第一章

第一集 数奇な始まり

「いやぁ、今日もいっぱい買っちゃったなぁ」

  霓瓏げいろうは籠いっぱいの紙袋を見て「困ったなぁ、重いなぁ」と言いながら笑っている。

 ここはけい国最大の市場、明朗市めいろういち

 広大な中原大陸の中でも、陸路も海路も発達している慧国の都〈琉星りゅうせい〉は、六国で一番栄えている。

 特に皇帝が住む居城、九曜くよう城は、贅沢の限りを尽くした豪華絢爛さで有名だ。

 豊かであるということは、その分、軍事費も膨大。

 慧国には八人の常勝将軍がおり、そのうちの一人はまだ前途洋々な二十代である。

「おい、それ全部うちで干す気なのか……?」

 そんな若き将軍がこの男性、しゅ 祁旌きせい霓瓏げいろうが住んでいる家の家主だ。

「え、だめですか? 薬草の香りって冬の朝みたいに澄んでいて気持ちよくありません?」

「俺にはわからん。ただただくさい」

「まぁ、そういう植物もありますね」

「お前のは特にそんなんばっかりじゃないか」

「そうですかねぇ?」

 霓瓏げいろうは小首をかしげながら籠の中に顔を突っ込み、「ああ、いい香り」と微笑んだ。

「そんなんだから嫁が来ないんだ。お前には」

「わたしはまだ二十一歳なのでいいんです。それよりも、御自分のことを心配されては? 祁旌きせい殿はもう二十八歳なのですから」

「うるさいなぁ。俺は良いんだよ。兄上が立派に家を継いで子供も五人いるから。血筋を残すっていう役割からは解放されてるの」

「それを言うならわたしだって、兄上も姉上ももう結婚していますから。末子のわたしは自由に生きつつ、薬術と添い遂げられます」

「はいはい。で、いつまでうちに居候するつもりなんだ?」

「……お腹すきましたね! 何か食べてから帰りましょう」

「またはぐらかしやがって……」

 霓瓏げいろうは「餃子がいいですかね?」と言いながら、ずんずんと前に進んで歩いていく。

 そのあとを、盛大な溜息をつきながらついていく祁旌きせい

 体格も年齢も生きてきた環境も容姿もまったく違う二人。

 なぜ同居することになったのかというと、それは一年前にさかのぼる……。



 戦争は悲惨なものだ。

 軍配者は細かな作戦の中で、何人までなら死んでも戦闘可能かを計算し、諸将は流血する仲間たちに「戦え!」と檄を飛ばす。

 負ければ家族が奴隷になるぞ、と、自分自身をも脅しながら。

「ここが敗れれば、敵は一気に国内に流れ込む。近隣の城にはもう戦う余裕などない。それなのに……」

 慧国北方の守護神とも称されるほどの将軍、しゅ 祁光きこうは頭を抱えていた。

 常勝軍として知られる朱燕しゅえん軍の兵士たち七万のうち、三万人が原因不明の病に倒れてしまったのである。

「父上、軍医でも原因がわからないようです。琉星りゅうせいに使いを出し、援軍を求めましょう」

祁旌きせいよ、そういうわけにはいかんのだ。みやこには、我ら朱燕軍の失脚を求める官吏かんりも多い。もし援軍を求めれば、最悪の場合、背を討たれるやもしれぬ」

「そ、そんな!」

 絶望的だった。戦が始まってから今日でちょうど一ヶ月。

 まともに戦えるのは二万にまで減っていた。

 敵である北方民族は主力の騎馬隊が補充し続けられており、目算でもまだ五万はいる。

「いったい、どうすれば……」

 祁旌きせいは一度軍幕に戻り、傷の手当てを始めた。そのときだった。

「あのぉ……」

「……ん?」

 純白の深衣しんい落栗色おちぐりいろの唐衣を羽織った少年が、軍幕の入り口で祁旌きせいの方を窺いながら立っていた。

「あの、ここら一帯、血や火薬よりも病の霧とにおいが濃くて濃くて……。心配で見に来たんです」

「……は? 霧……? におい……?」

「はい。お困りなのではありませんか?」

 祁旌きせいはいぶかしげに少年を見た。背は五尺四寸約百六十五センチといったところ。体重は相当軽そうだ。

 声からすると、すでに成人しているのだろう。もしかしたら少年ではなく青年かもしれない。

「どこの国から来た」

「えっと……、その、なんと言いますか……」

 怪しい。悪い奴には見えないが。

「言ったら治療させてもらえますか?」

「……今は緊急事態だ。もし腕に自信があるというのなら、お願いしたい」

「……わたしは仙境から来ました。所謂いわゆる仙子せんし族ってやつです」

「……せ、仙子せんし族⁉ それって……、神の御使いではありませんか!」

「あああ、あんまり大きな声で言わないでください。正体が露見するバレるのは避けたいんです」

「なぜですか?」

「どこの国の朝廷にもよく思われていないので……」

 噂通りなら、仙子せんし族には生まれた時から仕えている妖精王族がいて、生涯主人を変えることはないという。

 つまり、皇帝と言えど、仙子せんし族からは最上級の敬意を持たれないということだ。

「……なるほど。それもそうですね。わかりました。もし可能ならば、証拠をお見せいただけると……」

 祁旌きせいがそう言うと、少年は自分の腕の内側を切って見せた。

「白い煙……。血煙けつえんですね。本物であると確認いたしました」

「それはよかったです。では、さっそく治療を始めても?」

「よろしくお願いいたします」

 少年は嬉しそうに微笑むと、鞄から次々に道具と巨大な薬箱を出し、調合を始めた。

桂皮ケイヒ芍薬シャクヤク大棗タイソウ……」

 口元に布を巻き、何やら生薬の名前を言いながら次々に混ぜていく。

「症状に吐き気がある人にはこちら、桂皮の煎じ薬を。そうでない方には麻黄マオウの煎じ薬を飲ませてください」

「わかりました」

 祁旌きせいは軍幕の外に立っていた侍衛じえいに湯を沸かす指示をすると、少年が作った煮出し用の袋を持って外に出ていった。

 数時間後、戻ってきた祁旌きせいの顔は興奮で赤らんでいた。

「すごいですね! 薬湯を飲んでたった数時間で次々に快復してしまいました!」

「それはよかったです」

「通常の薬ではこうはならないはず……。やはり、仙術なるものをお使いなのでしょうか」

「そうです。ただ、今回の場合はみなさんが武人だったから可能だっただけです。治療に使う仙術は内功ないこうに作用するので、それが弱いと仙術に耐えきれず、薬の副作用に苦しむことになります。ですが、常勝軍と誉れ高い朱燕軍のみなさんはさすが、どなたもお強い。うまく薬が作用してくれました。日ごろの鍛錬の賜物ですよ」

「お褒めにあずかり、光栄です」

「……それでなんですけど、頼みがあるんです」

「ご恩に報いるためならば、なんでも……」

 その瞬間、少年はがっしり祁旌きせいの手を掴み、キラキラとした大きな目で見上げながら言った。

「住む家を探すのを手伝ってください!」

「……お、お安い御用ですが……。仙境に戻られなくていいのですか?」

 すると、少年はうつむき、ぼそぼそと話し始めた。

「じ、実は……、正確には仙境ではなく、聖域を……、怠惰で弱すぎるって追い出されたんです。現世うつしよで修業してこいって」

「弱い、とは」

「わたしは次男で末子。つまり、どこの世界でも自由に生きていい存在のはずなんです! それなのに! 父と母は毎日調剤室に入り浸るわたしに、『家の手伝いをしろ』とか、『たまには外に出て武術の練習をしなさい』とか、『一度でいいから戦場に出て武功を上げてこい』とか……。もう、耳にタコができるってんですよ! 仙子せんし族だからって、みんながみんんな武術の達人なわけじゃないんです! わたしは戦いたくない! そう言ったら、先ほど言った通り、『精神が軟弱すぎる!』と、聖域を追い出されてしまいました……」

 熱く語ったかと思えば、どんどんと勢いをなくし、しょんぼりしてしまった少年。

 祁旌きせいは唖然としてしまった。

 自分の周りにはいないたぐいの存在だからだ。

 軟弱で、頑固で、わがまま。

 朱燕軍にいる武人の多くは、次男以降に生まれた男たちだ。

 家を継ぐ長男の代わりに、それ以降に生まれた男は戦に出る、というのが一種の常識のはず。

 ここが戦場ということもあり、祁旌きせいの頭の中で何かがぷつっと切れた。

「……じ、自業自得じゃねぇか!」

「えええ!」

「別に男だから戦え、とは言わねぇが、家族は支え合うのが情義ってもんだろう⁉ 家の手伝いすらしねぇのに、なんでそんなに偉そうなんだよ! 自由と我儘わがままをはき違えんな! しっかりしろ! お前、幾つだ。名も名乗れ!」

「うえええ……。齢は成人したばかりの二十歳……。名前は 霓瓏げいろうです……。そ、そんなに怒んないでくださいよぅ」

「いや、ダメだ。よし。この戦が終わるまで、軍医として雇ってやる。しっかり働け。そのあと、帰郷したら俺の屋敷に住まわせてやる。家賃はいらない。が、その分、働いてもらうからな」

「ひぃええええ!」

 霓瓏げいろうは逃げようと後ろを向いたが、そんなことはお見通しだったようで、すぐに腕を掴まれてしまった。

「逃げたら斬る」

「うえええ」

 霓瓏げいろうは後悔した。入る軍幕を間違えてしまったのだ。そうに違いない、と。

 その後、一ヶ月かけて国境線は平定され、朱燕軍は大いなる武功と共に帰還。

 逃げるどころか、霓瓏げいろうはこの戦に参加してしまったことで、結果的に軍医として武功を上げることになり、聖旨せいしにより正式にその職につくことに。

 祁旌きせい霓瓏げいろうを、仲間や主師しゅすいである父、祁光きこうに紹介するとき、ただ一言、「近くの山で薬草を集めているところを拾った」と言い、周囲を納得させた。いや、納得するよう仕向けた。

 祁光きこうや仲間たちも「……ん?」とは思っただろうが、普段冗談を滅多に言わない祁旌きせいがそう言うので、もはや聞き入れるしかなかったのである。



 そして現在に至る。

 なんだかんだ働かされてはいるものの、祁旌きせいは料理がとても上手で、霓瓏げいろうからしてみれば、どんなに疲れていても朝と夜にはほとんど毎日美味しいご飯を食べることが出来る環境だ。

 手放しがたくなって当然だろう。

 一品軍侯いっぴんぐんこうの息子で将軍ともなれば、祁旌きせいの屋敷はとても広く、侍従も、実家から付いてきてくれた者が何人もいる。

 生活水準で言えば、まさに最高。霓瓏げいろうの実家と遜色ないほどである。

 小言を言ってくる両親がそばにいないだけでも楽だというのに。

 それに、祁旌きせいの実家である朱侯府しゅこうふは何十代にもわたってその功績から侯爵の地位を保持し続けてきた名門。

 皇帝家の覚えもめでたく、下賜げしされる武器や鎧は宝石よりも価値がある。

 兄弟姉妹も仲が良く家督争いもないので、家として一番いい状態だと言えるだろう。

 ただ、そのせいで外野から嫉まれ疎まれることも多く、警備は厳重。

 兄弟それぞれ、年に数回は嫌がらせを受けている。特に、文官の家から。

「食べたいものは決まったか?」

「そうですね、やっぱり麺にしましょう! 牛肉が入ったやつ!」

「はいはい」

 祁旌きせいはあきらめたように笑いながら頷いた。

 ちなみに、霓瓏げいろうは、初めは瓦一枚素手で割ることが出来ないほど貧弱だったが、今では三枚まとめて割ることが出来るくらいには強くなっている。

 日々、祁旌きせいやその部下が市井の人々から集めてくる厄介ごとを片付ける仕事を、一生懸命頑張っている成果だ。

 その多くは、都周辺を跋扈する魑魅魍魎による被害を減らす仕事。

 調伏だ。

(ちなみに、成人している仙子せんしなら、素手で瓦五十枚割れるのが普通だ。悲しいことに)

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