第十八集 手のひらの上

祁禮きれい殿、祁禮きれい殿!」

「お、霓瓏げいろうじゃないか」

 形容するのも省略したいほどの優美な姿をしている祁禮きれいは、おそらくこれから皇宮へと出かけるところなのだろう。

「お話したいことが! 急ぎで!」

「では、馬車の中で聞こう」

「……御者は信頼できる人ですか」

 その質問に、祁禮きれいは何かを察したのか、御者を朱燕軍の近衛兵へと変更した。

「では、行こうか」

 馬車へと乗り込み、軽快な蹄の音と共に進みだした。

「何があった」

「実は、クハルゥ族の長子ソオイと、太常寺の清殿が国家転覆を目論んでいます」

「……詳しく話せ」

 霓瓏げいろうは禁軍内部でひそかに流通している覚醒薬のことや、それが配られた理由、そしてその後の計画など、薬舗で聞いたことをすべて祁禮きれいに伝えた。

祁旌きせいと旋風殿には?」

「これからです」

「……ふふふ。あははははは!」

「え、え?」

 祁禮きれいは突然大声で笑い出した。

「わ、笑っている場合では……」

「ふふ、ふふふふふ。いや、もうその清とかいう奴が馬鹿すぎて……。くっくっく」

「え、ええ?」

「ふふふ。喧嘩を売る相手を間違えたようだな」

「ど、どういうことですか?」

「いいか、霓瓏げいろう。禁軍の大統領を務める汪 旋風おう せんぷうは立派な武人であることは有名だろう」

「え、ええ、まぁ」

「では、禁軍に私のような軍師がいないことは知っているか?」

「……え?」

「もちろん、表向きの軍師はいるが、私のように、戦局を大きく動かすような者はいない。それはなぜか」

 霓瓏げいろうは全身に鳥肌が立つのを感じた。

「ま、まさか!」

「そうだ。あの旋風こそが、私と並ぶ超優秀な軍師なのだ」

「ひゃあああ」

「囲碁の勝負でも常に拮抗するのだ、奴と打つと。手ごわいぞ、旋風は」

 驚いた。この慧国に、祁禮きれいと並ぶほどの頭脳を持つ人物がいるとは。

「先ほど私に言ったことをすべて旋風に伝えると良い。良きようにするだろう」

「そ、そういえば、薬を売っている人を見かけたら大理寺の牢に入れておいてくれ、とかなんとかおっしゃっていたのですが……」

「では、そうするといい。清をぶちこんでおこう」

「え、え! しょ、証拠がまだないのですが……」

「薬舗の店員に証言させればいいだろう?」

「で、でも、そんな簡単に我々に協力するでしょうか……」

 心配そうにうつむく霓瓏げいろうに、祁禮きれいは尚も楽しそうに微笑んだ。

「そういえば……、イヨヒキ殿がお前が作った薬膳の甘味が恋しいとおっしゃっていたなぁ。その材料を買うのに、その薬舗はちょうどいいのでは? きっと、ウルナが作り方を知りたがるだろう。一緒に行って、選んであげると良い」

 悪魔のような笑み。

 霓瓏げいろうはすべてを察した。

「……な、なるほど」

「ふふふ。楽しくなってきたな! あはははは!」

 霓瓏げいろうは「で、では、すぐに色々、その、してきます」と言い、馬車から太桃矢タイタオシーに乗って飛び出した。

 その後姿を、祁禮きれいは楽しそうに見つめると、すっと真顔に戻った。

「皇宮まで急げ。父と共に陛下に謁見する。」

 馬車が速度を上げるのと同時に、すぐ隣を護衛していた近衛がすっと速度を落とし、朱侯府へと走り去って行った。


 旋風のもとへと向かった霓瓏げいろうは、大統領府のあまりの大きさに、門の前で硬直寸前だった。

「あ、あの……」

 門番へ話しかけようとしたその時、頭上から声が降ってきた。

「ん? 霓瓏げいろうじゃないか」

祁旌きせい殿!」

 馬に乗った祁旌きせいがちょうど後ろからやってきたところだった。

「お前も旋風殿に用事か?」

祁旌きせい殿にも、旋風殿にもお聞かせしたいことがありまして!」

「それならちょうどいいな。稽古をつけてもらうことになって、遊びに来たんだ」

「なんという僥倖」

 祁旌きせいを目にした門番がすぐに中へと通してくれた。

 さすがは朱燕軍の若き将軍。

 顔が通行証替わりなのだろう。

「おお! 祁旌きせい殿に霓瓏げいろうまで! 客が多いのは嬉しいぞ」

「あ、あの、内密なお話が出来るお部屋はありませんか⁉」

「……では、秘密基地などいかがかな?」

「え、ひ、秘密基地……?」

 ワクワクする響きだ。

 どこの国でも、地位の高い者ほど隠し部屋を所有しているものだ。

 用途は実に様々だが、旋風や祁禮きれいなどは主に秘密裏に手に入れた各国の軍事機密などをしまっている。

「ここが私の秘密基地だ」

「お、おおお……」

 武人、という言葉からは想像できないほどの書物で溢れかえっていた。

「一週間前に片付けたばかりなのだが、また散らかってしまった。適当に座ってくれ。茶を用意しよう」

「あ、それはあとで……。とにかく、聞いてください!」

 どこか慌てている霓瓏げいろうの様子に、祁旌きせいと旋風は素直に従うことにした。

「実はですね……」

 霓瓏げいろうは清とソオイの企みをすべて話した。

「ほほう。清殿も大胆ですな」

 祁禮きれいの言っていた通りだった。

 旋風は慌てるでもなく、焦るでもなく、ただ楽しそうに思案し始めたのだ。

「まずは、霓瓏げいろう。ウルナ殿とくだんの薬舗で楽しくお買い物などをするといい。イヨヒキ殿の話題を出しながら店員に話しかけるとさらにいいだろう。祁旌きせい殿は朱燕軍の猛者たちと禁軍の演習場に顔を出し、合同訓練などを行うと良いでしょう。そこで会話をするのです。『最近、禁軍の若い兵がとある薬を常用していると聞いています。うちの薬術師によれば、それには危険な副作用があるようですよ』と」

「なるほど。わざと大っぴらにするのですね」

「そうです。兵たちも怯えて薬を見せてくれるでしょう。朱燕軍の薬術師の有能さは知れ渡っておりますから」

 旋風から微笑まれ、霓瓏げいろうは少し照れてしまった。

「そこへ、仲良くウルナ殿と買い物を終えた霓瓏げいろうがやってくる、と。『それ、密売品かもしれません』と言えば、兵たちはたちまち慌てて売人のことを教えてくれるでしょうね。それに、健康相談もあるやもしれません」

「健康診断はまかせてください」

「すると、そこへ時機タイミングを見計らったように祁禮きれい錦鏡衛きんきょうえいを伴って現れ、すべての証言を滞りなくとれる状態で捜査が開始されるでしょう」

 霓瓏げいろうは慌てていた自分が恥ずかしくなった。

 祁禮きれいや旋風にとっては、この程度のことは火種にすらならないのだろう。

「私は……、まぁ、監督不行き届きの罰は甘んじて受けるつもりだが、そうだな、兵部侍郎も道連れにしよう」

「え、ど、どうやってやるんです?」

「禁軍大統領が謹慎になった時に、誰が一番得をするかを証明すればいい」

「お、おおお……」

「そこは私が援護しましょう」

「頼みました、祁旌きせい殿」

 表裏の無い祁旌きせいの言葉ならば、皇帝の耳にまっすぐ届くことだろう。

「じゃぁ、もうあとはやることをやるだけという感じですか」

「その通り」

「で、では、ウルナ殿を誘ってお買い物をしてきます」

「仙術ならば何日でお招きできる?」

「一日もかからずお連れできます」

「さすがだな」

「では、すべては明日ですね」

 祁旌きせいも楽しそうだ。こういったことは、以前にもあったのだろう。

 ここまで一度も慌てている姿を見ていないことから察するに、兄だけでなく、旋風のことも心から信じているのがわかる。

「ええ。楽しみましょう」


 翌日、すべてが旋風の話していた通りになった。

 清は投獄され、ソオイは指名手配になり、兵部侍郎はその任を解かれて爵位も剥奪された。

 旋風は国家転覆を未然に防いだことが評価され、罰も何も受けることなく済んだ。

 祁禮きれいは皇帝から賜った褒賞をすべて、国境線で守備にあたっている朱燕軍の兵士たちの家族に分け与えた。

「まさかこんなにはやくまるっと終わるとは思いませんでした……」

「まぁ、ソオイもあの薬舗の奴らも煙みたいに逃げてしまったけどな」

 薬舗の従業員たちは、錦鏡衛きんきょうえいに洗いざらい話した後、夜逃げしてしまったのだ。

 店内には種一つ残っていなかった。

 もちろん、ソオイが来ていた痕跡も、すべてが消えていた。

「彼はきっとまたやるでしょうねぇ」

「だろうな。今回罰せられたのは全員こまだ。朱燕軍や慧国への恨みを利用された馬鹿な奴らさ」

「他国と手を組まれたら困りません?」

「それならそれで真正面から叩き潰せる」

「ああ、左様ですか」

 二人は今日も中庭で菓子を食べながら過ごしている。

 ただ、祁旌きせいにとって朗報だったのは、二週間後にまた遠征に出ることが決まったことだ。

 縁談のために居残りさせられ、はや一ヶ月。

 毎日のように母親から「この娘は? こっちのお嬢さんはどう? ねぇ、結婚する気あるの⁉」と詰められるのは精神的に辛かったようだ。

 霓瓏げいろう祁旌きせいのごはんが食べられるなら、別に場所がどこであろうとかまわない。

 次はどんな名産品がある土地へ行くのだろうか。

 霓瓏げいろうも楽しみにしている。

 ただ、馬に長時間乗るのは苦手だ。

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