第十七集 謀略

 祁旌きせいに呼ばれ、中庭へと向かうと、そこで待っていたのは武を体現したような男だった。

「おお、霓瓏げいろう来たな。こちらは慧国禁軍大統領のおう 旋風せんぷう殿だ」

 凛々しい目、無駄のない体躯、控えめながらも上質な素材で身を包む趣味の良さ、山の頂のごとくそびえる長身……。

 祁旌きせいが少し小さく見えるほど、その立ち姿は壮観だ。

「お、お初にお目にかかります。朱燕軍で薬術師をしております、仙子せんし族の 霓瓏げいろうと申します」

「やっと会えた。君の噂は聞いているよ」

「え、あの、どうも……」

 〈禁軍〉とは、皇宮守護を主な任務とする最強の軍隊だ。

 皇帝と宦官以外の〈男性〉で後宮に入れるのは禁軍の兵だけ。

 皇帝陛下直下の御林ぎょりん軍と違うのは、禁軍は決して皇帝の私兵ではないということだ。

 禁軍が護るのは、「国」そのもの。

 つまり、皇帝不在の際は、皇后にその権限が委ねられることになる。

 街中で何度かおう大統領のことは見かけたことがあるが、その威風堂々とした姿に感嘆するくらいで、当然話しかけたことなど一度もない。

 まさか、そんな有名な人物が自分のことを知っているなどとは思いもしなかったため、霓瓏げいろうは動揺した。

「実は、頼みがあってきたのだ」

「ご、ご依頼でしょうか」

「うむ。実は……」

 旋風せんぷうによると、多忙を極める禁軍の中で、怪しい薬が流行っている……、らしいとのこと。

 旋風せんぷう自身はその薬も、それを実際に使っている現場も見たことが無いため、噂に留まってはいるのだが、どうやら、若い兵の間で取引が成されているのだとか。

「その薬を服用すると、二十四時間眠らなくても平気なのだそうだ」

「なるほど。それはいわゆる副作用を強めた風邪薬ではなく、違うものなのでしょうか」

「風邪薬でも同じことが可能なのか⁉」

「はい。少し抽出量を変えれば、風邪薬に使われる生薬でも、そういった覚醒効果を得ることは可能です」

「そ、そうなのか……」

 もっと詳しく話を聞くため、ひとまず、三人は中庭にある椅子へと座ることにした。

「覚醒している状態を見れば、どんな薬なのかわかりやすいのですが……。そういった兵をご覧になったことはありますか?」

「そういえば……。後宮を警邏しているときに、その、抑えが効かなくなってしまった兵が数人いた」

 旋風は言いにくそうに下腹部をちらりと見た。

「ああ、勃起ですか」

「そうだ。ただ、性衝動というよりは、ただ、反応してしまい、治まらず痛すぎて慌てている、といった感じだったが」

「なるほど。それならきっとヨヒンベですね」

「よひ……?」

「中原よりはるか西北にある大陸で採取できる薬草で、覚醒作用の他に、男性が服用すると持続勃起症をひき起してしまう場合があるんです」

「な、なんてことだ」

 旋風と祁旌きせいがゾッとした顔をした。

「ううん。でも、わたしですら慧国では一度も見たことが無い薬草なのに。いったい、誰がどうやって仕入れたのでしょうか」

絹貿易路シルクロードを通って入ってくる品物はすべて検閲されているはずだが……」

「体内に潜ませて運んできたのかもしれませんね」

「た、体内に?」

「そうです。消化されにくいごく小さな袋状の物に薬を入れ、細い糸で縛り、その糸の端を奥歯に結び付けます。そのあと、袋を飲み込むんです。すると、後々糸を引っ張れば簡単に吐き出せるというわけです」

「隠密部隊が脱出道具である細かな金属をのみこむのと同じ要領だな」

「その通りです祁旌きせい殿」

「密売ということか」

「売ってる人はそれを知っているかもしれませんが、買う方は密売だと知らないかもしれません。さも普通の薬のように『疲れが取れる栄養剤だよ』と言われれば、大抵の人は信じてしまうでしょうし」

「では、兵たちはあくまでも仕事のために服用してしまっているのかもしれない、ということか」

「そうですね。おそらくは」

「でも、出来ればそのような薬はやめさせたい。のちのち、身体に悪影響が出てからでは遅いだろう」

「確かに。ヨヒンベを服用し続ければ、いずれ心筋梗塞を起こす可能性もあります。早めにやめさせるべきでしょう」

「そうか……。頼む! その売人を調べてはくれないだろうか。兵たちは私がなんとか話を聞き出し、説得する」

 部下を大事に想っているのだろう。

 霓瓏げいろうは大きく頷いた。

「わかりました。お引き受けします」

「ありがとう。霓瓏げいろう

「売人を見つけたら、誰に引き渡せばいいでしょう?」

大理寺だいりじの牢にでも繋いでおいてくれ。どうするかは、刑部尚書けいぶしょうしょに相談するとしよう」

「それもそうですね。では、さっそく街中の薬舗を巡ってまいります」

「今から行ってくれるのか」

「暇ですから」

「なんとも頼もしい。祁旌きせい殿、霓瓏げいろうを紹介してくれて本当にありがとう」

「お力になれてよかったです」

 旋風は晴れやかな顔で「では、よろしく頼んだ」と言い、颯爽と帰って行った。

「では、わたしも行ってきます」

「俺も行こうかな」

 霓瓏げいろう祁旌きせいの表情を見つめながら、演技がかった言い方をした。

「うううううん、正直ありがたいです。だって朱家の若君の威光はまぶしいですからねぇ。ただ、もしその場に運よくなのか悪くなのか売人がいた場合、口を閉ざし、そっと逃げてしまう場合も考えられます。なので、本当に、本当に残念ですが、わたし一人で行ってきます」

「そうか……」

 祁旌きせいはみるみる顔を曇らせていった。

 なぜなら、一緒に行きたい理由は別にあるからだ。

「……縁談から逃げたいだけなのでしょう、祁旌きせい殿は」

「ぐっ」

「さっさと身を固めたらどうですか」

「で、でも」

「でももへったくれもありません。さぁ、どうぞご母堂のお話を聞きに行かれてください」

「ぐぬぬ……、わかった」

 祁旌きせいは観念したようにうなだれながら、着替えに部屋へと戻って行った。

「結婚したいと言ってくれる女性がいることをもっと嬉しく思うべきなのでは⁉」

 ちなみに、霓瓏げいろうには一切縁談の話は来ていない。

 本当に、残念だ。

 霓瓏げいろうは少し落ち込みながら、街へ向けて出発した。


 先日、祁禮きれいと巡った薬舗は後回しにして、まずは財源の多そうな薬舗から巡ることにした。

「ここは皇帝陛下の弟君、莱明らいめい王様の夫人のご実家が営む薬舗。ううん、いつ見ても豪華だなぁ……」

 莱明らいめい王は慧国皇帝の兄弟姉妹きょうだいの中でも一番身体が弱い。

 看病をされる生活の中で、当時太医の弟子だった夫人と出会い、結婚したという。

 今は比較的体調も安定しており、子供も三人いるらしい。

「さすが、薬舗にしては調度品が多い」

 莱明らいめい王から贈られてくるのだろう。

 薬舗内の椅子や机は、庶民が営む薬舗では何年働いても到底買えそうもないもので溢れている。

「いらっしゃいませ」

 お給料も良いのだろう。

 従業員の顔がどことなく幸福感で輝いている気がする。

「あの、絹貿易路シルクロード経由で入ってくるような珍しい薬草を扱っていらっしゃいますか?」

「はい、いくつかございます。量は確保できているのですが、何分種類は少なく……。今お持ちしますね」

 そう言って出してきてくれたのは、どれも当たり障りのないものばかりだった。

 よく狩猟につかわれる劇毒の原材料となる薬草もあったが、話を聞いたところ、身分を証明できるものを持ってない人には売らないよう徹底しているという。

 それもそうだ。

 皇帝家が親族なのだから、その品位を下げることはしないだろう。

「では、これとこれを包んでください」

 霓瓏げいろうは神経痛の痛み止めの材料になる生薬だけ購入し、次の店へと向かった。

「今度は吏部りぶ尚書の弟君が営んでいる薬舗か」

 吏部は人事を司る部署のことで、そこの長を務めている人のことを吏部尚書と呼ぶ。

 現在の吏部尚書は庶民の出で、己の才覚だけでのし上がって行った豪傑だ。

 実家の薬舗は弟君が継いでおり、なかなか繁盛している。

「いらっしゃいませぇっ!」

 先ほどとは打って変わり、なんだか忙しそうだ。

 店内も程よく混んでいる。

 霓瓏げいろうは接客の順番を待ちながら、店内を一周してみた。

(……ふうん。薫香も扱っているのか。生薬ににおいが移ったりしないんだろうか)

 百味箪笥の引き出しに書かれている生薬名を見るに、女性特有の症状改善に強い店舗のようだ。

 霓瓏げいろうはここは違うと見て次の店舗へ移動した。

「三店舗目はパイシン族が営む薬舗だ」

 パイシン族はクハルゥ族同様、草原の民だ。

 特徴的なのは、瞳が青系であること。

 中原から見て遥か北にあるというまた別の大陸の人々とかつて交流があったそうだ。

 霓瓏げいろうは店に入ろうとしたその時、嫌な予感がしてさっと路地に隠れた。

(あれは……、クハルゥ族族長イヨヒキ殿の長子、ソオイではないか。どうしてこんなところに……)

 ソオイは戦乱の中婚約者を祁旌きせいに討たれたことで、朱燕軍を、慧国を心から憎み、草原の民の各部族の長子や志願者を募って戦争を仕掛けようとしている、という噂がある。

祁旌きせい殿を連れてこなくて正解だったな。……ん? あの方は……)

 ソオイと店内で何やら話し込んでいる人物に見覚えがあった。

 フード付きの外套に身を包み、顔はほとんど見えないが、あの〈霊力〉には身に覚えがある。

(国の祭祀を司る太常寺のしん殿では……?)

 これは厄介なことになったぞ、と、霓瓏げいろうは溜息をついた。

 朱燕軍が文官たちに嫌われているのには、いくつか理由はあるが、その一つが『占いを無視する』、というところにある。

 慧国を含む中原の多くの国々では、戦の進め方の吉兆を占いで算出することも多い。

 攻めるなら方角はどちらがいいだの、護るならどの方角がいいだの、日にち、時間、などなどを、様々な手法を用いた占い結果を指針にすることがある。

 しかし、朱燕軍の、特に祁禮きれい祁旌きせいはそれをまったく信じないのだ。

 祁禮きれいが戦を進める際に用いるのは、観天望気かんてんぼうきという、いわゆる天気予報のようなもの。

 風の吹く方角、空気の乾燥具合、次にいつ雨が降るかなどを、科学的に計算する手法だ。

 それによって数多の勝ち星を挙げ、朱燕軍の地位をゆるぎないものにしている。

 ただ、そういった生意気な態度を気に食わないと恨み言をのたまう連中がいるのも事実。

(……そういうことかぁ)

 禁軍と朱燕軍が互いに信頼し合い、尊敬をもって切磋琢磨しているのは周知のこと。

 もし禁軍が失態を犯せば、次に皇帝が頼るのは朱燕軍。

 禁軍の内部を朱燕軍に探らせようとするだろう。

 そうなれば、軍人同士、衝突が起き、国内に不穏な空気が漂い始める。

(旋風殿が隠蔽体質などではなく、素直で正直な方で本当に良かった)

 無能な指導者ならば、おそらく内部だけで解決を試みようと、手遅れになっていたことだろう。

 しかし、旋風は人に頼るということができ、さらには頼る人のことも見極めることが出来る確かな目をもっている人物のようだ。

(旋風殿が祁旌きせい殿の家に入ったところは見られているのだろうか)

 もう少し近寄ってソオイと清の話が聞きたかったが、霓瓏げいろうはソオイに顔を知られている。

(そうか。わたしも女装すればいいのか)

 変幻へんげんの授業は聖域の学校で習っている。

 さほど成績はそこそこよかった。人間と霊能力者をだますくらいなら朝飯前だ。

 霓瓏げいろうは自身に仙術をかけた。

――鏡奏亜装きょうそうあそう

 服の色はそのままに、形が女性用の深衣しんいへと変化していく。

 喉仏と陰部がひっこみ、身体の肉付きが柔らかなものへと変化していった。

 声帯が動き、声のトーンが高くなるのと同時に、肩幅が少し狭くなり、目線も少し下がった。

 顔はそこまで変化はないが、睫毛が伸び、眉が少し細くなり、唇がふっくらした。

「うん、完璧」

 霓瓏げいろうの顔はもともと女性的な特徴があったため、さらに化粧を乗せることで対処した。

 何食わぬ顔で入店し、親からのお使いを装って店員に話しかけた。

 当然、ソオイと清の話に耳を傾けながら。

「やはりな。朱燕軍の兵は末端まで教育されているから、見知らぬ薬売りから薬物を手に入れることはしなかったか。よほどあの薬術師を信頼しているようだ」

「申し訳ありませんソオイ様。ですが、禁軍内ではすでに将官の一部にも丸薬がいきわたり始めているとのことです」

「さすがは清殿。騙しやすい次男以下の人間を見極めるのが得意でいらっしゃる」

 胃が痛くなりそうだ。

 覚醒作用のある薬は、旋風の心配を大きく通り越し、すでに将官の手に渡っているという。

魂糸こんしを見れば簡単にわかりますからな。馬鹿どもの〈糸〉は解けやすく染まりやすいのです」

「では、俺のはどうでしょう」

「あなた様の〈糸〉は、糸と呼ぶには程遠い。灼熱の業火に焼かれ、結晶化と融解を繰り返し、折れることも曲がることも出来なくなった、まるで鋼のようでございます」

「ははっ。気にいりました」

(清殿は魂魄を繋ぐ〈糸〉まで〈視る〉ことが出来るのか……。少し侮ってたな)

 人間は〈魂〉の力と、〈魄〉の力を繋ぐ〈糸〉が切れると死んでしまう。

 逆に言えば、病で弱っていても、その〈糸〉が丈夫ならば、いずれ病を克服し元気になる。

 〈糸〉のことを、昔から中原ちゅうげん医学では知ってか知らずか〈内功〉として扱い、治療の目安にすることもある。

「で、次の動きは?」

「数週間もすれば、丸薬で何人かが死ぬでしょう。大統領は監督不行き届きで罰せられますが、おそらく、一ヶ月ひとつきの猶予を調査期間として陛下はお与えになるかと思われます」

「慧国皇帝は禁軍大統領を信頼しているからな。杖刑にしたとしても、すぐにその地位を揺るがすことはしないだろう」

「大丈夫ですよ。その与えられた調査期間である一ヶ月ひとつきのうちに、また我らで数人殺します。こうなれば、おそらく大統領は自宅軟禁となり、禁軍の指揮は兵部に渡ることになるでしょう」

「ほう。お前の息がかかった兵部侍郎が待ち構えているというわけか」

「ええ、そうです。これでもう、皇宮は我らの手に落ちたも同然。あとは邪魔な朱燕軍が調査で失敗するよう、央廠おうしょう太監たいかんに細工をさせます」

「宦官で構成された皇帝直下の監査組織、央廠おうしょうにも根回しが出来るのですか」

「だてに四十年も務めておりませんから」

「さすがは清殿。お声かけ頂いた時は疑ってかかってしまい、本当に申し訳ありませんでした」

「いえいえ。軍人が幅を利かせる朝廷など間違っておりますから。政治は文官の物です。私も、ソオイ様が王位につかれた暁には……」

「もちろん、丞相の地位に就けると誓いましょう」

「ふひひひひ! 三十五年前、私を太常寺に追いやった者どもを思い知らせてやるのです」

「その意気ですな」

 霓瓏げいろうは店員が包み終わった生薬を受け取り、店から出た。

 ゆっくりと歩き、路地へ入ると、すぐに仙術を解き、急いで祁旌きせい宅へと向かった。

(禁軍に薬を蔓延させたのは、ただ混乱させるためじゃなかった! 国家転覆の足掛かりだったんだ!)

 まだ時間は十分ある。

 ただ、この計画を止めたところで、朝廷の内側に巣食う悪意は収まらないだろう。

 せめて清だけでも、投獄しなければ。

 そのためには証拠がいる。

 霓瓏げいろうは行き先を変えた。

 こういう時は勇敢で実直な祁旌きせいよりも、策略家で頭脳明晰なあの人の方がいい。

 朱燕軍軍師、しゅ 祁禮きれいの出番だ。

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