第18話 知らされる真実と天使の秘密

 事故発生から二週間ほどが経った頃、幸太郎はようやくベッドから身体を起こせるまでに回復した。


 身体を起こせるようになった翌日。幸太郎は朝から病室に来ていた母にずっと気になっていた事故当時のことを尋ねると、


「――本当に心臓が飛び出るかと思ったわよ。車にはねられて、心肺停止だって来た時にはね」


 母は雲った顔でそう答えた。


「そうだったんだな。ごめん、母さん」


 申し訳なさそうな顔で幸太郎が言うと、「いいのよ」と母は小さく笑う。


「そうそう。幸太郎をはねた運転手、近所で噂になってた違反者だったみたいでね。その場で現行犯逮捕されたんだって」


「へえ。他の人が被害に遭わなくてよかったな」


 幸太郎がのんきに答えると、母は呆れた表情をながらため息を吐いた。


「でも、あんたは死にかけたのよ? 他の人が良くたって、もし幸太郎に何かあったら……」


 母の愛情に包まれた胸はほんのり温かくなり、幸太郎の表情は思わず綻ぶ。

 僕に興味がないんじゃないかって思っていたけど、そんなことはなかったんだな――と。


「ありがとう、母さん」


「私は幸太郎の母さんなんだから、心配して当然でしょう」


「うん」


 二人でそんな会話をしていると、白衣の男性と袋井が部屋にやってきた。


 なぜ袋井先生が? と幸太郎は疑問に思い見つめていると、母が立ち上がって、


「この度は本当にありがとうございました」


 と頭を下げた。


 きょとんとした顔でその様子を見つめる幸太郎。


「いえいえ。こちらも研究にご協力いただけて、助かりました」


 白衣の男性は右手を前でひらひらと振りながら母に答える。


「移植した臓器も、問題なく機能していますよ」袋井は笑顔で言った。


 移植した臓器――?


 幸太郎は自身の胸に手を当てた。


「ねえ、母さん。僕、心配停止になったって言っていたよね」


「ええ、そうよ」


 母は幸太郎に振り返り、笑顔で答える。しかし、その答えに腑に落ちないことがあった。


 心臓の病を抱えた自分が、心配停止の状態からどうやって蘇生したのだろうと。そして『移植した臓器』とは。


「僕の心臓、どうしたの」


 幸太郎が尋ねると、


「君の心臓は完全に機能が停止した。代わりの心臓を移植したんだよ。君の細胞から作った医療用のクローン心臓だ」


 白衣の男は誇らしげに答えた。


「クローン心臓?」


「気が付かなかった? 宮地君のすぐそばで心臓の同期を調整していたのだけれど」


 袋井の言葉に、幸太郎は冷えた手で心臓を撫でられるような思いをした。


 僕のすぐそばで、心臓の同期を調整?


 まさか――と幸太郎は自分の頭に浮かんだ可能性を消す。


「ねえ、袋井先生。使沙は? 今どこにいるの? 事故に遭った時、僕に声をかけてくれたんだよ。お礼言いたいなって」


「ああ、それであんな姿で帰ったのか」


 冷たい視線で袋井は呟くと、


「もう処分したわ。役目を終えたんだもの」


 袋井は笑いながら答える。


「処分……? 役目って?」


「もう、本当はもうわかっているんでしょう? 君がそんなに馬鹿じゃないことくらい知ってるわ。『天江使沙』って呼ばれていたあれが、だったんだって」


 悪気のない表情で袋井は言った。


 幸太郎は呆然としたまま、言葉を失う。


「あれが家に来たとき、すごくびっくりして。まさか恋しちゃってるんじゃないかって、焦ったんですよ」


「その節はすみませんでした。行動には気をつけるよう言っていたんですけど、なんだか不具合が生じたみたいで――」


 幸太郎は母と袋井の話をただ呆然と聞き、母も使沙の正体を知っていたのだと理解した。

 使沙が家に来たあの日の顔と言葉の意味に気付いた幸太郎は、母に強い嫌悪感を抱く。


 そして袋井はただの保健教諭ではなく、クローン臓器の研究所職員だったということを聞かされた。学校での幸太郎を観察する役目を負い、あの学校の保健室にいたということらしい。


 すべてを話し終えた袋井たちは幸太郎の部屋をさっさと引き上げていった。袋井たちは今回の件は大きな成果だと胸を躍らせていたが、幸太郎にとってはどうでもよいことだった。


「母さんは全部知ってたの」


 幸太郎は顔反らしたまま、淡々と尋ねる。


「ええ。その為にパートを頑張ったんだもの。幸太郎を治してあげたかった。健康で長生きしてほしかったの」


 その言葉に偽りがないことは分かる。でも――


「そっか」


 母さんも袋井先生も、僕をずっと騙していたんだ。

 母からの愛情も袋井や周囲の人間たちの優しさも、使沙の犠牲で成り立っているまがい物の感情。


 母や父。袋井、学校の教師たち、クラスメイト――彼らは無表情で手を伸ばし、幸太郎の胸を包んでいた温かな膜を乱雑に剥いでいく。


 どれだけ悲痛な声を上げても、誰一人としてその手を止めてはくれなかった。


 彼らを振り切った幸太郎は開いていた心の内側に逃げ込み、バタンと扉に閉める。一心不乱に鍵をかけ、頭を抱えながら扉を背に座り込んだ。


 もう、誰も信用できない――

 

 幸太郎は使沙のいた神聖な場所とは程遠い、暗く重い闇に沈んでいったのだった。

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