第二十集 虫鬼
北東の国境線を護り始めて二週間。
「なんか、暇だな」
「いいことじゃないですか」
先日、向こう岸の妖術師にちょっとした意見を述べたところ、一日に一回は来ていた船による偵察部隊もまったく来なくなったのだった。
「何をしたんだ」
「別に? お互い、頑張りましょうねって言っただけです」
「本当か……?」
「お前が俺たち朱燕軍を大事に想ってくれているのはわかってるが、あまり無茶はするなよ」
「大丈夫ですよ。わたしはわたしの家を護っているだけですから」
「当面の敵は、そろそろ動き出す
「解毒薬がちょっと足りないかな……」
この駐屯地に着いたその日に、周辺の村に住む住人たちの体調改善を行い、かなりの量を使ってしまったのだ。
「
こういうとき、口にするとそれが現実になるなんてことが物語などではよくあるけれど、例に漏れず、
演習場の方が騒がしい。
ふとそちらに目を向けると、初めて朱燕軍の軍幕を見た時同様、〈病〉が醸し出す灰色のような嫌な靄が漂い始めていた。
「
「
「りんれつちゅう?」
「そうです。
「治せるか?」
「誰に聞いてるんですか。もちろんで……」
その時、
「き、
「熱い。……
血を吸う際、
そのせいで、刺された獲物は灼熱の体内を極低温の血液が流れる痛みに耐え続けなくてはならなくなる。
「
いつもとは違う緊迫した雰囲気に、兵士たちは
「
痛みに耐えながら、
「今から薬を調合しますが、完治には足りません。でも、内功の強い
「わ、わかった」
「いいですか。今からこれを血管内に直接注入します。ひどい眩暈もするし、頭も痛くなるし、とにかく副反応が激しいです。耐えてください」
仙術で力を増し、その効能を高めていく。
「んぐうううううう!」
激しい痛みに
「さぁ、頑張ってください。
必死で歯を食いしばる
脈は速いが、血管から冷たさがひいていくのがわかる。
「さすがです。あなたは強い」
顔から汗が吹き出し、瞳が充血しているが、体温も徐々に正常な値へと戻っている。
「
「ふう、ふう……。嘘つけ」
「あはははは。もう大丈夫ですよ。ただ、
「ああ、わかった」
「じゃぁ、寝てもいいですよ」
「ああ、わかっ……」
すう、すう、と、規則正しい寝息が聞こえてきた。
「多分、何をしても一時間は起きないでしょうから、その間に身体を拭いて着替えさせてください」
「他に体調不良の人はいませんか⁉」
衛生兵が三人手を挙げた。
それぞれの場所には二人から三人ずつ兵士が倒れている。
その後、すぐに健康な兵士たちを集めると、虫について説明を始めた。
「
「この口の部分にある針に気を付けてください。
兵士たちは力強く返事をすると、すぐに隊を組んで動き出した。
陽も完全に落ち、あたりには篝火が煌々と光を放っている。
「みなさん、本当にお疲れさまでした。お湯をたくさん用意してあるので、お風呂に入ってください」
「おおお!
「風呂だあ!」
「綺麗なお湯の風呂なんていつぶりだろうか……」
朱燕軍は湯船に浸かるのは五日に一度。身体を清潔な湯と布で拭き清めるのは二日に一度。
湯船は階級によって入る時間が決まっているので、どうしても、末端の兵士の順番が来る頃にはお湯に垢が浮いている。
それでも、あたたかなお湯に浸かれるというのは、限られた物資の中でやりくりするしかない状況においてはとても貴重なことなのだ。
「薬湯ですから、ちょっと傷にしみるかもしれません。でも、しっかり肩まで浸かって、疲れをとってくださいね」
「大盛況だな」
「あ!
「もう大丈夫だ。心配をかけたな。それに、貴重な薬草を遣わせてしまった」
「いえいえ。薬とは使うためにあるのですから」
「お湯は一般の人々にも配ってくれたのか」
「もちろん。
「なんだか、心を読まれているようで気持ちが悪いな」
「失礼な!」
「あはははは」
「それで、虫どもはどんな感じだ?」
「
「……は? ダメだ! こればかりは行かせられない!」
「あのですねぇ、
「俺も行く。断らせないからな」
「病み上がりの人に行く許可を出すとでも? 薬術師として、却下です」
「将軍は俺だ。行く」
「……はぁ。まったく。どうしてそう頑固なんですか」
「お前もな」
「それを言われると、もうどうしようもありません」
「だろ? じゃぁ、行こう」
「護衛もつけずに? わたしは本当に大丈夫ですが、
「……絶対?」
「ううん……。何回排尿しました?」
「えっと……、薬の効果で少し朦朧としながら厠へ向かったから、正確には覚えていないが、五回は行ったと思うぞ」
「じゃぁ、
「そ、そんなものまで体内にあったのか……」
「一種の
「そういうことか……。急に悲しくなってきたよ」
「まぁ、女性がつけてくれる
「……もう行こうぜ」
「はいはい」
途中、何人もの兵士が「お供します!」と駆け寄ってきたが、
「愛されてますねぇ」
「まあな。俺もあいつらが大事だ」
「いいことです」
「で、作戦は?」
「巣を夜のうちに松脂で封をして燃やすのが一番なんですけど……」
「何か採取したいんだな?」
「その通り! 貴重なんです! 彼らは人間の血液だけでなく、花々の蜜も吸うんです。そして、その蜜で子育てするんですけど、その蜜には毒が含まれていて、これがまた薬効の高い良い薬になるんです!」
「あいつらの毒ってことか?」
「いえいえ。花々にある毒です」
「え、毒草の蜜を吸うのか」
「そうです。彼らは毒に耐性があるので、吸っても大丈夫なんです」
「ってことは……、奴らは蜂みたいに蜜を巣にため込んでるってことで……」
「そうなんです。だから、巣が欲しいんですぅ」
まるで小動物のような可愛らしい目で見つめてくる
「……まったく。面倒な」
「いいじゃないですかぁ」
「わかった。わかったよ」
「わあい!」
巣のある場所は森の奥。
大きな岩の側だと報告があった。
「あれですね」
茶色の大きな巣。
「あれってさ、もしかして……」
「そうです。人間の骨を使って作られた巣です」
「な、なるほど。だから人間の形をしているんだな」
まるで木に吊るされている何人もの人間のようにみえる巣。
それもそのはず。
「
「まぁ、人間も動物の内臓を水筒に加工したりしますし。同じですよ」
「えええ……」
こういうところの感覚はやはり〈人間〉と〈
「では、せっかく松がいっぱい生えているので、それを燃やして巣を燻しましょう」
「煙で追い出すんだな」
「その時に、行動を阻害するような薬草も一緒に燃やすので、多分、パタパタと地面に墜落するはずです。でも、
「それを俺が斬ればいいんだな」
「その通りです。よろしくお願いします」
「はいよ」
二人はそれぞれ配置につき、作戦が始まった。
結果から言うと、大成功。
二人は穴を掘り、虫たちをそこへすべて投げ入れると、火をつけ、松の葉をかぶせた。
「わあい! 巣だ! 蜜だああ!」
「よかったな。でも、そんな大きなもの、どうやって持って帰るつもりなんだ?」
巣は成人している人間五人分ほどの大きさがある。
「……わたしが仙術師だってことお忘れですか?」
「あ」
「こんなもの、浮かせて持って帰れるんですよ!」
「そうかそうか。はいはい、よかったな」
「ふふふんっ!」
二人は「ちなみに、俺はその蜜をつかった薬を飲む可能性はあるのか?」「え、ありませんよ。だって、この蜜は塗り薬に使うんですもん」などと話しながら、朱燕軍の元へと帰って行った。
すでに朝陽が昇ろうかという、黎明の時間に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます