第十三集 恋

 陽が沈み、黄昏時。

 霓瓏げいろうは緊張していた。

「ぎ、妓楼……」

 実は一時間くらい前から玉梓楼ぎょくしろうの門前には着いていたのだが、その煌びやかな雰囲気と、中から聞こえてくる艶やかな笑い声に恐れをなし、ずっと道を行ったり来たりしているのだった。

「は、入るぞ。わたしは、は、入るぞ……」

 耳を真っ赤にしながら意気込んでいると、背中をポンと叩かれた。

「もしかして、君が霓瓏げいろう?」

 話しかけてきたのは霓瓏げいろうと同じくらい顔立ちが幼い男性だった。

「そうです。もしかして……、祁禮きれい殿の」

「そうそう! 俺が祁禮きれいの友人でここのあるじ関 睿かん えいだ。睿でいいぞ」

えい殿、では、さっそく中に入るのですか?」

「うん。本当は色々案内したいんだけど、とりあえず、女の子たちを診てあげてほしい」

「わかりました」

 睿のあとについて行くように妓楼の中へと入った霓瓏げいろうは、多種多様な香のにおいとは別に漂っている料理のにおいに驚いた。

「僕、初めてきたのですが、妓楼ってお料理は本格的なものが出るんですね」

「そうだよ。うちは特にね。片田舎でなぜかくすぶってた料理の巧いひととか、引退した宮廷料理人を雇ってるんだ」

「へえ!」

「美味しい料理を楽しみながら、最高の酒と見目麗しい花が奏でる音楽を愛でるっていうのが大人の遊びだな」

「お、おおお……。失礼な話、もっとこう、性に乱れているのかと思っていました」

「そういうところももちろんあるよ。ただ、うちは女の子たちを大事にしてるんだ。なんせ、女主人が元貴族だからな」

「え、というと……」

「そう。家が没落して奴婢ぬひとして少女のころから働いてきた人でね。自分のことよりもいつも他人を優先してる。女の子が辛い目に合わないように、どんなに太客であっても不当な要求はつっぱねる。かっこいいだろ? 俺が惚れ込んでどうか女主人になってほしいって引き抜いてきたんだよ」

「へぇ……」

「名前は明 祥みん しょう。従業員からもお客さんからも祥姐さんって呼ばれてる人気者なんだ」

「その、祥殿も今日はいらっしゃるんですか?」

「他の女の子たちが不安にならないように店を回してくれているから、忙しいんだ」

「わかりました。でも、もしよければ何か見たり聞いたりしていないか少しお話を聞きたいです」

「じゃぁ、あとで時間作るよ」

「ありがとうございます」

 話しながら歩いていると、店の奥、従業員専用の扉に着いた。

 睿が扉を開け、中へ入ると、廊下がまっすぐ続いており、両脇に等間隔に扉が並んでいる。

「女の子たちはさらに奥の医務室にいる。俺は祥姐さんに時間作れるか相談してくるから、ここからは一人で行ってくれるかな」

「わかりました。あの、いきなり知らない人が現れて大丈夫なものでしょうか」

「ああ、大丈夫。薬術師がこの時間に来ることは伝えてあるから」

「それなら安心です。では、また後程」

「うん。よろしくね」

 睿に会釈すると、霓瓏げいろうは木のいい香りがする廊下をまっすぐと進んでいった。

 全体的にとても清潔だ。しっかりと掃除が行き届いている。

 香のにおいもほとんどしない。ここは純粋な居住区なのだろう。

 あまりキョロキョロと見まわさないように歩いていると、廊下の突き当り、少し曲がったところに〈医務室〉という札がかかった部屋を見つけた。

 ドアを軽くノックし、中へと入ると、そこには不安そうな顔で涙を流す三人の妊婦が座っていた。

「あ、あの、薬術師の 霓瓏げいろうです……」

 すると、一人の妊婦が立ち上がり、霓瓏げいろうの方をがっしり掴んできた。

「お待ちしておりました! はやく、はやく原因を突き止めてくださいまし!」

 霓瓏げいろうは女性と顔が近いということよりも、女性が肩を掴む強い力に動揺してしまった。

「ひぇ……。あ、あの、まずは状態を確認させてください……」

 女性は「あっ、つい……。すみません」と言い、霓瓏げいろうから手を放した。

「みなさん、同じ時期にご懐妊なさったんですよね?」

「そうです。もう何が何だか……」

「今妊娠してから何か月でしょうか?」

「それが、まだ三か月何です」

「……え⁉」

 目の前にいる女性たちは少なくとも六か月は超えていそうな状態だ。

「前に診に来てくださった医師くすしの先生も、とても驚いていました」

「そうそう。成長が早すぎる、とかなんとか」

「ううん……。僕としてもその先生に同意です。脈を診てもいいですか?」

「どうぞどうぞ」

 霓瓏げいろうは女性の腕をとり、脈を診ようとしたそのとき、静電気のような痛みが指先に走った。

「……なるほど。これはただの妊娠ではありませんね」

「え、ええ! ど、どういうことですか?」

 霓瓏げいろうは他の二人の手にも触れてみたが、やはり脈を測ろうとすると静電気のような痛みが走る。

「みなさんのお腹で育っている何かが、僕を拒絶しているようです」

「そ、そんな……」

「でも安心してください。正体はわかったので」

「……え! たったこれだけのことで?」

「えっと、まぁ、僕はそういう専門家なので……」

「じゃぁ、じゃぁ、治る、というか、その……」

「ええ。元に戻せます」

「よ、よかったぁ」

 女性たちは手を取り合って喜んだ。

「それで、いつ戻せるのでしょうか」

「明日の夜には出来ると思います。みなさんは普段通り過ごして夜は寝ていてくだされば大丈夫です」

「わかりました。よろしくおねがいいたします」

 霓瓏げいろうは挨拶すると、医務室から出ていった。

「あ! もう終わったのか?」

 廊下に出ると、睿とその隣にとても美しい女性が立っているのが見えた。

「原因はすぐにわかりました。相手がわかりやすい結界を張っていたので」

「そうなのか。ふぅ……。あ、そうそう。こちらがさっき話していた祥姐さんだ」

 青光りするほどの黒い髪に、健康的な少し灼けた肌。

 唇は薔薇のように赤い紅に彩られており、目元は涼やか。

「あ、えっと、薬術師の……」

「李先生ですね。睿から話は伺っております」

「今日か明日の晩には彼女たちを元の状態に戻せると思うので、ご安心ください」

「それはそれは……。なんとお礼を申し上げればよいか……」

「いえいえ。仕事ですので。せっかくお時間を作っていただいたのに、すみません」

「いえ。実は頼みがあってきたのです」

「なんでしょう?」

「あの子たちを妊娠させた不届きものに、わたくしからも一言言ってやらねば気が済みません。立ち会わせてくださいまし」

「……え、あ、えっと」

 霓瓏げいろうは睿をちらりと見たが、首を振って諦めたような表情をしている。

「あ、安全な場所から見る分には構いませんが……。説教は……」

「いえ。絶対に一言言ってやりたいのです」

「あ、ああ……。わかりました。なんとかします。では、明日の晩、医務室の窓の外で待ち合わせしましょう」

「かしこまりました。よろしくおねがいいたします」

「はいぃ……」

 祥は深く頭を下げると、柔和な笑顔を浮かべ、凛とした立ち姿でまた店の方へと歩いて行ってしまった。

「あの、睿殿」

「聞かないでくれ。祥姐さんはああいう人なんだ」

「まぁ、でも邪悪な存在のせいではないので、明日の晩は大丈夫だと思います。ただ……」

「ただ? 何か問題があるのか?」

「その、女性の中で誰かが恋に落ちてしまう可能性があります」

「……は?」

「まぁ、明日わかりますよ」

「そ、そうか……」

 今日のところは一先ひとまず解散となり、霓瓏げいろうは妓楼から少し離れた場所にある路地で幻華天雛げんかてんすうを開き、自分の屋敷の中へと入って行った。

 もし祁旌きせいの屋敷に帰れば、まだ祁禮きれいがいてあれこれ聞いてくるかもしれない。

 最悪の場合、「明日の晩は私も行く!」などと言い出したらたまったものではない。

 今日は祁旌きせいの作るごはんは諦めるしかないようだ。


 翌日、昼頃に起き、あれこれと準備をしていたら気づけば夕方。

 さっそく玉梓楼ぎょくしろうへと向かい、睿の手引きで医務室の外に待機を始めた。

 祥には「医務室にいてもいいですが、一番遠い寝台で息をひそめて寝ているふりをしていてくださいね」と伝えた。

 はたして本当におとなしくしていてくれるかはわからないが、彼女の行動を信じるしかない。

(……お、来たな)

 清流が放つ清らかな水の匂い。

 雨が上がった後に感じる豊かな土の匂い。

 霓瓏げいろうは医務室へと近づいていく人影に苦笑しつつ、その腕をつかんだ。

「龍神様、おいたは駄目ですよ」

「え! ……せ、仙子せんしだと⁉ なぜこんなところに……」

 龍神、と呼ばれた男は、青い長い髪が流れる頭に白く輝く美しい二本の角を生やし、褐色の肌には金色の化粧が施されている。

 彼はこの近くの湖に住まい信仰を集めている龍神、青玄せいげんだ。

「ど、どうして私だとわかったのだ……」

「龍神を屠ることが出来る種族は限られています。あなたが万が一に備えて妖精族対策をするのは当然のこと。彼女たちの脈を測ろうとしたら痛みが走ったので、すぐにわかりましたよ」

「くっそう! どうして仙子せんしがこの国にいるのだ! 知らなかったぞ」

「それはまぁ、おおっぴらに自分の種族を宣伝して生きてはいませんから」

「……どうしても駄目か?」

「駄目です。人間の女子おなごを勝手に受胎させるなど、許されませんよ」

「む、昔はよく生娘が贈られてきていたというのに……」

「それは生贄でしょう? 今の時代、そんなことは無いんです。あなただってわかっているでしょう?」

「むむむ……。でも、子孫が欲しくて……」

「生殖を司っている女神さまに懇願するか、人間のふりをして恋の出会いから始めてはいかがです?」

「……そこまでしないと駄目?」

「駄目ですっ!」

 青玄はひどく落ち込んだ様子でうなだれた。

 その時だった。

 医務室の窓が開き、そこから祥が飛び出してきたのは。

「あなたなんですね! うちの女の子たちを……」

 言葉が止まった。

 青玄は声のする方を見つめ、そして動きが止まった。

(……え?)

「そなたはなんという女神だ? 美しい……」

「そ、そんな……。あなただって、とても素敵で……」

(……は?)

「今すぐに女子おなごたちにかけた術は解く! そしてもう二度としないと誓う。そなたのその美しき瞳に」

「ま、まあ……。それなら、許して差し上げてもいいです。あなたのその薄桃色の唇に免じて」

(え、何? 何なの? 何が始まったの?)

 霓瓏げいろうの目の前で始まったのは、まぎれもない、〈恋〉だった。

「少しその辺を歩かないか? そなたについて知りたいことがたくさんあるのだ」

「ええ。もちろんいいですわ」

 青玄と祥は手を取り合い、ゆっくりとした歩みで妓楼から遠ざかって行ってしまった。

 その様子を建物の影から見守っていた睿は「嘘でしょ……」とつぶやき、頭を抱えてしまった。

「え、ど、どうしましょう」

「祥姐さんが幸せになれるのならもはや相手は誰でもいいとは思うけど……。でも、もし辞められちゃったら妓楼の運営が……」

「そこはよく話し合ってください、としか言えません……」

 うなだれる睿をどうにか励まそうと、霓瓏げいろうも言葉を選びながら声をかけていたら、医務室から突如歓声が上がった。

「身体が元に戻ったわ!」

「すごい! 何もなかったみたい!」

「安心したらお腹空いてきちゃった!」

 楽しそうな声が窓の外までこだましている。

 とりあえず、事件は解決したが、睿には別の悩みが生まれてしまったようで、なんだか責任を感じてしまう。

「み、湖とこちらの妓楼は距離が近いですし、大丈夫じゃないですかね?」

「はは……、ははは……」

 もう何を言っても駄目なようだ。

 霓瓏げいろうは「では、その、帰りますね」と告げ、その場を後にした。

 きっと事件解決を聞いた祁禮きれいが何とかしてくれるだろう。

 今日はやっと祁旌きせいの屋敷に帰ることが出来る。

「はぁ、眠い」

 星が輝く夜。

 独身でモテたことの無い霓瓏げいろうには無縁だが、恋人たちにとっては素晴らしい景色だ。

 今日は少し遠回りして帰ろうと、霓瓏げいろうはゆっくりと歩き出した。

 夜風に身を委ねながら。

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