第14話 仲直り

 午後七時。夕食を終え、幸太郎は勉強机の前で隣の部屋の電気が灯るのを待っていた。


「まだ部活なのか……」


 チラチラと真っ暗な隣の部屋を見て、ぽつりと呟く。

 もしかしたら、僕を避けて帰宅時間を遅くしているのかもしれない――幸太郎はそんな疑心暗鬼に捕らわれていた。


 それから数分後。隣の部屋に明かりが灯った。その瞬間を見逃さなかった幸太郎は隣の部屋に向かって「奈々子!」と声を上げる。


 しかし、奈々子からの返答はなかった。やっぱり避けられているのかもしれない――幸太郎はしゅんとした顔で俯く。


「いや。きっと奈々子は応えてくれるはずだ」


 幸太郎はそう信じて、勉強机に向き合ったまま隣の部屋の窓が開くのを静かに待った。

 

 しかし、いくら待っても返事はなく、窓も開かない。


「なんでだよ……」


 ――いつまでも周りに甘えてんじゃねえ!


 ふと獄谷に言われた言葉を思い出し、幸太郎は顔をふっと上げた。


 そうか。僕は奈々子に甘えているのか。こうして奈々子から声をかけてくれるのを待つばかりで、自分からは何もできなくて。


「甘えてるってそういうことだったのか。じゃあ、獄谷は何も間違っていなかったってことだろ」


 幸太郎はぽつりと呟いた。そして奈々子の部屋に目を遣る。


「奈々子、何も言わなくてもいいから聞いて」


 小さく息を吐いてから幸太郎は続けた。


「あの時、僕は自分が憐れまれてるんだって勝手に思い込んで、奈々子の優しさを突っぱねたんだ。いつも奈々子は僕のことを思っていろいろしてくれていたことを知っていたのに。僕はいつも自分の殻にこもったままで変わろうとしなかった」


 そうだ。奈々子はずっと僕が変わることを願ってくれていた。応援してくれていた。それに気付いていたのに、僕は変化を拒み続けた。


 自分勝手な思いで彼女を傷つけてしまったことを理解した幸太郎は、奈々子に対し深い罪悪感を抱く。


「奈々子はずっと変わるチャンスを作ってくれていたんだよな。そのことにようやく気付いたんだ。本当に本当にごめん。それと――ありがとう」


 こんな言葉で許されると思ってはいない。でも素直に謝りたいと思った。感謝の気持ちを伝えたいと思ったのだ。


 それから幸太郎は両手の拳に力を入れるとゆっくり口を開く。


「だから、さ。いつか許す気になってくれたらでいい。二人でどこかに出かけよう。ショッピングでも海でも、奈々子の行きたいところにつきあうから。どれだけかかってもいい、また前みたいにこの時間は奈々子と過ごしたいって思ってるから」


 幸太郎は聞いているかもわからない奈々子に向かって、そう伝えた。

 今日がダメでも明日頑張ろう。明日ダメでも明後日頑張ろう。彼女の気が済むまで何度でも。


「それじゃあ、おやすみ」


 幸太郎がそう言って窓を閉めようとした時、奈々子の部屋のカーテンが開いた。そこに戸惑った表情の奈々子が姿を現す。帰宅時の制服のままで、目元は少し赤くなっていた。


「私、ちゃんと返事してないでしょ。それでおやすみって……自分勝手すぎ!」


「奈々子……」


「窓越しだし、ちゃんと聞き取れなかった。もう一回言ってよ」


 窓枠から身を乗り出すように奈々子は幸太郎に言う。すると幸太郎も窓から身を乗り出した。


 遠く離れていた奈々子との距離が、前よりもほんの少しだけ近づいたように幸太郎は感じる。


「じゃあ、大事なところだけ。この間はごめん。それと、ありがとう」


「ショッピングも海も付き合ってくれるんだよね」


「うん」


「約束!」


 奈々子はそう言って小指を差し出す。隣の家だと言っても、二メートルほどあるため、その指を絡めることはできないが、


「約束だ」


 幸太郎もそう言って小指を奈々子に向けた。


「じゃあ明日ね。また、この時間に」


「うん。おやすみ奈々子」


「おやすみ、幸太郎」


 奈々子は嬉しそうに笑うと、窓とカーテンを閉めた。それからいつものようにカーテンを少しだけめくり、幸太郎へ手を振ってカーテンから手を離す。


「仲直り、できたんだよな」


 幸太郎は奈々子に向けた小指をじっと見つめた。


「使沙に伝えよう。ちゃんとできたよって」




 翌日、昼休みになり保健室に行くと、使沙は弁当を広げて幸太郎を待っていた。


「コータロー、待ってたよー」


「もう準備万端って感じか? そんなにお腹空いてたのかよ」


「今日はミニハンバーグの日だったので!」


 得意満面にそう言う使沙を見て、幸太郎はクスクスと笑う。

 こういう幼稚なところも可愛いんだよな、と。


「そういえば使沙はハンバーグ好きだったな」


「うん! このミニハンバーグは世界一おいしいんだよ」


 使沙は嬉しそうに言った。それから弁当の蓋を開け、そこにおいしそうなハンバーグが所狭しと存在感を示しているのを見せた。


「へえ、先生って本当に料理ができるんだな。あれ、でもそのハンバーグ」


 幸太郎はそのハンバーグに見覚えがあるような気がした。どこで見たのかは思い出せなかったが、最近そのハンバーグを食べたような記憶もある。


「どうしたの?」


 おいしそうにハンバーグを食べる使沙を見て、幸太郎は少しだけ考えを巡らせたが、「なんでもない」と言って自分の弁当を食べ始めた。


「あ、そういえば。仲直りできたよ」


「本当!? よかったねえ」


 まるで自分のことのように喜んでくれる使沙に、幸太郎は胸の奥をそっと包んでももらったような温かさを感じた。


 それから幸太郎は生唾を飲むと、まっすぐに使沙を見据える。


「だから、その――」


「そうだね! デートのこと、先生に聞いてみないとね!」


「う、うん」


 それから数日後。幸太郎は、袋井からデートの許可が下りたと使沙から聞かされたのだった。

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