第12話 君と過ごしたい夏休み
夏休みが始まってから数週間。幸太郎は誰かから誘われるわけでもなく、一人寂しく過ごしていた。
家の外では相変わらず蝉たちが元気な声で大合唱をしており、孤独な今の自分とは正反対だなと少し羨ましく思う。
「平日の昼ってこんなにつまらない番組ばっかやってるのか……」
幸太郎は気だるそうな顔でザッピングをしていた。時代劇やドキュメンタリー放送、お料理番組。最終的にニュース番組でザッピングを止め、リモコンを目の前にあるテーブルにおいた。
「それにしても、暇だな……」
幸太郎はリビングのソファにゴロンと寝転がり、ため息交じり呟く。
夏休みの宿題を早々に終えていた幸太郎は、すでに暇を持て余していたのだ。
日中は部屋で読書をするか、リビングでテレビを観るかの二択しかない。
どこかへ行きたがっていた奈々子とは未だに気まずいままだったため、結局出かけることなく幸太郎は家に籠っていた。
奈々子は元気にしているだろうか――と今も部活を頑張っているであろう奈々子の顔を思い浮かべる。
きっと今頃、生き生きとバスケットボールを追っているのだろう。少し羨ましいなと幸太郎は思った。
「僕も奈々子みたいに何か部活動をやっていればよかったのかな。文芸部とか、本を読むだけの部活なら身体に負担はないわけだし」
今更遅いけど、とまたため息を吐く。
「使沙はどうしてるのかな」
元気にしているだろうか。袋井先生を困らせているかもしれないね。
もしくは、真面目に勉強しているのかも――。
「そういえば。学校と病院以外で使沙に会ったことなかったっけ」
それから幸太郎はハッとして身体を起こし、自分が入院していた時のことを思い出していた。
「使沙はあの一週間、毎日病院に来ていた。ってことは、あの病院の近くに住んでいるんじゃないのか」
何の根拠もなく、単なる憶測でしかないことだった。しかし、幸太郎はその可能性に希望を見出す。運よければ使沙に会えるかもしれないと思ったからだ。
幸太郎は寝間着からTシャツとジーンズに着替え、スマートフォンと財布をポケットに突っ込むと急いで家を出た。
一目だけでもいい、使沙に会いたい――幸太郎はそんな思いで病院に向かったのだった。
病院の敷地内に停まったバスを降り、幸太郎はその周辺を徘徊し始める。どこかの窓から偶然使沙が外を見ていて、自分を見つけてくれるかもしれないと思ったからだ。
しかし、炎天下の空の下で長時間歩き回るということの大変さを幸太郎はわかっていなかった。徘徊して三十分。体力は限界に達し、幸太郎はバス停留所のベンチで腰を降ろしていた。
「そうだよな。そんな上手い話、あるわけないよな」
幸太郎は俯いたまま、深い溜息をつく。次のバスが来たら帰ろう、そう決意した時――
「あれ、宮地君?」
聞き覚えのある女性の声に幸太郎は顔を上げた。するとそこには、サマースーツを着て、きょとんと佇む袋井の姿がある。
「え、なんで……」
「いや、それはこっちの台詞よ。今日、検査の予定なんてあった?」
その問いになぜか違和感を抱きつつも、「ないです」と答える幸太郎。
「じゃあ、どうしてここに?」
幸太郎は少し逡巡してから、
「使沙に会えるかなって思って」と白状した。
袋井はぷっと噴き出すと、「それは青春なことで」と言ってクスクスと笑った。
そんな袋井を見て幸太郎は急に恥ずかしくなり、俯きながら両手で顔を覆う。
「なんで僕、こんなことをしたんだろう」
「まあでも、君の頑張りは私が認めてあげよう。ご褒美に『天使』を召喚してあげます」
「え?」
幸太郎がゆっくりと袋井の方へ顔を向けると、袋井は取り出したスマートフォンを素早く操作しているのを見た。
「何してるんですか?」
「だから、『天使』を召喚してるんだって。すぐに来るから、ちょっと待ってて」
「はあ」
幸太郎は首を傾げる。それから五分もしないうちに、幸太郎は袋井の言った意味を知ることになった。
「せんせー!」
右手を大きく振りながら、こちらへ走ってくる少女の姿があった。見覚えのある白いワンピース。そして栗色の髪。幸太郎は思わず目を丸くする。
「使沙! こっちよ」
袋井が手を上げると、使沙はぱあっと明るい顔になって駆け寄ってきた。
「コータロー、久しぶり!」
使沙は後ろで手を組みながらニコッと笑う。
幸太郎はその笑顔から目を離せなかった。使沙の笑顔から何かがはじけ、彼女の周囲は他よりも輝いているように見えたからだ。
「使沙……久しぶり。会いたかった」
絞り出すような声で幸太郎はそう言った。
「あらあら、そんなに喜んじゃって」
袋井はからかい半分にそう言って笑う。
多少おおげさに見えていることは幸太郎も理解していた。しかし、それほどまでに使沙と会えたことへの喜びは大きかったのである。
「じゃあ私は仕事があるから二人でごゆっくり。中庭にもベンチがあるから、喋りたいならそっちに移動したほういいわよ。今日も暑いしね」
そう言ってから袋井は病棟の方へ歩いていった。
「じゃあコータロー、中庭に行こう!」
使沙に手を引かれ幸太郎は立ち上がり、病院の敷地内にある中庭へと向かった。途中の自動販売機でスポーツドリンクを購入し、幸太郎はからからになっていた喉を潤す。
「汗でびっしょりだね、コータロー」
「ああうん。使沙に会えないかなと思って、ちょっと歩き回ってたらこうなった」
そう言いながら幸太郎は照れ臭そうに頬を掻いた。
「そっかぁ。私を探してくれたんだね。ありがとう」
使沙は幸太郎の顔を覗きながら、ニコッと笑う。
そんな使沙の笑顔を見て、幸太郎は頬が熱くなるのを感じた。
たぶん夏の暑さのせいだ。そう思いながら、ゆっくりと使沙から顔を反らす。
「うん。でも、ちゃんと会えてよかった。夏休みが終わるまで会えないかと思ってたから」
「あっははー。私もそう思ってたよ。だからコータローが来てくれて嬉しい」
「――そっか」
幸太郎たちは中庭に着くと、大きな木を後ろに控えている木製の茶色のベンチに並んで座った。
地面に輝く木漏れ日を見つめながら、幸太郎は何を話そうかと逡巡する。
夏休みの思い出? あるいは昨日観たテレビ? 最近読み終えた小説?
「――やっぱり今日も暑いな」
悩んだ末、幸太郎はいつものように何気ない会話をすることを選んだ。
「そうだねえ。でも、外に出るのは嫌いじゃないかも!」
「もしかして、今までずっと家の中にいたのか?」
「うん。ずっとお部屋にいた。私は特別なんだって。だからあまり外には出ちゃダメなの」
使沙が寂しそうに俯いたような気がして、幸太郎は怪訝な顔をする。
そういえば、使沙って病院の敷地内から来たよな――。
「だから、今日お外に出られたのはコータローのおかげ! ありがとう」
使沙はそう言って顔を上げて微笑むと幸太郎を抱き寄せ、いつものように胸に押し当てた。
幸太郎はホッとした顔でその胸に顔をうずめる。
優しくて温かい、親近感を抱く不思議な音。
久しぶりに聞く使沙の鼓動に、こんなにも安心するなんて――
「使沙。君は僕にとっても特別なんだと思うよ」
「そっか。よかった」
それから使沙はえへへ、と笑ってから幸太郎を離した。
「コータロー、また会いに来てくれる?」
使沙は幸太郎の目をまっすぐに見て問う。
「うん、もちろん」
大きく頷きながら、幸太郎は答えた。
君に会うためならば、いつでもどこにでも行くよ。
幸太郎はそう思いながら、使沙の顔を見つめたのだった。
それから夏休みが終わるまでの間、幸太郎は毎日この病院を訪れるようになった。
必ず使沙に会えるわけではなかったが、ほんの少しでも顔を見られることが幸太郎にとっての幸せだったのだ。
ときどき病院内にある一般客用の食堂へ行くと、一緒に使沙のおすすめであるハンバーグを食べたりもした。
どこかで見たことがあるようなミニハンバーグだったが、そんなことは取るに足らない問題だろうと幸太郎は頭からすぐにその疑問を消す。
そして、毎にち病院通いをする幸太郎に母は怪訝な顔をして、「今日も行くの?」と尋ねてきたことがあった。
幸太郎が「うん」と答えると、「そう」と答えるだけで母はそれ以上の言及はしない。
母さんは僕に興味なんてないんだろうな。こんな、壊れた子どものことなんてさ――
そうして、いつの間にか幸太郎の夏休みは終わりを迎えていたのだった。
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