第十六集 兄
「で、どうなったんですか?」
先日、玲国であった
「ああ、正直に
「慈志殿の所在はどうなるんですか? 身分とかもろもろ」
「簫家の
「へぇ」
「玲国の少し離れた場所に小さな領地をもらって暮らすんだと。そこは偶然にも、皇帝家の避暑地の近所だとか」
「あらあら、偶然、ですねぇ」
「例え一年のうち夏の間だけでも、息子に会いたいんだろうな」
「人間は大変ですねぇ」
「
「どうでしょう? 実家が平和そのものなのでわかりません」
「お気楽だな、お前は」
「それが長所ですから」
「それにしても……、
「ああ……。兄上は市井の噂話を収集するために、時折ああいった格好をして潜入するらしい」
「まぁ、女性の方が噂話の伝達率がいいですもんね。視野が広いし、違和感を見つけるのが上手いですから」
「よく
「いや、近所の奥様方には
「喉仏さえ隠せれば、まぁ、そうですね。
「なんだ、また機嫌を損ねたのか」
「けっ」
清楚な色合いながら刺繍が豪華で良家のお嬢様といった風情の
とても楽しそうな足取りで市井へと消えていった。
「今日は何かお仕事でもあるんですか?」
「俺は休みだ。やることと言えば……、新しい馬具を注文しに行くくらいだな」
「またですか」
「ウルナが紹介してくれた職人が優秀でね」
「仲良しですねぇ」
「お前にも会いたがってたぞ」
「いやぁ、草原にはお菓子の屋台が無いから……」
「お前はそういうやつだよな」
「へへへ」
「じゃぁ、俺は行ってくる」と、
「……依頼もないし友達もいないしお金もないし、酷いくらい暇だなぁ」
屋敷を取り仕切っている敏腕
「何か新しい生薬入荷してないかなぁ。出来れば、西のやつ」
中原から見て遥か西方には魔女族や魔法族が多く住まう国がある。
そこでは、また一味も二味も違った特徴を持つ薬草が栽培されていたり、自生したりしており、中原にはその中のごくわずかなものしか入ってこない。
その理由は、中東に住まう魔術師たちが大量に買い付けているからだ。
長すぎる旅程は貧弱な
「東の果てにある
「……
声のする方へと走って行くと、手遅れだった。
「おい、あんまり私をなめるなよ」
女装した
「あ、
「いや、だって、悲鳴あげましたよね?」
「数回叫べば手を放してくれると思ったんだが、しつこくてな。仕方がないから、やっつけてやった」
「あ、ああ……。そうですか……。その恰好で……」
「せっかくの美貌が台無しだよまったく。
「え、わざわざ皇帝陛下直下の警察諜報機関に突き出すんですか?」
「だって、私、朱燕軍の軍師だよ? 国にとって超大事じゃない?」
「……好きになさってください。では、わたしは散歩の続きがありますので」
「おい、待て」
「げ。何でついてくるんですか」
「いいじゃないか。今私は絶世の美女だぞ? 一緒に歩けるなんて光栄だろう!」
「……さすがに泣いちゃいますよ」
「なんだお前、本当に女性にちやほやされたことがないんだな」
「ううう」
無理やり腕を組まれ、
「で、どこへ行くんだ?」
「薬舗ですよ。何か良い生薬が入ってないかと思って」
「お金ないのに?」
「な、なぜそれを!」
「
「それだけ良い物ばかりを購入していたら、お金はすぐに底をつくだろう」
「まったく。本当に好奇心の塊のような方ですね」
「まあな!」
「買えなくても、見ているだけでも楽しいんだからいいんです」
「私が買ってやろう!」
「……え?」
聞き間違いだろうか。いや、そうではないと信じたい。
「だから、私が買ってやると言っているのだ。
「な、え、ありがとうございます!」
「うんうん。じゃぁ、購入した代金分、私からの依頼を受けてもらうからな」
「……ですよね。わかりました。そうだと思ってました」
「察しがよくて助かるぅ!」
「では、行きますよ。後悔しないでくださいね!」
「あっはっは! この街の生薬を買い占めてやろう!」
まさかそこまでする気はないが、
五店舗も巡った薬舗で、
むしろ「それだけでいいのか?」と聞かれたほどだ。
両腕も肩も、購入した生薬の包でいっぱい。
今ならば、「ちょっと行って一国滅ぼしてこい」と言われたら従ってしまいそうなほどの幸福感に包まれていた。
「もっと買うんだと思ってたぞ」
「いやいや、いくら仙術で長持ちさせるとはいえ、やはり鮮度が大事ですから。買って腐らせてしまうのは避けたいんです」
「なるほどな。でもすごいなぁ。あんな小さな種や、干からびた葉、動物の脂肪が人間を治すのだろう?」
「そうですね。組み合わせ方も大事ですけど、やはり植物や動物が持つ力というのは偉大です」
「うんうん。今日は楽しかった!
「いえいえ。ただ、やはり
「お得?」
「いつもはそこまでおまけをくれるわけじゃないのに、今日はどこの薬舗でもたくさんおまけをもらっちゃいましたから」
「それは仕方ないさ。私が美しいからな」
「……ぐぬぬ」
「あはははは!」
女装に似合わないほど大きく口を開けて笑う
政治的駆け引きが苦手な
それに、幼少のころは武力でも
「
呼吸が止まるかと思った。
「え! ちょ、な、え!」
どちらかといえば、元気が有り余っているほどだ。
「な、何か心当たりでもあるんでしょうか。ご家族に今まで遺伝するような病でも?」
「無いぞ」
「……は?」
「やはりな。私の唯一の欠点はそこなんだ」
「はい?」
「通常、美人というものは薄命であるからこそ、その価値が高まるのだと言われている。だが、私は美しい上に超健康体。まったく、困ったものだ! あはははは!」
初めてだった。
出会ってから初めて、本気で殴りたいと思った。
しかし、お世話になっている
おいそれと暴力を振るうわけにはいかない。
それに、きっと簡単に避けられ、逆に制圧されてしまうだろう。
「すまんすまん。だが、戦乱の世だ。何があるかわからない。死期で言えば、悲しいことに弟の方がそれに近い場所で戦うことが多い、だから
ああ、ずるい。そう、
何度か
この世でこの人の戦術に勝てる人間などいるのだろうかと思うほど。
まさに戦場を牛耳る神のごとく、その頭脳は冴えわたり、操れぬものなどないように感じた。
そんな万能な男が、頭を下げている。
愛する家族の為に。
自分ではどうしようもない事態が起こるという覚悟の中で生きている武人だからなのだろうか。
「それが、
「承りました」
綺麗は顔を上げ、満面の笑みで頷いた。
「そう言ってくれると思ってたよ」
「さすがは軍師殿ですね」
「そうだろう、そうだろう!」
街を橙色の光が包み始めた。
「さぁ、
「そうですね、って、
「妻が妊娠中で実家に里帰りしていてつまらないのだ。子供たちまでついて行ってしまったからな」
「ああ、そうでしたか」
「あちらのジジババが甘やかしてくれることを知っているのだ、子供らは」
「義両親をジジババって……」
「今のは内緒だぞ」
「はいはい」
忘れていたが、この世にはこの
それを思うと、なんだかおもしろくなってきた
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