第15話 君と過ごす一日
九月下旬。幸太郎は使沙と共に市内にある遊園地に来ていた。
定番の観覧車やお化け屋敷。アニメの世界を再現したVRを活用する最新のアトラクション等々。久しぶりに来た遊園地が大きく変革を起こしていることに目を丸くしていた。
「ジェットコースターいこう、ジェットコースター!」
使沙は遊園地のマップの前でぼうっとしていた幸太郎の腕を掴み、意気揚々と歩き出す。
「僕、見てるだけだからね」
「わかってるって!」と使沙は弾む声で答えた。
人気アトラクションは何時間も待つことが多く、使沙が乗りたがっているジェットコースターも二時間待ちだった。
幸太郎は心臓の病のこともあり、絶叫系の乗り物は乗らないように徹底しているのだが、使沙を一人で待たせるのは少し心配だったため、とりあえず列にだけ並んで使沙の話し相手をすることにしていた。
「幸太郎も乗れるようになったらいいのにね」
使沙は乗り場の入り口の方を眺めながら、残念そうな声で言う。
使沙が自分だけ楽しみにしていることを申し訳なく思っているのかもしれないと幸太郎は感じ、普段は思っていてもそんなことを言わないくせに――と嬉しそうに微笑んだ。
それから肩をすくめると、
「別にいいよ。もう乗れないってわかってるから、落ち込んだりもしないしね」
と笑いながら答える。
使沙はゆっくりと幸太郎の方を向くと、その目を見据えた。
「でも……乗れるようになったら、乗りたいって思う?」
その双眸に捉えられた幸太郎は、なぜかほんの少しだけ期待を抱いてしまう。
「――そりゃ、一度くらいはね。でも」
でも、それは叶わない願い。いくら天使のような彼女であっても叶えられるはずはないんだから。
「そっか。そうだよね」
そう言って使沙は「うんうん」と小さく頷く。
意味深な使沙の首肯に幸太郎は首を傾げたが、それ以上の追及はしなかった。
きっと使沙なりの考えがあるのだろう。使沙を見据えたまま、そんなことを思う。
「今日のところは私が引き受けます! ちゃんと見ていてね、コータロー」
「う、うん」
使沙の順番がやってきて幸太郎は自分が乗らないことを係員に伝えると、その列を抜けた。それからジェットコースターの見えるベンチまで移動し、使沙の通過を待つ。
「見ていてねって……やっぱり一人で乗るのは怖いのかな」
そんなことを考えていると、唐突に悲鳴のような叫び声が幸太郎の耳に届いた。幸太郎は反射的に顔を上げる。
「あ、使沙……」
使沙は大口を開けて、両手を大きく上げていた。風と一つになっているようなその姿は、何ものにも捕らわれらず、とても自由に見える。
楽しそうだな。僕も、いつかは乗ってみたい――
ふとそんな考えが頭をよぎった。ハッとして首を横に振ると、
「もう諦めたことなんだ。使沙は楽しさを僕に教えてくれるために、見ていてって言ったのかもしれない。代わりに楽しんでおいたよって……」
幸太郎は大きなため息を吐く。
しばらくすると、ジェットコースターから降りてきた使沙が、笑顔で幸太郎の元に戻って来た。
「どうだった?」
使沙は満面の笑みで幸太郎に尋ねる。ほんらい質問するのは僕の方のような気がする、と幸太郎はそう思ったが、
「楽しそうだったね」
と笑顔で答えたのだった。
「えへへ、そう見えたのならよかったよ」
使沙は嬉しそうに笑った。
幸太郎が使沙の言いたいことの意味をわからないまま首を傾げていると、
「じゃあ帰ろっか!」と使沙は笑顔で告げる。
「……え? まだジェットコースターしか乗ってないじゃないか」
「いいの! あれに乗るところを見せたかっただけだから!」
「はあ?」
「じゃあ、次は――幸太郎のお家に行こう!」
使沙の唐突な提案に幸太郎はきょとんとした。
幸太郎がその場で佇んでいると、
「ほら! 行くよー」
使沙はそう言って幸太郎の腕を掴み、強引に遊園地の出口に向かったのだった。
遊園地を出た幸太郎は使沙を連れて、いったん近くのファミリーレストランに入る。家に行くのは一度確認を取ってからにしてほしいと使沙に頼み込み、その時間稼ぎための入店だった。
父さんは朝からいなかった。母さんはもう帰ってるだろうな――スマートフォンに表示されている時間を見て、幸太郎は苦い顔をする。
「うーん」
「どーしたのー?」
「ええっと。たぶん、家に僕の母さんがいてね。それで――」
「じゃあ、ちゃんとご挨拶しなくちゃだ!」
ふわりとした笑顔で使沙は言うが、幸太郎はそれどころではなかった。
このままではまずいことになる――地面から湧いてくる水のように幸太郎の全身から汗があふれ出た。
「そ、そうじゃなくて……なんか、その。勘違いとかされるかもしれないだろってこと」
「勘違い?」
きょとんとした使沙を見て、ああ本気でわかっていないんだなと幸太郎は困惑の表情を浮かべた。
「ほら、女の子を家に連れて行くって……なんか、その」
「そっか! 彼女に間違われるってこと?」
「――う、うん」
「大丈夫だよー」
えへへ、といつものように使沙は笑った。
その大丈夫と言うのが、心配しなくても彼女じゃないって言うから大丈夫なのか、言われても私は平気だよの大丈夫なのかどっちなのだろう、と幸太郎は使沙の表情を見て考える。
いつもと変わらない純粋そうな笑顔からは、言葉の本質を見抜くことができなかった。
今は使沙の言葉を信じてみるか――
幸太郎は小さく首肯すると、使沙の目を見据える。
「わかった。じゃあ行こう」
「はーい」
ファミリーレストランを出てすぐ、幸太郎は照り付ける太陽を見遣った。それから視線を進行方向に移す。歩道には人がまばらに歩いており、右手には大きな幹線道路があった。その先に爪楊枝ほどの大きさに見えるバス停があり、そこから出るバスに乗れば十分ほどで家に着くだろうと幸太郎は推測する。歩けば三十分以上はかかる距離だ。
天気が良いから歩くのもありだけど、少し距離がな――
「バスで行ったほうがすぐだけど、どうする?」
幸太郎が訊くと、「歩く!」と使沙は即答した。
普段は保健室と家の往復だけで使沙は他の街を知らないのかもしれないと思った幸太郎は、その要望通りに歩いて実家に向かうことにしたのだった。
「人がいっぱいいるね」
使沙は周りを見まわしながら嬉しそうに歩く。
「ちゃんと前を見て歩かないと危ないぞ」
「はーい」
そう言ってから、また使沙は周囲をキョロキョロと見て歩いた。
「返事だけは立派なんだから」
そして大通りを抜けた幸太郎たちは片道一車線の道路に出る。十字路で信号待ちをしている歩行者は幸太郎と使沙だけで車の通りもほとんどなかった。
「この辺りは静かだねえ」
「そうだね。通学時間帯は多少込むこともあるけど、大体はこんな感じかも」
「へえ」
歩行者信号が青に変わり、使沙は左右を確認してから足を前へ出して歩く。半歩遅れて歩き出そうとした幸太郎だったが、右車線の奥の方からスピードを緩めずにやってくるワゴン車に嫌な予感がしていた。
あの車、何かおかしい――幸太郎は立ち止まったままだったが、使沙はどんどん先へ行く。何もなければ良いけれどと使沙を追おうと足を前に出した時、その嫌な予感が的中したことを悟った。
走行車用の信号機は赤く点灯しているのにも関わらず、その車は勢いがいまだに緩まない。幸太郎は咄嗟に「使沙!」と叫び、使沙の腕を掴んで自分の方に引き寄せた。
すると、ワゴン車は赤信号など目にもくれず、幸太郎たちの目の前を堂々と横切っていく。
さっきの予感を無視していたら、僕も使沙も今ごろ――そう考え、幸太郎は戦慄した。
それから幸太郎は小さく息を吐き、自分の腕の中で動かない使沙に目を向ける。その距離の近さにドキッとすると頬を赤らめた。
「使沙、大丈夫?」
そう尋ねた幸太郎だったが、使沙からすぐの返答はなかった。
無意識とは言え、公共の場で抱擁をしていることを使沙は怒ったのかもしれない。平手打ちの一つくらいは覚悟しようと心に決めた。
本心ではこのままでいたいと思った幸太郎だったが、周りの目が気になって身体から使沙を剥がそうとすると、その使沙は離れまいとぎゅうっと幸太郎にしがみつく。
「使沙?」
「えへへ。いつもと逆になっちゃったね」
使沙は嬉しそうにそう言うと、「コータローの音がする」と耳を幸太郎の胸にあてた。
「僕の、音……」
「うん! これがコータローの音かあ」
それから使沙は無言で耳をすませている。
こうもしっかりと聞かれるのは少々恥ずかしい。
壊れたレコードから流れるような聞くに堪えない音だと思われていたらどうしようと幸太郎は不安が募っていく。
しかし、使沙が幸太郎の鼓動について言及することはなかった。
しばらくすると反対の道から通行人が現れたため、幸太郎は使沙に人が見てるからと告げ、使沙を身体から剥がす。その時の名残惜しそうな表情をする使沙を幸太郎は見逃さなかった。
「じゃあ、行こうか」
「うん!」
そして幸太郎と使沙は再び歩き出す。
今度は何かあっても良いようにと、なるべく身体を寄せて。
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