第17話 君に会いたい
翌日、幸太郎はぼうっとした頭のまま学校へ向かった。昼休みに使沙とどんな顔をしてあったらいいのだろう、と少し憂鬱に思う。
「僕がどれだけ気にしていても、使沙はなんてことない顔をしていそうなんだよな」
――コータロー? どうしたの?
そう言って顔を覗き込んでくる姿が目に浮かび、幸太郎は微笑んだ。
「いつも通りでいよう。まだダメって、そのうちいいよってことかもしれないし」
そして幸太郎はその日の午前の授業を終え、いつものように保健室へ向かった。
「使沙、お待たせ」
幸太郎がそう言って保健室の扉を開けるが、使沙の姿はなかった。首を傾げてから保健室の中に入る。
「使沙?」
いつもはすでに弁当を広げてあるはずの長机の上は何もなく、一応と思って覗いたベッドも使われた形跡はなかった。
幸太郎が困惑した表情でベッドの前に佇んでいると、
「あら、宮地君」
唐突に呼ばれ、ゆっくりと振り返る。
「袋井先生……」
「どうしたの?」
きょとんとした顔で袋井は言った。
後ろに使沙がいるんじゃないかと思った幸太郎は袋井の後ろを観察したが、誰の気配もないことが分かり、嘆息する。
「あの、使沙は?」
「ああ、えっと……ちょっと具合が悪くてね。今日はお休み」
「そう、ですか」と幸太郎は肩を落としながら答えた。
昨日は何ともなさそうだったのに。歩かせてしまったことが原因だったのだろうか、と幸太郎は罪悪感を抱く。
「お昼約束してたんだ。なんか、ごめんね」
「いえ。じゃあ、明日は来れそうですか」
「うーん。もしかしたら、しばらく来られないかも」
袋井の言葉にハッとして、幸太郎は袋井に詰め寄った。
「ひょっとして、どこか悪いんですか?」
「まあ、不具合と言えばそうなんだけど……大丈夫よ」
不具合という言葉に妙な引っ掛かりを覚えつつも、幸太郎は「わかりました」と肩を落とす。
自分が入院していた時、使沙が毎日病院に来ていたことと夏休みに病院内で会うことが多かったことから、使沙も自分と同じように大病を患っているのではないか、と幸太郎は思った。
普段は普通の高校生に見せかけて、裏で大変な治療を受けているのかもしれない。だから自分と同じように病気と闘っている僕を気にかけてくれたのだろう。
まだダメと答えた理由に『まだ病気が治っていないから』というのを当てはめてみれば、あの返答にも納得がいく。
「使沙に会うことはできませんか」
幸太郎が尋ねると、袋井は首を横に振った。
「ごめんなさい。今はダメなの」
幸太郎は真っ白な部屋でベッドに横たわる使沙の姿を想像する。
澄んだ空気と純白の清潔な寝具。そこは誰も踏み入れられない神聖な場所なのかもしれない。
「わかり、ました……」
欠陥のある自分では到底踏み込めない場所なんだ。
幸太郎は自分にそう言い聞かせ、トボトボと教室に戻って行ったのだった。
使沙が保健室に来なくなって一週間。幸太郎は心にぽっかりと穴が開いてしまったような日々を過ごしていた。何をしていてもうわの空で、ぼうっとしている日がほとんどだった。
「幸太郎、本当に大丈夫? 最近、ずっとぼうっとしてるよ」
いつもの時間。幸太郎は奈々子と夜の雑談をしていた。奈々子は心配そうな顔をして幸太郎に告げる。
「大丈夫。ちょっと疲れてるだけだから」
「そう…………だったら、いいけど」
奈々子は何か言いたげな顔をしていたが、それ以上の言及はしてこなかった。きっとまた仲違いをすることが怖く思っているのかもしれない。
そうだとしても、幸太郎にとってはありがたかった。
使沙のことを根掘り葉掘り聞かれるのは、奈々子にだって嫌だと思っていたからだ。
「じゃあ、今日はこの辺にしようか。早く寝てね。おやすみ」
「ああ、悪いな。おやすみ」
奈々子はそう言って窓とカーテンを閉め、少しカーテンをめくってから小さく手を振り、姿を消した。
それから幸太郎は視線を勉強机に向け、そのまま突っ伏す。
「はあ。なんだかずっと使沙のことを考えている気がする」
振られた時はしばらく会うのが不安だと思っていたはずなのに、いざ会わなくなってみるとこんなに苦しく思うのかと幸太郎は嘆息した。
「会いたい。でも、どうしたらいいんだろう」
幸太郎は突っ伏したまま、ぽつりと呟く。
「僕、本当にダメになっちゃうよ」
翌日、幸太郎はいつものように学校へと向かった。昼休みに保健室を覗き、使沙の姿がないことに落胆する。そして午後の授業を終えると、そそくさと教室をあとにした。
明日は使沙に会えるだろうか――そんなことを考えながら、幸太郎はぼうっといつもの通学路を歩いていた。
歩行者用の信号が赤になり、足を止めてため息を吐く。以前使沙と信号待ちをしていた時はそんなに長く感じなかった待ち時間が、今では悠久の時のように感じられた。
また使沙と遊園地に行きたい。ショッピングや、映画館、どこか旅をしたっていい。二人でもっとずっと一緒にいたいな。
それから信号が青になったのを見て、幸太郎は一歩前に進む。
使沙はまだダメだと言っていた。いつか来る大丈夫の日まで、僕は使沙を信じよう。いつかまた会える。きっとまた同じ時を過ごせると――。
幸太郎がそう思った時、右方から耳をつんざくようなクラクションの音が聞こえた。
ハッとして顔を向けると、見覚えのあるワゴン車がこちらにスローモーションで突っ込んでくるのが見える。その車をよけようと意識を集中するが、身体は思うように動かなかった。
ああ、僕。死ぬのかな――
「コータロー! コータロー!!」
その声で幸太郎は意識を取り戻した。全身が痛い。頭がぼうっとして、自分が今どうしているのかわからなかった。
「コータロー!!」
うっすらとした視界の中で、呼びかける声に耳を傾ける幸太郎。すると、何か温かいものが頬に落ちた感覚がして、その声の主を探した。
「つか、さ」
目に涙を溜めて、こちらを見つめる使沙の姿がそこにはあった。
「ごめん、ごめんね。私……」
使沙はそう言って、幸太郎をそっと抱きしめる。
使沙の鼓動を感じる。優しく温かい、親近感を抱く僕の大好きな音。
「もう、会えないかと、思った。よかった、元気そうで」
幸太郎はぽつりと呟く。
そして救急車のサイレンが聞こえ、そのまま幸太郎は意識を失ったのだった。
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