第20話 変化の真相

「お前が退院して学校に戻ってから、教室がおかしいって感じなかったか?」


 獄谷は真面目な顔でそう言って幸太郎を見た。


「そういえば、前よりもみんなが優しくなったように感じたかもしれない」


 幸太郎が当時のことを思い出しながら答えると、獄谷は苦い顔をする。


「やっぱ気づくよな」


「どういう意味?」


「担任から言われたんだよ。お前が病院に運ばれた後、体育の授業は無くなって、HRになった――」



 * * *



「今後、宮地君に害をなした生徒は、有無を言わさず退学処分となります。ですが、宮地君に貢献できた生徒は内申点を加算することを約束しましょう。彼は日本の医療成長のために必要な研究対象なので、医療の発展のためにみんなも尽力してくださいね」


 担任教師の佐々木は笑顔を崩さず、淡々と生徒たちに告げた。


 教師たちが普段から妙に幸太郎を気にかけていると感じていた獄谷は、佐々木のこの言葉で確信する。やはりあいつは特別な存在だったのだと。


 手を出してしまった自分にどんな裁きが下るのだろうと、獄谷は生唾をのんだ。


「それから獄谷君。今回は仕方がないですが、次はないと思ってくださいね」


 佐々木からの言葉に、獄谷は無言で首を縦に振る。


「このことは他言無用でお願いします。もしも外部に漏れるようなことがあれば、全員の成績に関わりますから。クラスみんなで宮地君を支えましょうね」


 佐々木は満面の笑みで告げた。

 その不気味な笑みがずっと脳裏から離れず、獄谷はこのままで本当にいいのだろうかと逡巡する。


 何も知らされず戻って来たあいつは、クラスの異常に何を思う?

 素直にクラスの異常を受け入れ、嘘の皮を被った優しさの中で生活していくのか?


 偽りの中で生きる幸太郎を想像し、獄谷の胸はひどく痛んだ。

 今だってあいつのことは気に入らない。でもあいつはまだ生きていて、これからも生き続けるんだ。だったら、その人生を歪ませるわけにはいかない。


 獄谷は教室を出ようとした佐々木に駆け寄った。


「先生! やっぱりおかしくないですか。自分の得のために宮地に嘘をつくなんて、俺はできません」


 佐々木は目を細め、小さくため息を吐く。


「やっぱり君は停学処分とします。頭を冷やしなさい」


 そう言って佐々木は教室をあとにしたのだった。



 * * *



「停学中にいろいろ考えてさ。やっぱりおかしい、異常だって思ったんだよ。だからちょうど夏休みになったタイミングで退学を決めたんだ。まあ、俺がそうしなくても、退学させようと学校側も何か仕掛けてきただろうけど」


 自分の知らないところでそんな話がされていたなんて――。


 幸太郎は呆然としたまま、手の中にある肉まんを見つめる。この白い皮の内側には何が詰まっているのだろう。外側から何も見えない真実に恐怖の感情を抱いた。


 肉まんから目を逸らすように顔を上げた幸太郎の視線の先に、獄谷の横顔が映る。

 

 幸太郎が恐れるその感情に獄谷は一人で立ち向かい、結果として排除された。行われている人体実験を邪魔する異分子として。


 そんな獄谷に対し、素直にすごい奴だと思い、同時に罪悪感をよりいっそう深めた。僕のせいで彼の人生はめちゃくちゃになったんだな――と。


「もしかしてお前さ。俺が退学したのは自分のせいだって思ってる?」


 獄谷から向けられたまっすぐな視線に、幸太郎の瞳は揺れ動く。


「え、えっと……」


「やっぱりそうか。――ぜんぜん違うからな。俺は自分で自分の人生を決めただけだ。お前に同情される覚えはねえよ」


 呆れた顔でそう言う獄谷に幸太郎は意表を突かれ、目を丸くした。

 彼はもう、新しい人生を歩き始めているのか――。


「――うん」


「それで」


「え?」


「お前はなんでうじうじしてんだよ。病気が治ったことに不満でもあったのか」


 幸太郎は首を横に振る。

 すべてを話せるほど、彼を信用したわけではない。でも、これだけは彼に聞いてほしい――そう思った幸太郎はゆっくりと口を開く。


「人の代わりに生きるって辛いなって。獄谷君のお兄さんから臓器をもらった人たちは、たぶん獄谷君のお兄さんのことを知らずに生きているんだろう」


「そうだな。そういう決まりだって聞いた」


「でも、僕は僕を救ってくれた人を知っている。そして僕にとっては特別で大切な人だったことも分かっている。だから、苦しいんだと思うんだ」


 けれど、誰もその想いを理解してくれない。使沙はクローン臓器の培養器だからと、誰もがそう言って。


「だったら生きないとな。大切なやつだったなら、そいつの代わりにいろんなものを食って、笑って、楽しんで。お前が繋いだ命だぞって見せてやらないと」


 獄谷は莞爾かんじとして笑い、幸太郎の胸を差す。


「……うん」


 彼は使沙の正体をしらない。知ったらきっとみんなと同じことを言うだろう。

 そう思った幸太郎は、あえて使沙の正体を公言しなかった。きっとこれからも。


「まあ、まずはそれ食え」


 獄谷はそう言って幸太郎の手にある肉まんを指差した。


「そうだね」


 幸太郎は肉まんを口に運ぶと、「冷たいや」と呟く。


「だから早く食えって言ったのに」


「ごめん」


 食べ進めていくと、中からひき肉の餡が出てきた。先ほど感じた恐怖心のことはすっかりと忘れて、幸太郎はその肉まんを頬張る。


 ――冷たいけど、うまい。これからは生きていく為にちゃんと栄養のあるものを食べなきゃな。


 幸太郎は咀嚼しながら、ゆっくりと顔を上げた。そこには濃紺色の天空そらが果てしなく広がっている。

 コンビニの明かりのせいで星は見えないが、幸太郎はその空間を見据え、この世界からいなくなった使沙のことを想った。



 この命の重みにどれほど耐えられるかは分からない。

 でも君への罪悪感が僕の生きる活力だから。この気持ちが消えるまで、僕は頑張って生きてみるよ――



「そうだ。なんかあれば俺に連絡をくれ。クラスの奴らは信用できねえだろ」


 彼を完全に信用したわけではない。でも、少しくらいなら信じてみてもいいかな。

 幸太郎はそう思いながら、小さく頷く。


「――ありがとう、獄谷君」


「これで渡瀬の株も少しは上昇するかな」


「下心ばっかりだね、君は」


「うっせぇ!」


 腹を満たした幸太郎は、獄谷と共にコンビニエンスストアを後にして、宮地家に向かう。相変わらず星の見えない天空そらだったが、月の光が二人の行く道を照らしていた。




「ただいま」


 幸太郎がそう言って玄関の扉を開けると、真っ青な顔をして母がリビングから飛び出した。


「幸太郎!? 良かった。本当に……」


「心配しすぎ。少し出かけてただけだろ」


「お前、心配してもらってんだから素直に喜ぶか謝るかしろよな」


 獄谷は幸太郎の隣で呆れた顔をする。

 幸太郎は母のことを心から許し、信じたわけではなかったが、獄谷の言葉も一理あると思い、「わかったよ」と獄谷の顔を一瞥してから頭を下げた。


「――心配かけて、すみませんでした」


「いいのよ。良かった……お父さんと奈々子ちゃんにも連絡しないとね」


 それから幸太郎を探しに出ているという父と奈々子に母が連絡を入れると、二人は大急ぎで戻って来た。


「獄谷君、本当にありがとう」目を潤ませながら、奈々子は獄谷に告げる。

 奈々子に礼を言われている獄谷がなんだか幸せそうに見え、幸太郎も嬉しく思ったのだった。




 それから数日後。幸太郎は学校に復帰し、今までとは違う普通の高校生活を送り始めた。


 幸太郎が復帰して最初に驚いたのは、保健教諭としていたはずの袋井は学校から姿を消したことと、これまで親切だったクラスメイトたちは急に手のひらを返したようにそっけない態度に戻っていたことだった。


「気を遣われるよりずっといい。嘘の優しさに、罪悪感を抱くのはごめんだからな」


 その環境にすぐ馴染んだ幸太郎は淡々とした日々を過ごし、翌年には高校を卒業した。

 そして理数系の大学に進学した幸太郎は、その卒業後、医療用のクローン臓器研究を行う施設に就職したのだった。

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