第十九集 雪

「子供たちは良いですねぇ……」

 雪の中、鞦韆しゅうせん (ブランコ)に乗る元気な子供たちを眺めながら、霓瓏げいろうは松の実入りの温かいハト麦茶を飲んでいる。

「本当に俺よりも若いのか疑問がわく姿だな」

「楽しい楽しい遠征のはずが、こんなにもひどい大寒波に襲われるなんて思わなかったですからね」

「はいはい」

 祁旌きせいは溜息をつきながら演習場へと向かって行ってしまった。

 季節はまだ初冬、のはずだったが、中原の北方にある大陸から例年よりも何週間も早く大寒波が襲来。

 遠征地はひどい風雪に見舞われ、今日はそんな中でも貴重な晴れ間なのである。

 大人たちは雪かきや、冬場にしか作れない作物の収穫に追われ、子供たちは久々の晴天の下、全力で遊びまわっている。

 祁旌きせいたち武人集団は、この寒い中演習に次ぐ演習。そして合間に民家の修復を手伝うなど、仕事にいそしんでいる。

 霓瓏げいろうはというと、乾いた空気を利用して薬草を干し、その隣でお茶を啜っているという状況だ。

「……みんなにもお茶を配るか」

 霓瓏げいろうは適度に乾いた薬草をしまい、ぐいっとお茶を飲み干すと、演習場へと向かった。

 演習場、といっても、太い木製の杭に布を巻き付けた柵で囲った簡易的な場所だ。

 土を踏むたびに、霜を砕くシャリシャリとした音がする。

「うわ、湯気」

 取っ組み合う兵士たちの身体からは、熱気が湯気となって立ち昇り、まるで大衆浴場のようだ。

「おっ、お前も参加するのか?」

 祁旌きせいは爽やかな笑顔を浮かべながら嬉しそうに霓瓏げいろうを見た。

「いえ。絶対にしません。一分で全身の骨が折られてしまいます」

「そんなわけないだろうが。仙子せんしなんだから、仙術で戦ってもいいんだぞ?」

「だとしても! 怖い! 皆さんの鍛え上げられた肉体が怖い! 圧が強い!」

「面倒くさい奴だな」

「お茶の差し入れに来たんです。桂花けいか茶ですよ。汗が冷えると身体に悪いですから」

「ありがとう、霓瓏げいろう。お前と戦ってみたいって奴、結構いるんだけどなぁ」

「丁重に速やかにお断りします」

 霓瓏げいろうくうからいくつも薬缶やかんを出し、お茶を作ると、冷えないよう仙術をかけて木製の机の上に並べた。

「あ、梅干を一粒食べるように言ってくださいね。塩分補給は基本ですから」

「わかってる。お前に言われてから、必ず用意してるよ」

「また梅飴作っておかないと……。本当に、運動が好きな集団ですねぇ、朱燕軍は」

「いや、あたりまえだろ」

「てへ」

 他愛のない会話の最中も、祁旌きせいの目は国境線付近の大河、『翠蓮河』を向いている。

「これだけ寒ければ、攻めては来ないでしょう?」

「ううん……」

「最近流れている噂が気になるんですね?」

「まあな。妖術師を囲っているとかなんとか……」

「いくら妖術師でも、目の前にある翠蓮河を凍らせるなんてことは無理です。まして馬を渡らせるなんて、無茶にもほどがありますよ」

「ここは北東の要だ。油断するわけにはいかないからな」

「北東……。まさに、グウェイが出る方角ですね」

「不吉だよなぁ」

「およ? 占いの類は信じないのでは?」

「俺が言ってるのは、お前が戦っているような魑魅すだま鬼魅きみのことだ。感覚的な〈鬼〉じゃなく、実在する〈鬼〉」

「ああ、そうでしたか。この辺りにいたのはだいたいが南に逃げて行ったようですが、雪原に紛れるたぐいの寒冷地に強いものが出てくる可能性はありますね」

「俺たちにとっては悲報だな」

「人間は寒さに弱い生き物ですからね。分が悪いですな」

 祁旌きせいは演習場の周囲を眺めた。

 こんな辺境の地にも、人々は生活をしていて、命を育んでいる。

 生まれ育った人々にとっては大切な故郷だ。

 護る理由なら、いくらでも挙げられる。

「偵察行ってきましょうか?」

「寒いのに? 大丈夫か?」

「ぐぬぬ、馬鹿にしていますね」

「あはははは」

 霓瓏げいろうは「ふんっ!」と捨て台詞にもならない程度の抵抗を見せ、太桃矢タイタオシーに乗って翠蓮河の近くまで偵察に向かって行った。

 本来、仙子せんし族は気温の変化に弱くはない。

 ただ、霓瓏げいろうは寒がるのが好きなのだ。

 気温に合わせて変化させられる行動というものが、たまらなく楽しい。

「はあ、今月もすでに銀子ぎんすが心許ない……。身体は寒くないのに、財布に空っ風が吹いている……」

 現在、祁旌きせいの屋敷に住んでいる霓瓏げいろうは、食費や家賃といったものの心配はない。

 だからこそ、趣味と実益を兼ねた薬術関連の物に湯水のようにかねと使ってしまうのだ。

 遠征に旅立つ前、絹貿易路シルクロードの大商人が皇宮へとやってきた。

 その際に、祁禮きれいが紹介してくれたおかげで、今まで手に入れることが出来なかった様々な薬草や毒草を買い込むことが出来た。

 財布の紐などもとからなかったかのように、みるみるうちに銀子が消えていってしまったのだ。

「もう少し、お給金上がらないかな……」

 護国英雄と謳われる朱燕軍で薬術師をしているのだから、それなりの金額は稼いでいるはずなのに。

「やはりわたしも鍛えるしかないのだろうか」

 先ほどの演習場での様子を思い出し、霓瓏げいろうは身震いした。

「お、こちらも湯気だ」

 外気温が寒すぎるために、川の水との温度差で、翠蓮河では湯気が上がっている。

「……妖術師がいるのは本当かもなぁ」

 川岸に降り立つと、いくつかの植物が人為的に植えられていた。

 知識が無い者では見分けがつかないほど些細な草だが、霓瓏げいろうは顔をしかめてそれらを引き抜いた。

「振動を伝える地獄由来の植物だ。遠征に来ている朱燕軍の人数が伝わってしまったかもなぁ」

 ただ、振動から〈人間〉と〈馬〉を識別することはできても、人数を把握するのには相当な訓練が必要となる。

「そこまで賢い妖術師ではないことを祈ろう。まぁ、こっちにはわたしもいるし」

 妖術師は強力だが、それでも〈人間〉に変わりはない。

 魔法族や魔女族とは違う。

 仙子せんしである霓瓏げいろうならば、対処はそう難しいものではないだろう。

 霓瓏げいろうは翠蓮河周辺を歩きながら、他におかしな草が植えられてないか確認した。


 寒い中、三時間見て回ってわかったのは、どうやら向こう岸にいるであろう妖術師は、朱燕軍を害する気はないようだということ。

「踏むと破裂音がしたり、嫌な臭いがしたり……。とにかく、ただの嫌がらせ程度でしたよ」

「どういうつもりなんだ、いったい」

 祁旌きせいに報告へ行った霓瓏げいろうは、陽が傾き始めた雪原を眺めながらお茶を啜った。

「わたし、話しに行ってみましょうか」

「え、さすがにそれは危険だろう。罠があるかもしれないし」

「いやぁ……。なんか、ちょっとこう……。わたしと同じ匂いがするんですよねぇ、相手さんから」

「向こうの妖術師がお前に似てるってか?」

「そうです。だから、きっと襲われないと思います」

「じゃぁ、俺も一緒に行く」

「いや、流石に駄目でしょう、それは」

「でも、一人じゃ危ないことに変わりはないぞ」

「翠蓮河の上で会えるようにしますから」

「川の上か……。それなら人間には手出しできないな。弓で撃たれるくらいじゃ、お前は死なないし」

「その通りです。では、さっそくお手紙を送ることにします」

 霓瓏げいろうは近くを飛んでいた梟を捕まえると、仙術をかけ、また空に放した。

「手紙を梟の足に結ばないのか?」

「ああ、あの梟が術者にしかわからない言語で話してくれるので。紙に書くと、他の人間に読まれる可能性もありますし」

「なるほどな。じゃぁ、行くときは気を付けてな」

「今夜は新月です。誰にも目撃されないよう、気を付けて行ってきます」

 そのあとはまた薬草の手入れをしたり、祁旌きせいが下ごしらえをした夕食を頂いたりして、ゆっくりとした時間を過ごした。

 深夜。

 見張りの兵に「ちょっと夜に芽吹く薬草をとってきます」と嘘の理由を話し、太桃矢タイタオシーに乗って翠蓮河へと向かった。

「……おお、やっぱり来てくれた」

 川の中央、流れのはやい部分の上に、深く外套をかぶった妖術師が、大きな扇に乗って浮かんでいた。

「こんばんは」

 霓瓏げいろうが声を駆けると、妖術師は気だるそうに振り向き、「あんたが噂の仙子せんしか」とつぶやいた。

「あの、どうして嫌がらせするんですか?」

「……本当は何人か病気にしろって言われたんだけど、それに見合ったかねが払われなかったから、やってないだけ」

「ああ、なるほど。能力を安く見積もられちゃってるんですね」

「そういうこと。だから、俺、あんたたちに何かしようとか思ってないから」

「お金が支払われたら攻撃してきます?」

「ちゃんと払われたらな。でも、そんな様子まったくない。あいつら、杖を一振りすりゃなんでも出来ると思ってやがるんだ。ふざけてるよな」

「そうですよねぇ。人間の妖術師さんの能力は努力の賜物なのに。それも、何十年もかけて手に入れるようなものですもんね」

「それな。その努力をするのにだって金銭的な負担もあったのに。やってらんないよ」

「わかりますわかります。うんうん。じゃぁ、もしお金が払われることがあれば、事前に教えていただけます? それなりに対処しますので」

 妖術師は霓瓏げいろうの言葉を頭の中で巡らせ、ハッとした顔をした。

「そういうことか。俺の価値を釣り上げてくれるんだな」

「そうです。わたしは自分のお給金に大方満足しているので、妖術師さんの能力をそちらのひとたちに再認識させるくらいのお手伝いはしますよ」

「へぇ、あんた良い奴だな」

「でも……」

 霓瓏げいろうは空に向かって手を上げ、雪雲を集めると、微笑みながら言った。

「朱燕軍に危害を加えたら、容赦しません」

 ただでさえ月が無く暗い夜なのに、さらに周囲は昏さを深めていく。

 妖術師は額に汗を浮かべ、少し指先を震わせながらこたえた。

「わ、わかった」

 霓瓏げいろうは「では、お互い楽しく国境線を護りましょう」と言うと、朱燕軍の元へと戻って行った。

 雪雲はなぜか向こう岸の上空に居座り、その夜は歴戦の兵士たちがおびえるほど、星の光すら届かない極寒の暗闇が続いたという。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る