第19話 優しい問題児

 使沙の秘密を聞かされた数日後。幸太郎は退院することになった。


「入院が長引かなくて良かったわね」


 母は車の後部座席に座る幸太郎をバックミラー越しに見ながら言うが、幸太郎が母に応えることはなかった。


 袋井から使沙のことを聞かされて以降、幸太郎は相変わらず母との会話がない。

 無視することへの罪悪感などはなく、何の悪びれもないようすの母にただただ不信感を募らせ続けていたのだった。


 幸太郎は帰宅後すぐに部屋に籠ると、そのままベッドに横になった。仰向けのまま右腕で顔を覆い、大きなため息を吐く。


 ――僕はなぜ、生きている。


 それはここ数日間で幸太郎がずっと考えていたことだった。


 今僕がここにいられるのは使沙のおかげだ。でも、その使沙は僕のせいで命を落とした。


 本当は自分があの時に死ぬはずだったのに――幸太郎は悔しさを噛み潰すように、奥歯に力をかける。


「なんで使沙なんだよ。どうして……」


 待っていてって言ったじゃないか。まだダメだからって。それなのに。


 幸太郎は横になったまま蹲り、自分の胸あたりをぐっと掴んだ。


「重たいよ。使沙の命は重たい。僕だけじゃ、到底支えられないよ」


 そして幸太郎は静かに涙を流す。使沙からもらった元気な心臓が痛むのを感じながら。




 それから幸太郎は籠ったままで、部屋の外に出ることはなかった。


 何度か両親が部屋の様子を見に来ていたことに幸太郎は気付いていたが、何か反応を示すこともなく、両親が部屋の前から去るのを虚ろな目でみていた。


 親でさえも信用できないこの世界。どうして僕が生き残ってしまったのだろう――


 幸太郎は暗く深い闇の底で、一人小さく蹲ったままだった。

 そしてその場で生まれた感情が少しずつ膨らんでいく。


 それから数日が経ったときのこと。

 午後八時過ぎに幸太郎はフラフラと部屋を出た。両親に気付かれないよう音を立てず、こっそりと靴を突っかけ外に向かう。


「ここまで来れば大丈夫か」


 家から少し離れた道路まで出てから歩いてきた方を振り返りながら呟き、再びを歩き出した。


 晩秋の夜の冷気が幸太郎の身体をなぞっていく。周囲の人に比べて薄着で歩いている幸太郎だったが、寒さは感じていなかった。


 幸太郎は目的もなくフラフラと歩みを進め、歩行者信号の赤で足を止める。目の前にある幹線道路は帰宅者たちの車でにぎわっていた。

 スピードもかなり出ている車両もあり、帰宅を急いでいるのが目に浮かぶ。


 使沙。僕も、すぐ君のところにいくよ――


 幸太郎は赤信号の歩道に、一歩足を踏みだした。


 すると、


「おい!」


 と唐突に後ろから声が聞こえ、肩を掴まれる。


 幸太郎はゆっくりと声がした方に顔を向けると、黒のパーカーを着た少年が自分の肩を掴んだのだと気が付いた。


 そして幸太郎の顔を見て、少年はハッとすると、


「お前、宮地だろ」


 目を細めてそう言った。


「え……」


「ちっ。俺のことなんて眼中にねえって? 自分に優しくしてくれる奴の顔しか覚えらんねえのかよ」


 眉間に皺を寄せながらそう言う少年に、幸太郎は見覚えがあった。

 忘れるはずもない。ずっと彼のことは気にしていた。自分のせいで退学になったと罪悪感を抱いていたのだから。


「獄谷、君」


「くっそ、覚えてやがった」


「ごめん」


「冗談で言ったに決まってんだろ! つうか、ここにいると邪魔になる。こっちこい!」


 獄谷に言われ、幸太郎は黙ってその後を追う。

 五分ほど歩いて到着したのは、二十四時間営業のコンビニエンスストアだった。


 獄谷は適当に食料とジュースを購入し、その駐車場にある車止めに腰をおろした。追随していた幸太郎も獄谷の隣の車止めに黙って座る。


「これ、お前食えよ」


 獄谷はそう言って、湯気が出ている肉まんの包みを幸太郎に渡す。


 なぜこんなことをしてくるのだろうと疑問を持ちながら、幸太郎はその包みを受け取った。


「熱いうちに食え!」


 そう言って獄谷は自分の分の肉まんを口に入れる。


 そういえば、最近何も食べていなかったな。幸太郎は温かい包みをじっと見つめながら思った。


「渡瀬が心配してたぞ。ずっとお前が部屋から出てこなくて、ずっとメシも食べてないって」


「え?」


「お前が事故に遭った時も心配してて、どうしようってずっと泣いてた」


「奈々子が」


「そうやって聞いてたから、フラフラ歩くお前を見つけた時、嫌な予感がしたんだよ。こいつ、死のうとしてんじゃねえかって。そしたら、赤信号なのに行こうとするから、マジかって思って呼び止めてた」


「そう、だったんだね。ごめん」


「ふんっ」


 それからしばらく獄谷は無言で肉まんを頬張っていた。チラチラと幸太郎を見ては、何かを言いたげな顔をして、すぐに顔をそらす。


 獄谷からの視線を感じながらも、幸太郎は包みに入ったままの肉まんを見つめるだけで食べることはしなかった。


 生きることへの罪悪感が身体に充満し、食べ物を受け付けない。

 本当は使沙の心臓だったはずのものが自分の中にある。あの時死んだはずの自分がのうのうと生きていていいはずがないのだから。


「食べねえのか」


 獄谷はやっと口を開いてそう言った。


「うん。いい。事故死が無理なら、餓死もいいかも」


 幸太郎は苦笑いをしながら答える。すると、獄谷は幸太郎から肉まんの包みを奪い、包みを開けると無言で幸太郎の口にその肉まんをねじ込んだ。


「んんん」


 突然のことで幸太郎は驚き、身体がのけぞる。


「食え! ちゃんと食って生きるんだよ! お前のこと、心配してる奴が大勢いんだろ!!」


「むぐ……」


「黙って食えよ! いつまでも甘えてんなって言ってんだ! お前がどんな辛い思いをしたのか俺は知らねえけど、それでも勝手に人生を諦めてんじゃねえ!!」


 押し込められる肉まんに窒息しそうになりながら、幸太郎は獄谷の言葉を聞いていた。


「お前に人生預けた奴がいるんだろうが! だったら、その分まで生きろよ!! 移植者は、そうやって他の奴の身体で生き続けるんだろうが!!」


 そう言って獄谷は肉まんを詰め込んでいた手を降ろし、顔を正面に向ける。


「俺の兄ちゃんもさ、ドナーになったんだよ。くも膜下出血だって。急に脳死ですって言われて、臓器移植の話になった」


 幸太郎はハッとし、口から落ちた肉まんを手で受けとる。


「長生きするって意気込んでたのにな。あっけなく逝っちまうもんなんだなって」


 彼の兄はどんな想いでこの世をさって行ったのだろう。急に命が奪われ、憤慨したのではないか。きっと使沙だって――。


 ふと幸太郎はそんなことを思う。


「まだ生きてるお前が、生きることを諦めている姿にどうしてもムカついたんだよな。兄ちゃんは生きたくても生きられなかったのにって悔しくて」


 彼が執拗に絡んできたのは、そういう思いがあったのか。


 幸太郎はそう思いながら俯く。


「あと、いつも渡瀬に心配されてるのもムカついてた」


「え?」


「俺さ、一年の時に渡瀬と同じクラスでさ。それからなんだかんだで今も連絡が続いているっていうか……まあ渡瀬が俺の気持ちに気付くことなんてなかったけど」


 獄谷は項垂れながら大きなため息を吐いた。


 暴れると手をつけられない獰猛な獣のような彼もこんな表情ができるのか、と幸太郎は目を見張ってからクスリと笑う。


「奈々子のこと、本当に好きなんだな」


「うっせぇ! そうだよ!! まあ兄ちゃんことより、そっちの方がムカついてたのかもな。渡瀬がいるのに、他の女子とベタベタしやがって!! みたいな」


「それで病気だと、女に優しくされるからって言ったわけか」


 今までの嫌味の数々がただの嫉妬だったことを知り、獄谷って意外と可愛い奴なのかもしれないなと幸太郎は思った。


 彼が在籍中にちゃんと話していれば、仲良くなれたかもしれないのになと少し残念な気持ちになる。


「悪いか! 俺は渡瀬のこと、本気だったんだ! だから渡瀬からお前のクラスでのことを報告するっていう任務を真面目にだな――」


「獄谷君が奈々子にチクってたんだ」


「チクってたって言うなよ! 報告してたんだよ! できる男アピールだ!」


「そっか」と幸太郎はまた笑ってから、獄谷の兄の話を思い出す。


 大切な人が急にいなくなる絶望感は、当事者にしか分からないことだ。

 彼のお兄さんへの気持ちは計り知れないが、僕が想像するよりもずっとしんどかったんだと思う。


 ――僕も使沙を失ってから絶望の谷底に落ち、今ここにいるのだから。


「君も、辛かったんだね……お兄さんのこと」


「お前ほどじゃ、ないんだろうけどな」


 そして獄谷は一息置くと、


「――なあ。お前が退院して学校に戻ってから、教室がおかしいって感じなかったか?」


 真面目な顔でそう言って幸太郎を見た。

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