第8話 目を覚ますと君がいた
幸太郎が意識を取り戻すと、見慣れない天井が視界に入った。
ここはどこ? 僕はどうなったんだ?
ぼうっとする頭で幸太郎は考えを巡らせる。
消毒の匂い。清潔感のある白の景色。保健室と似ているようで違う気がした。
そんなことを漠然と考えていると見えていたはずの天井が、急に視界から消えた――というより、誰かが視界に飛び込んできた。
「コータロー? 起きた?」
心配そうにのぞき込む顔。栗色の髪に大きな黒目の少女の姿。
「つ、かさ?」
幸太郎はゆっくりとその少女の名を呼ぶ。
「うん。よかった……もう起きないかと思って、心配したんだよ」
それから使沙は横たわっている幸太郎に、覆いかぶさるように身体を寄せた。
「使沙?」
「よかった。本当に」
安堵した声で使沙はそう言った。
そんなに僕のことを心配してくれていたなんて、と幸太郎は頬を緩ませる。
視界には、久しぶりに再会した時のように栗色の頭が映っていた。その髪からはいつものシャンプーの香りがする。その体熱を感じ、鼓動の音を聞くと心が安らいでいった。
「あ! 先生に伝えないと!!」
使沙は唐突にそう言って身体を起こす。
離れようとする使沙の手を幸太郎は咄嗟に掴んだ。
「待って。もう少しだけ、ここにいて。そうじゃないと、僕が不安なんだ」
きょとんとした顔をする使沙。それから「わかった」と答え、使沙はベッドに腰を降ろした。
「わがまま言って、ごめん」
「ううん。大丈夫だよ」
使沙はふわりと笑う。
その笑顔に、幸太郎の胸はトクンと高鳴った。
これじゃ、また発作を起こしてしまいかねないな――。
幸太郎がぼうっと見つめていると、使沙は心配そうな顔で幸太郎を見つめる。
「大丈夫? まだ意識がはっきりしてない?」
「大丈夫だよ。僕は大丈夫」
君がここにいてくれるだけで、僕は十分なんだ。幸太郎はそう思いながら微笑んだ。
それから使沙は、そっと幸太郎を抱きしめる。
いつものように鼓動を聞かせようとしているのかもしれないと幸太郎は思い、そんな使沙を拒むことなく受け入れた。
規則的に聞こえる、優しくて温かな音。
以前と同様に、ずっと昔から知っているような親近感を幸太郎は覚えていた。
「使沙の鼓動を聞くと、なんだか安心する」
「よかった、そう言ってもらえて」
しばらくその体勢で過ごしてから、使沙は「先生を呼んでくるね」と部屋を出て行った。
そして一人になった幸太郎は、今いる場所からぐるりを部屋の中を見渡す。白い壁、格子が付いた窓。何の成分があるのかはよく分からない点滴剤と、見慣れた白い布団に覆われたベッド。先ほどまで使沙が座っていたであろうパイプ椅子。
どうやらここは、いつも世話になっている県立病院の個室らしい。
学校からはそう遠くない場所にあるし、ここが無難だよな――。
「でもこうやって入院する時、いつも個室になるよな。僕の病気ってそんなに深刻なものなのか……」
幸太郎はそっと胸に手を当て、いつものように心臓の鼓動を確認した。痛みは治まり、胸の高鳴りもない。
――いつもと同じだ。いつものように壊れている。
数分後、使沙は袋井を連れて戻って来た。使沙の言う先生が担当医の先生のことを指していると思っていた幸太郎は部屋に入ってきた袋井を見て少し驚く。
話しによると、袋井は用があってちょうど病院に顔を出していたらしい。そして幸太郎の両親は共に仕事で、何かあれば袋井に対応を任せる様に言っていたようだ。
僕が今こういう状況にあっても、仕事が優先か。まあ、僕のせいで治療費がかかっているのだから、仕方がないのかもしれないけれど――。
袋井から倒れた後の話を聞きながら、幸太郎はそんなことを思う。
「――それでね。獄谷君は、しばらく停学処分になったわ」
「そう、ですか」
獄谷の言った言葉を許せないと思ってはいたが、停学にするほどのことでもないような気がして、幸太郎は少しだけ罪悪感を抱く。
先に手を出したのは、僕だったのに。
「それと宮地君はしばらく入院だって。一週間もしたら退院できるみたいだから、安心していいわよ」
「はい」
「親御さんには私の方から説明しておくわね」
袋井は柔和な笑顔でそう言って、体を出口の方へと向けた。
「ありがとうございます」
幸太郎が返事をすると、袋井は「ああ、そうだ」と何か思い出した顔で振り返る。
きょとんとした顔で幸太郎が首を傾げると、
「一人じゃ心細いと思うから、入院している間は使沙が話し相手をしてくれるって」
袋井は淡々とそう告げた。そしてその言葉に呼応するように、使沙がしたり顔をする。
「え!? 使沙が?」
「勉強も教えられると思うから、一石二鳥でしょう? それとも、何か不満でも?」
幸太郎は大きく首を横に振る。
「じゃあ、しばらく使沙と二人で仲良くね! ああでも。一線は越えちゃ、ダメよ?」
袋井はニヤリと笑って言うと、体の向きを扉の方に戻して、病室を出て行った。
「一線なんて越えないし! なんなんだよ、もう」
幸太郎は急に恥ずかしくなって、布団に潜った。
僕はそういうんじゃないのに。使沙といると、確かに落ち着くけど……でもそれだけだ!
「はあ」
「コータロー? どうしたの? 具合悪いの?」
不安そうな声を出す使沙に答えようと布団から顔を出すと、ちょうどその正面にしゃがんでいる使沙の顔があった。長いまつげの下からのぞく双眸に見つめられ、幸太郎の胸はドキンと跳ねる。
「コータロー、大丈夫?」
使沙はそう言って覗き込むように幸太郎に近づいた。
澄んだ瞳が幸太郎の双眸を捉え、ぷるんとした唇が何かの欲をかきたてる。
ハッとした幸太郎は、耳まで真っ赤にして狼狽した。
一線は越えないって約束だっただろ――!
「だだだ、大丈夫!」
「よかったあ」
使沙はそう言って、えへへと笑う。
こんな調子で一週間も僕の心臓はもつのだろうか――幸太郎はそんな不安を多少なりとも抱いたが、それよりも使沙と今までよりも長く過ごせる幸運に感謝した。
そして、一週間のマンツーマン授業が始まる――。
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