第13話 気づきと約束
残暑が厳しい九月上旬。幸太郎は久しぶりに教室の扉を潜る。
所狭しと並んでいる机と椅子。窓の向こうに広がる青空。それは一ヶ月前と何ら変わりない景色だった。
「宮地君、おはよう!」
教室の扉の前でぼうっと佇んでいた幸太郎に気づいたクラス委員長の鈴木は、笑顔でそう言いながら幸太郎の元に歩み寄る。
「おはよう鈴木君」
目を丸くしながら幸太郎が答えると、
「どうしたの? 体調悪い?」
心配そうな顔で鈴木は幸太郎の顔を覗き込んだ。
「いや、久しぶりの教室だなあって思ってただけだよ。心配してくれて……ありがとう」
少し前まで素直に言えなかった言葉が自然に出ていたことに幸太郎は安堵する。
もしかしたら使沙との出会いが、僕をほんの少しでも成長させてくれたのかもしれない――
幸太郎は閉ざしていた自身の内側にある扉を少しずつ開けていく感覚に気づき始め、喜びを感じていた。
「それなら良かった。何かあったら、僕になんでも言ってくれよ! 僕がクラス委員長なんだからねっ!」
「わかった。いつも気にかけてくれてありがとな」
「いいんだよ! じゃあ」
鈴木は笑顔でそう言って右手をあげると、自分の先の方へと歩いて行った。
鈴木君は本当に良いやつだよな――とその背中を見つめていると、なぜか鈴木を見る他のクラスメイトたちの視線が冷たいように感じる。
怪訝な顔で幸太郎が教室内を見渡すと、すぐにその感覚はなくなり、先ほどまでの和やかな空気が広がっていた。
――何かの気のせいなんだよな?
と小首を傾げてから、幸太郎は席についた。
すると、それからすぐに数人のクラスメイトが幸太郎の目の前にやってくる。「おはよう」や「夏休みはどうだった?」など、今まで休みが明けても掛けられなかった言葉たちに幸太郎は動揺し、おどおどしながらも返答をしていった。
「――じゃあ宮地、またあとでな!」
「ああ」
机の周りから人がいなくなると幸太郎は小さく息を吐き、胸に触れた。
温かい。誰かと関わり合えるだけで、こんなに心が温まるものなんだな――と嬉しそうに笑う。
「ギリギリセーフッ!」
教室の後方から聞こえたその声に幸太郎はハッとし、顔を向けた。
夏休みに見た白いワンピースではなく、制服を着た使沙がニコニコと笑いながら教室に入ってくる。
何か言おうと口を開きかけた幸太郎だったが、すぐに始業を知らせるチャイムが鳴ってしまったため、諦めて教卓の方へ顔を向けた。
使沙も幸太郎に声を掛けに来ることはなく、おとなしく着席する。
ガラリと扉を開け、担任教師の佐々木が俯き気味に教室に入ってきた。
いつも入室時には笑顔を見せるはずの佐々木だが、今日だけは微かに暗く沈んだ表情をしている。新学期だからだろうか、と幸太郎は首を傾げた。
教卓に立った佐々木は短く息を吐くと、『停学中だった獄谷源治が退学をした』という衝撃の事実を教室にいる生徒たちへ淡々と伝えて聞かせる。
「そういうわけだから、獄谷君のことはあまり詮索はしないようにお願いします」
詳しい事情は語られなかったが、どうやら自主退学ということらしい。
もしかして、あの一件が彼を自主退学させる要因だったのではないか。幸太郎はそう考え、胸の奥がチクリと痛んだ。
「コータロー、どうしたの?」
幸太郎がハッとして顔を上げると、目の前に心配そうな顔をして佇む使沙の姿があった。いつの間にか朝のHRが終わり、他のクラスメイトたちは始業式のために体育館へと移動している。
「うん……獄谷、君が学校辞めたの、僕のせいかなって思って」
「そうなのかなあ。きっと何か理由があったんじゃないの?」
「そう思いたいよね」
でも、やっぱり僕のせいなんだろうな――。
断崖絶壁から落ちる彼を見殺しにしてしまったような気持ちを抱く幸太郎。
「コータロー、体育館に行かないと」
「あ、うん……」
それから幸太郎は肩に後悔と罪悪感を乗せたまま、使沙と体育館へ向かったのだった。
始業式後。帰りのHRを終えると、使沙は再び幸太郎の元へとやってきた。
「コータローはもう帰るの?」
「うん。弁当も持ってきてないからね。そういう使沙は?」
「私は先生が帰るまで保健室で待ってるの!」
「そっか……僕も一緒に待とうかな」
「本当!?」
目を輝かせる使沙だったが、すぐにハッとして、「ご飯ないんじゃないの?」と尋ねる。
「大丈夫。まだ腹も減ってないし。いつも使沙に待ってもらってばっかで悪いからさ」
「それはいいんだよ! 待つのは私がやりたくてやってるんだもの」
ニコッと笑いながら使沙は言った。
「じゃあ、行こっか!」
それから幸太郎は使沙と共に保健室へと向かう。
そして先ほど使沙から言われた言葉を、前に誰かから掛けられたような気がして幸太郎はその記憶を辿っていた。
最近の出来事だったような気がする――
そして夏休みの初めに奈々子から同じことを言われ、勝手に腹を立ててひどいことを言ってしまったことを思い出す幸太郎。
あれから奈々子と話すことはおろか、顔を合わせることもなくなった。
あの時取った僕の態度を、奈々子はまだ怒っているのかもしれない。
思えば、己の器の小ささが原因のことだったことは分かりきっていて、奈々子の配慮を自分が拒んだだけの話だった。そのことを思い出し、幸太郎は罪悪感を抱く。
「使沙はさ、僕のことを可哀相な奴って思うから優しくしてくれるの」
あの時、奈々子に面と向かって訊けなかったことを幸太郎は使沙に尋ねていた。
「そんなわけないよ、コータローは可哀そうだなんて思わないし、私はコータローと一緒にいたいからいるんだよ? だからいっぱいいっぱいありがとうね」
「――僕も、ありがとう」
幸太郎は笑顔で使沙にそう返した。
奈々子の同じような答えをくれたのだろうか。僕が勝手に自分で自分を可哀そうだと悲観していて勝手に腹を立てただけだったのではないか。幸太郎はそんなことを思い、苦い顔をする。
ちゃんと奈々子に謝らなくちゃ。獄谷の時のような後悔はしたくないから――
「コータロー? どうしたの?」
きょとんとする使沙の顔をまっすぐに見据え、幸太郎はゆっくりと口を開いた。
「――使沙。僕ね、幼馴染と喧嘩したんだ。僕が勝手に勘違いをして、ひどいことを言った」
「そうなんだ」
「でね、ちゃんと仲直りをしようと思う」
ちゃんと謝りたいとは思うけれど、少し怖いと感じていることも確かだった。自分のわがままで奈々子を突き放したのにも関わらず、やっぱり仲直りしたいだなんて虫が良すぎるのでは、と。
「だから――」
勇気がほしかった。ただ背中をそっと押してほしいと感じた。
幸太郎は使沙の目を見据えたまま、すうっと小さく息を吸ってから続ける。
「仲直りできたら、僕とデートをしてほしい」
使沙は目を丸くしながら、幸太郎を見つめていた。
格好悪い誘い方だということくらいは幸太郎も理解している。
しかし、それでも幸太郎は頑張る理由がほしかったのだ。
「うーん」と使沙は顎に指を添えて、天井を見つめる。即答してくれないところがいじらしいなと思った。
それから幸太郎は使沙からの返事を待ちながら、徐々に緊張で顔が強張っていった。いつもより脈が速いように感じ、このまま発作を起こしてしまわないかと少し不安になる。
そして――
「いいよ」
使沙はニコッと笑い、「デートしよう!」と答えた。
強張っていた顔の筋肉が弛緩し、「よかった……」と胸を撫で下ろす幸太郎。
「でも、ちゃんと仲直りできたらだよ? 先生に頼むのもその後ね」
「うん。僕、頑張るから」
「コータローとのデート、楽しみにしてる」
そう言ってふわりと微笑む使沙に、幸太郎はドキッとして頬を赤く染める。
今夜、かならず奈々子に声を掛けよう。そして仲直りをするんだ。
幸太郎は使沙との約束を果たすため、決意したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます