第21話 にっきちょう
二十分かけて書庫に到着した幸太郎は、奏の姿を探した。
「月代さん? どこにいるんだ?」
周囲を見回しながら、幸太郎は薄暗くほこりっぽい書庫内を進む。
「コータローさあん! ここですー」
奥の方からそう叫ぶ声を聞き、幸太郎は声の発生元へと向かった。
普段、過去の書類を参照する際はデジタル化されている紙のデータをデータベース上から引っ張ってくるため、ほとんどこの書庫に足を運ぶ者はいない。
そういった理由から書庫をなくして新しく倉庫に改装しようという案が挙がっており、前段階として書類整理をしようということになったのだろうと幸太郎は察した。
左右どちらを見ても置かれている段ボールはかなり年季が入っていて、破れたり重力に負けてしなったりしている。
書類のデジタル化が始まったのはここ二、三年のことで、それまでは年ごとに段ボールで保管していたのだ。
「うわ……二十年前のものとかあるよ」
段ボールに殴り書きされている西暦を見て、思わずそんな言葉が漏れる。
「コータローさん、早くしてくださいよー。日が暮れちゃいますよー」
「はいはい」
手伝ってもらおうと思っている側の態度ではないよね、それってさ。
そんな不満を抱きながら、幸太郎は奏の元に辿り着いた。
「お疲れ様です、コータローさん!」
分厚い眼鏡、適当に一つに括ってある乱れた黒い髪。化粧っ気のない顔。他の誰よりも長い時間を共にする月代奏に、幸太郎は一度としてときめきを覚えたことはなかった。
自分の理想の女性とはかなりかけ離れてしまっているということもあるが、そもそも奏自身が、幸太郎を男としてみていないということも要因と言える。
「はあ」
「なんのため息ですかー! 気分下がるから、そういうのやめてくださいよ! ほら、ちゃっちゃっとやっちゃいましょ! 定時で帰って一人居酒屋するんですから!!」
「わかったよ。一人居酒屋って何」
ため息交じりに幸太郎は問う。
「一人でいく居酒屋に決まってるじゃないですか! コータローさん、まさか居酒屋は複数人で行くものだと思ってます? がっかりだなあ。もっと見聞が広い人だと思ってたのに!!」
彼女は基本的に明るく前向きだが、たまに自己主張が強いところがあって、少々面倒くさいと幸太郎は思っていた。
「あはは、ごめんね」
さっさと終わらせて部屋に戻ろう。この子といると、なんか疲れるんだよな。
苦笑いで答えながら、そんなことを思う。
「えっと、じゃあコータローさんはあっちの段ボールを見てもらっていいですか? 段ボールに印のあるものはすでにデジタル化を終えているそうなので、バンバン捨てちゃっていいらしいです!」
奏の指さす方を見遣ると、段ボールの隅に小さく『済』と書かれているのが見えた。あまりに小さく書かれているため、薄暗い書庫の中では見逃してしまいそうだな、と幸太郎は少々辟易する。
「ごく稀に、処理されていないものもあるみたいなんで、それだけ気をつけてくれればいいって部長が」
「わかった」
「じゃあ、よろしくお願いしまーす」
奏はそう言って奥の棚の方へ向かい、先ほどまでしていたであろう作業を再開したようだった。
「段ボールの中身を処分するだけってことだよな。なんでこんな雑用じみたことを――」
ため息を吐きながら幸太郎は呟いた。
それから棚にずらりと並んでいる段ボールに目を遣る。ここで不満を思っていても仕方がないかと腕まくりをした。
そして幸太郎は段ボールの一つに触れようとした時、ふとある段ボールに書かれている西暦に目が留まった。
「……僕が高校二年の年の物だ」
それからその段ボールを取り出し、中にある書類をていねいに確認していく。
大体の書類が検査資料であることは分かっているのに、なぜ自分は今一生懸命に何かを見つけようとしているのだろうと幸太郎は思った。
それから一冊の大学ノートを見つけ、幸太郎はそのノートを慎重に段ボールから取り出す。表紙には『にっきちょう』とアンバランスな文字で書かれていた。
ずっと前に失くした宝ものが出てきたときのような感動を覚えた幸太郎は、両手を小刻みに震わせる。
「もしかして、これって……」
幸太郎は躊躇なくそのノートを開いた。
* * *
ごがつさんにち。
せんせいがきょうからにっきをかいてといったので、かくことになりました。
せんせいがなんでもすきなことをかいてもいいよといっていたのですきなことだけかこうとおもいます。
わたしは「あまつか」。「びょうきのこ」をなおすためにうまれた「ばいようき」らしいです。
じゅうはちさいになったら、わたしはしぬといわれています。
「びょうきのこ」に「わたしのいちぶ」をあげるんだとせんせいはいっていました。
「ひとのいのち」をすくえるあなたはすごいんだよといわれました。
いまはよくわからないけど、はやく「ひとのいのち」をすくいたいとおもいます。
* * *
「やっぱりこれは、彼女の……」
まだ確信は持てないままだったが、そうであってほしいと幸太郎は思った。
それからすべてがひらがなで書かれているのを見て、まだ字を覚えたてだったのかもしれないな、と小さく笑う。
そして、幸太郎は続けて次のページをめくった。
* * *
七月十日。
今日は「天江使沙」という名まえをもらいました。
そのあと、大じな子に合わせるからと言われたので先生についていきました。
ついた部屋にいたのは、ベッドでぼうっとすわる男の子でした。
名まえは「コータロー」というらしいです。わたしが何を言っても、「コータロー」はぼうっとしていて、ちょっとへんな子だなと思いました。
でもたまにわらってくれるのがうれしいので、また会いたいと思いました。
* * *
「本当に会っていたんだ。僕たちはこの時に」
予感が確信に変わったことを知り、胸の奥がキュッと音を立てて閉まる感覚がした。
「――だけど、どうしてもっと彼女を知ろうとしなかったんだろう。もしこの時に彼女を知っていれば、少しは未来が変わったのかもしれないのに」
幸太郎は眉間に皺を寄せながらぽつりと呟く。
そして続けてページをめくっていき、段ボールに書かれていた西暦の年になった。
「これ、あの保健室の時の――」
高校二年生――共に過ごした半年間の記憶が、鮮明に蘇っていく。
目を開けた時に見えた栗色の髪。その髪からほのかに香るシャンプーの匂い。長いまつげと真っ白な肌。
使沙はあの場所で生き、僕と同じ時を共にしていた。
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