第3話 幼馴染

 夕食を終えた幸太郎は自分の部屋にある勉強机に向かっていた。


 難関大学に進学しようと思っている高校生でなければ、夕食後すぐに勉学に励もうとは思わないだろう。

 だが、幸太郎は体育の授業をサボった分、座学で成績を維持するために勉学に励まなければならないという理由があった。

 そして、ほぼ毎日午後七時にこの場所で待ち合わせをしている相手もいる。


「おーい」


 右手にある窓から声が聞こえ、幸太郎はその声の方へ顔を向けた。


「今日も時間通り、さすが優等生ね」


 切れ長の瞳にボブカットの髪、黒い無地のTシャツを着た幼馴染――渡瀬わたらせ奈々子ななこが窓枠に頬杖を突きながら言った。


「優等生じゃない。実技系が出来ない分、筆記で頑張らなくちゃいけないだけだ」


「はいはい」と奈々子は嬉しそうに笑う。


 奈々子が帰宅したタイミングでこの夜の会話は開始される。

 いつもの奈々子ならば帰ってすぐの制服姿で窓際に現れるはずだが、部屋着で現れた今日はいつもより早い時間に帰宅していたのだろうということを察した。


「今日の部活は早く終わったんだな」


「ああ、うん。先生たち、会議があるからって今日は一時間早く上がったんだ。わざわざ生徒たちを帰してからなんて、よっぽど聞かれたくない内容の会議なのかねえ」


 奈々子は肩をすくめながら、やれやれと言った顔をした。


「さあね。あまり意味のない話し合いなんだろうなとは思うけど」


 幸太郎は淡々と答える。そんな幸太郎に奈々子はクスクスと楽しそうに笑った。


 そういえば、この時間を持つようになってどれくらいが経ったのだろう――と幸太郎はふと逡巡する。


『この時間に待ち合わせね』とどちらかが言ったわけではない。夕食後にたまたま勉強していた幸太郎に隣の家に住む奈々子が話しかけるようになったことで、いつの間にか日課になっていたのだった。


 そのこともあり、奈々子とは昔からきょうだいのように仲が良く、他の同級生たちとは違う存在のように幸太郎は思っている。


「そういえば。今日も体育の授業中、保健室にいたんだってね」


「誰からそういうの聞くんだよ」


「それは――まあ、いろんな筋からね! ほら、私が聞くとみんな素直に教えてくれるからさ」


 ニコッと笑いながら奈々子は言った。


 奈々子は幸太郎とは違い、病気とは縁のない健康的なスポーツ少女だった。

 今では女子バスケ部の部長を務め、先輩後輩からの信頼も厚いと聞く。そして、見た目がクールできれいめ系女子というギャップもあり、同学年の男子生徒たちからはかなり人気があるらしい。

 こういう時に他の女子から嫉妬の対象になりそうなものの、誰にでも優しい彼女はもちろん同性からも人気があった。


 本当に僕とは正反対だな、と幸太郎はいつも思う。


 しかし自分から周りの人間を突き放していることもあって、それが羨ましいとは思っていなかった。


「まあ、自分が参加できなくて悶々とする気持ちも分かるけどさ。でも、そういうところからクラスメイトと仲良くなるきっかけが見つかると思わない?」


 思わないよ。というか、別に仲良くなりたいわけじゃないんだって――

 幸太郎は幼いころから何度もその言葉を奈々子に告げてきたつもりだったが、未だに分かってもらえていないらしい。


 中学一年生の時、『なんでいつも一人なの?』という奈々子の問いに、『一人が好きだから』と答えると、『それじゃ、寂しいじゃない!』と遊びたくもない同級生の家に連れて行かれたことがあった。

 その同級生は奈々子と遊ぶつもりでいたので、おまけでついてきた幸太郎を見て、嫌な顔をすることが大半だった。


 そんなことがあってから、いくらきょうだいのように仲が良くても他の同級生とは違うと思っていても、根本的なもんだいに対する理解は得られないのだなと幸太郎は諦めて考えるようになった。


 どうせ奈々子にだって僕の気持ちは分からないだろう。自分の身体の自由を宿命に握られている感覚なんて――幸太郎はそんな皮肉を内心でつぶやく。


「はいはい。これからは気をつけるよ」


「本当かなあ」


「気が乗った時はね」


「それ、絶対やらないやつじゃない!」


 これ以上、この話を続けられるのが面倒だと思った幸太郎は、今日保健室であった出来事を奈々子に話すことにした。

 変態と思われて引かれそうだとは思ったけれど、奈々子相手に引かれてもなんてことはないだろうと思ったからである。


「――へえ。そんな女の子が」


「うん。一応保健室にはいたけど、あんまり高校生って感じはしなかったな。なんだか幼児みたいな感じ」


「ちなみに、可愛かったの?」


 奈々子の問いから、保健室で見た栗色頭の少女の姿を思い浮かべる。

 胸の位置まである栗色の髪、雪のように白い肌。長いまつげにぷるんとした唇。


 天使のように可愛かった、と答えるとじぶんの性癖についてあれこれ問われそうだと思った幸太郎は、「んー、まあ。少しは?」と婉曲えんきょくな態度で返答する。


「少しはって何よー。ってか幸太郎のくせに、女子の良し悪しを語るなんて」


「くせにってなんだよ! 僕だって男だ! 女子の好みだってあるに決まってるだろ!」


「へえ。じゃあ、どんな子が好みなの?」


 ニヤニヤとした顔で奈々子は幸太郎に尋ねた。


 素直に返答することを面倒だと思いつつも、こういうときの奈々子はなかなかしつこい。だからこそ、さっさと白状したほうが楽になるいうことを幸太郎は知っていた。


「可愛くて優しくて、僕のことを一番分かってくれる子」


 幸太郎は淡々とそう答える。


 そもそも。僕の好きなタイプなんて聞いてどうするんだ。笑いものにでもするつもりか?


 割とまともな答えを言ったし、奈々子はつまらなそうな顔をしてくれるだろうと幸太郎は思っていた。

 すると、思いのほか奈々子は真剣な表情で顎に指を添え、幸太郎が言った言葉を反芻している。


「可愛くて優しくて、分かってくれる女子か……ハードル高そう」


 もしかして、女の子の紹介でもするつもりなのだろうか。

 そうだとしたらお節介なことこの上ない。今は恋愛になんて興味はないのに。

 幸太郎は眉をひそめながら、そんなことを思う。


 欠陥がある人間のことなんて、どうせ迷惑に思うに決まってるだろ――


「幸太郎?」


 心配そうな声で呼ばれた気がした幸太郎は、ハッとして奈々子の顔を見る。


「大丈夫? もしかして、具合悪くなった?」


「いや。少し考え事。というかそろそろいい? 勉強したいんだけど」


「ああ、ごめんね! 私もお風呂行かなくちゃ。んじゃ、また明日ね。おやすみ」


「おやすみ」


 それから奈々子は窓を閉じるとピンクのカーテンをザッと引いた。

 カーテンで部屋の中が見えなくなった直後、奈々子がカーテンの隙間から顔を出し、微笑みながら手を振っていたので幸太郎もとりあえず手を振り返す。


「さてと。課題の続きだ」


 これが僕の日常。今日もいつも通りの一日だった。


 しかし、保健室での出会いからこの日常が変化していくことを幸太郎はまだ、知らない――。

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