がる血の海から目を逸らすかのように、もう一度窓を見やる。向かいのビルの外階段に人影が見えた。白黒のブロックパターンのマントを被り、手摺に自動ライフルを依託している。猫澄であることを示すタグがスマートコンタクトレンズに表示された。近くにいる仲間の
出入口に注意を払いながら、室内を見回す。車に乗せられた際に取り上げられた携帯端末とスマートウォッチを探している。
戦闘が終わったことを見て、光莉はパトリシアに近寄った。パトリシアの顔はうっすら青白くなり、汗が滲んでいた。呼吸も荒い。傷が深いのではないか、と光莉は心配そうに声をかけた。
「大丈夫?」
「ああ、服が切れてしまいました」
「そうじゃなくて、手」
「義手です」他人事のように言い、腕を捲る。
掌の傷も前腕の傷も、絵に描いたような深い切創で、肉の奥に白い物体がのぞいている。これが義手なはずがないと、光莉は疑った。恐る恐る顔を近づける。
違和感はすぐに見つかった。見れば見るほど、絵具のように鮮やかな赤色。撃たれた拉致犯たちの出血と比べても、明らかに明度が高い。血にしては赤すぎるうえ、匂いもしなかった。肉の部分も、白く弾力のある繊維質が目立ち、骨らしき物体も表面に織物様の模様が透けている。人工物であることが見て取れた。
「え、嘘。本当――」
意のままに動く義手の存在はニュースで見たことがあるが、それはここまで高度なものではなかった。見た目はほとんど生身で血まで出るパトリシアの腕は、現代でも実現できていないSFの産物だ。
もしかして脚もそうなのか、それどころが全身サイボーグなのでは、と思い至ったが、口にはしなかった。人の身体のことを興味本位で聞き漁るのはよくないと思った。自分で明かしたからには可能性は薄いが、もしパトリシアにとって触れられたくない事柄だったなら、機嫌を損ねて自分の身の安全の保障がなくなるかもしれない。そうした不都合を恐れてのこと。
そうはいっても、やはり気になるし、不安にもなる。
「痛くないの?」
「痛覚はありません」だから何の問題もない、とさらっと言った。
仮にそうだとしても痛そうな見た目であることには変わりない、と光莉は思った。こういう戦い方をするということは、いざとなれば自分の命を差し出せると言っているのと同じだ。寂しく思えた。
深刻な面持ちでパトリシアを見る光莉をよそに、パトリシアは机を漁り始めた。探し物はすぐに見つかった。所持品を入れさせられたナイロンバッグが、そのまま折り畳みコンテナに放り込まれていた。
端末の電源を入れ、猫澄へ通話を繋ぐ。
『ヤッてんねえ』応答するなり言った。
「やってないです」きっぱり言う。「状況はどうなっているんですか?」
『二階まで進入してる。思ったより抵抗が強いんで難儀してるみたいよ』
「じゃあ、わたしが加勢します」
『いや、そこで待機してな』
「わたしは平気です。できます」
『少し休め。お前の仕事は
「……わかりました」
『おっけー。下が片付くまで、その場で持ちこたえてくれ。援護はする』
通話を一旦切った。
パトリシアは、ノックアウトした拉致犯たちを壁際に移動させ、手近なロープや粘着テープで拘束した。あまり意味はないかもしれないが、止血処理も施しておいた。
なんで助けるのかと、光莉が不服そうにしている。
どのみち彼らは事が済んだあとには〝処理〟される。いまここで死んでしまったほうが幾分マシかもしれない。
それでも、命を奪わずにおいたのは、パトリシアの中で「殺し」に対する答えが固まっていないからだった。処刑じみたことを無抵抗の相手にする〝余裕〟は、いまのパトリシアにはない。彼らはパトリシアのエゴイズム的な感情で徒らに延命されたことになる。もっとも、気絶させた相手も死んでいないだけで、神経系や骨格にダメージを負っているのは間違いない。目を覚ましたとしても、後遺症が残る可能性は高い。ほとんど殺したも同然なのは、理解している。
パトリシアは、拉致犯たちの処分を終えると、金属棚を倒し、出入口の障害にした。部屋に置かれていた荷物から拳銃類をいくつか拝借、弾が入っていることを確かめる。光莉にも回転式拳銃を持たせておく。簡単ながらも籠城の準備を整えた。
携帯端末を操作しITISの機能をオンにした。床の向こうに、味方を示す青色の四角いマークと彩乃のネームタグが表示される。近距離の味方を障害物越しに確かめられる機能。仕組みとしては心拍センサーの内蔵されたITIS端末の位置を示す簡易的なものだが、あるのとないのとでは大違いだ。
光莉は、渡された回転式拳銃を机にもたせかけ、部屋の出入り口に銃口を貼りつけている。顔どころか全身を強張らせ、銃把をがっちりと握っている。
「来るなら来い――、来るなら来い――」ぶつぶつと呟く。
パトリシアは、自分よりガチガチに緊張している光莉を見て、いくらか力が抜けた。
「……光莉、もう少し――」声をかける、
そのとき、突として大きな爆発音が階下から轟き、建物が揺れた。
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