第4話 そして僕らは再会する
数日後。再び体育の授業の日がやってきた。
「おい宮地! 今日もサボりかぁ?」
いつものように嫌味を含んだ口調で獄谷は幸太郎に絡んでくる。しかし、幸太郎はそんな言葉に耳を傾けることなく、教室を後にした。
「あいつ、本当に何なんだよ」と辟易しながらため息を吐く幸太郎。
もしかして、クラスでは誰にも相手にされないから寂しいとか?
そうだとしたら面倒くさい奴だな、とまた小さなため息を吐いた。
「それにしても。相変わらずみんなは、我関せずって感じだよな」
幸太郎が獄谷に絡まれているとき、教室にいる生徒たちから『誰か何とかしなよ』という空気が漂っていることに幸太郎は気が付いていた。
そして獄谷を恐れているのか、教室にいる誰もが見て見ぬふりでその場から去っていくことも知っている。
仕方がないよな。僕をかばって今度は自分が獄谷のターゲットになんかはされたくないんだろう。正しい選択だよ。
「みんな、自分が可愛いのは当たり前。子供なんて高校生なんて、所詮はそんなもんだろ……」
自分を犠牲にしてまで誰かを救おうなんて考える奴が、同年代の人間にいるはずもないのだから。
圧倒的な孤独感。しかし、自ら望んだその感情を幸太郎が否定することは許されない。いつものようにその感情を受け入れ、諦めていくしかないのだ。
しかし、空虚な心の芯は時に優しさと温かさを欲する。けれど、誰もそんな幸太郎の想いには気が付かない――。
保健室に着いた幸太郎は、袋井に断りを入れるとベッドに横たわった。それからすぐにハッとして身体を起こし、ベッドの周りを確認する。
ベッドには自分の存在以外みとめられず、隣のベッドは使用された形跡もなく整頓されていた。そして保健室に入った時にも袋井以外の人間の姿を目にしていない。
さすがに今日はいないみたいだな。
それだけ確認すると幸太郎は再びベッドに横たわった。そして天井を見つめながら、何をするでもなくぼうっとする。
幸太郎がこのまま寝てしまおうかと考えていると、窓の外から楽しそうな笑い声が聞こえてきた。その声がクラスメイトのものと分かると幸太郎は苦い顔をする。
どうして僕はこんなところで寝ているのだろう――と授業をサボってしまった自分に罪悪感を抱いた。
「でも、仕方ないんだ。だって、僕は……」
幸太郎は自分の胸に手を当て、その鼓動を確かめる。規則的に鳴る音にホッと胸を撫で下ろすが、途端に表情がくもった。
外側からではわからないような病魔が、この胸の奥に潜んでいる。生まれた時から幸太郎はこの病魔との戦いを余儀なくされていた。そしてその戦いで勝ち残っているからこそ、今という時間は存在しているのだ。
しかし勝ち続けるということは容易いことでなく、幸太郎の心は少しずつ疲労を蓄積していた。
「いつまでこの病気と付き合っていかなくちゃならないんだろうな。今はほとんど発作もないのに」
ため息まじりに幸太郎はそう呟く。
「コータロー、やっと来た!」
そう言って嬉しそうに幸太郎の顔を覗きこむ、栗色頭の少女。
「って、いつからそこに!?」
幸太郎は飛びおきて、その栗色頭の少女から距離を取った。
「私はずっとここにいるよー。ずっとコータローを待っていたんだもん」
えへへ、と栗色頭の少女は笑う。
「なんなんだよ!」
「ああ、ごめんね宮地君。その
袋井は顔を覗かせながら、思い出したように幸太郎へ言った。
それから幸太郎は栗色頭の少女を見る。確かに学校指定のブレザータイプの制服を着用していた。
「お前、本当にここの生徒なのか?」
「そうだよー! 天気の『天』に、江の島の『江』。使う沙悟浄と書いて、『
「天江、さん……」
どこかで聞いたような苗字のような気がする。きっとテレビかなんかで聞いたんだろうな。幸太郎は腕を組み、そんなことを考えながら使沙を見つめた。
「で、その天江さんが僕に何のよう?」
「うーんとね。コータローと遊ぼうと思って!」
使沙の言葉に幸太郎は顔をしかめる。
この間もそうやって僕のことを――。
「あのさ。前から気になっていたんだけど、ちょっと慣れ慣れしくない? いきなり名前――と言うか、僕は『幸太郎』! 『コータロー』ってなんだか犬みたいじゃないか!」
「わあ、本当だ! コータロー、お手!」
「しないよっ!」
「ええー。あ! じゃあ――わんわん!」
使沙は両手をグーにしてから、その手をちょこんと前に出す。
「何?」
「私が犬になります」
得意満面に使沙はそう言って、幸太郎からの指示を待っているようだった。
「やめてよ、僕がやばいやつみたいだろ……」
「大丈夫! コータローは凄い子だから!」
「意味わからないし!」
「コータロー、撫でて撫でて!」
「先生! この子、なんとかできませんかー!?」
幸太郎は保健室にいるであろう袋井に叫ぶ。
「はいはい」といって袋井は幸太郎たちの前に姿を現す。
「ほら、使沙。宮地君が困ってるじゃない? これ以上やったら、嫌われちゃうかもしれないわよ」
袋井が言うと、さっきまで楽しそうに犬の物まねをしていた使沙はギョッとした顔をしてから、「ごめんなさい」といって俯いた。
「ちょっと距離感が掴めない子でね。宮地君も許してあげてね」
「まあ、はい」
もしかしたらこんな性格のせいでクラスからいじめを受けた末に、保健室登校になったとか……? だからと言って、仲よくしてやる義理もないけれど。
幸太郎は悲しげな顔で袋井に諭されている使沙を見ながらそう思った。
「じゃあ私は仕事に戻るから。使沙、今度は迷惑かけないようにするのよ?」
「はーい!」
満面の笑みで袋井に答える使沙。袋井は先ほどまでいた教員用の机の方へ戻っていった。
これでようやく静かに眠れる――幸太郎はそう思ってベッドに横たわると、
「じゃあ、コータロー! 何しよっか?」
と使沙も同じように横たわり、幸太郎の目をじっと見つめながら微笑んだ。
唐突のことで判断が遅れ、少しのあいだ使沙と見つめあう幸太郎。しかし、幸太郎はハッとして頬を赤く染めると、すばやく身体を起こした。
「迷惑かけるなって言われてただろ!? 僕はゆっくり休みたいんだ! だから放っておいてくれないか!!」
「えー、つまんないー。遊ぼうよー」と唇を尖らせる使沙。
「だから――」
使沙へ文句を言おうと幸太郎が口を開いた時、目の前にいる使沙と記憶の端で眠っている誰かの姿が重なった。
明るい声、天真爛漫な性格――そうだ、前に夢で見た女の子。その子に彼女が似ているんだ。
「コータロー?」
きょとんとした顔で使沙は幸太郎を見ていた。
しんっと静まり返った保健室では、袋井のタイミング音しか聞こえない。
幸太郎は使沙にどうしても訊きたかった。しかしうまい言葉が見つからず、ただ時間だけがいたずらに過ぎていく。
難しい顔をする幸太郎を見て、使沙はふわりと笑った。
その笑みにハッとした幸太郎は軽く息を吸って、ようやく口を開く。
「――ねえ。君と僕はずっと前に出逢っていたのかな?」
我ながら間抜けな質問だとは思ったが、他にどんな言葉を紡げばいいのか分からなかった。ただ真実を知りたい。その気持ちに従っただけの問いだった。
幸太郎の問いに使沙は目を輝かせ、「うん!」と大きく頷いた。
「やっと気づいた! いつ思い出してくれるのかなって、待ってたんだよコータロー!!」
使沙はそう言って幸太郎をぎゅうっと抱きしめる。使沙の手を振りほどけなかった幸太郎はその身を彼女に任せた。
今までの人生で母親以外に抱かれたことのない幸太郎は、これが女の子の感触なんだなあとマシュマロのように柔らかい使沙の胸の中で思う。
それからハッとすると顔を上げ、使沙の顔を見遣った。
「ちょっと、こういうのは――」
「いいから、いいから。私の鼓動聞こえる?」
「鼓動……」
使沙に言われ、幸太郎は耳を澄ませた。
規則的に聞こえる心臓の鼓動になぜか安心感と親近感を覚える。自分の心臓の鼓動とはあきらかに違うはずなのに、昔から知っているような気がしていた。
「きっと病気の僕とは、違う音をしているんだろうね」
わざとそんな皮肉めいたことを幸太郎は呟く。
こんな言葉を聞いて彼女は何を思っただろうか。嫌な気持ちになっただろうか、悲しんだだろうか。
幸太郎は今更そんな後悔をした。そして、他に言い方があっただろうと反省もする。
「これはコータローの音。すっごくいい音してるでしょ」
「違うよ。僕の鼓動は、そんな」
「ううん、コータローの音だよ。だから、コータローはもう大丈夫なんだよ」
何の根拠でそんなことを言うのか、と幸太郎は思ったが、「うん」と使沙に答えていた。根拠なんてものは微塵もないけれど、なぜか使沙の大丈夫と言う言葉には、説得力があると感じたからだ。
彼女なら。天江使沙なら僕のことを理解してくれるかもしれない――幸太郎は目の前にいる天使のような少女にそんな希望を抱く。
この日を境に、幸太郎は頻繁に保健室へ通うようになったのだった。
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