第二十九集 馬鹿野郎
自分の能力を過信していたわけではないが、しくじってしまった。
「ま、まさか
溶けた歯が痛々しい男に髪を掴まれた。
「全身バラして売っちまおうぜ!」
「おいおい、よく見ろ。こいつがなんで
一番まともそうに見える男が、
「……あ、血が煙だからか」
歯の溶けた男は
「何もせずに切り刻んじまったら、血がなくなっちまうだろうが」
「なんだっけ、何を飲ませればいいんだっけ」
若い。
すると、賊の中でも一番大柄で鋭い目をした髭面の男が近づいてきた。
「そういう知識があったらこんな最低な仕事してねぇよ」
「ちげぇねぇ」
歯の溶けた男は何が可笑しいのか、笑い転げている。
髭面の男はそれを一瞥し、呆れたように溜息をつきながら、
「とりあえず、牢にでも繋いどけ」
「慧国のどっかに
「探される前になんとかしねぇと!」
「ここがわかるわけないだろ? だから五年以上続けてこられたんだぞ。……お前らが貴族のガキなんて殺すまではな!」
髭面の男の怒声の先にいたのは、顔の綺麗な役者風の男。
「すまねぇって言ってるだろ」
「とりあえず、まともな格好して風呂にも入ってから、どこかの貸本屋でも行って調べてこい。くれぐれも怪しまれるなよ」
「あいよ、お
役者風の男とまともそうな男の二人がどこかへ出かけて言ったようだ。
指示された通り、貸本屋にでも行ったのだろう。
(……げ、解毒しなきゃ)
人間の生活領域の空気は、聖域のものとは違う。
それにより、聖域にいた頃よりも身体が幾分弱っているのを。
それに気づかず、作った酩酊薬を飲んでしまった。
本当は根城を突き止めた瞬間に捕縛するはずだったのに。
逆に捕まってしまう結果となった。
(ううっ……、痛い……)
周囲に人の気配が無いことを確認し、
解毒薬と仙術を己に施し、数十分大人しく目をつむっていると、次第に意識がはっきりしてきた。
(ふぅ……。こりゃ、あとで二人に怒られるなぁ)
(え、ここ、地下じゃない! 座敷牢だ)
座敷牢は、邸の中の
その証拠に、よくよく耳を澄ますと、誰かが廊下を行き来する音が聞こえる。
今は十九時くらいだろうか。
女性の声もする。
ただ、助けを求めているような感じではなく、どちらかというと、楽しそうな、誘惑するような声。
(妓楼か!)
(なるほどね。ここで製造してるのか)
夜はうるさいほどにぎわい、誰が出入りしていても誰も気にしない。
昼間は目の前の通りも閑散とするので、人目につくことなく作業が出来る。
裏口には料理の残飯をもらおうと集まってくる家の無い人々。
薬漬けにして肝臓を抜くには最適な場所だ。
(権力者のお客さんも多いだろうし。こりゃ、困ったことになったなぁ。そもそも、肝臓から麻薬を抽出しようなんて考えられるのは、そういう知識がある人だろうし……)
(うわ、ものすごく賑わってる)
客の中には朱燕軍の到着を出迎えた
「はぁ……。焦った焦った」
そういえば、と、腕に巻かれていた汚い布をとり、道端へと
「治療の基礎がなってないなぁ、もう」
おそらく、捕まえてきた薬物中毒者が逃げることは想定してないのだろう。
誰も追ってこないし、そもそも
一応だが、尾行を警戒し、妖精の粉を使って途中で姿を消しながら。
「馬鹿野郎!」
冷たい板間の上で正座させられ、
心なしか、声がか細くしか出てこない。
「うう……、はいそうです。わたしはどうしようもない馬鹿野郎です。すみません。ごめんなさい。もうしません」
「言葉では何とでも言えるんだぞ」
正直、とてつもなく怖い。
朱兄弟は大変ご立腹のようだ。
「あの、妓楼を特定しましたので、その、作戦を立てつつ、徐々にお許しいただけませんでしょうか……」
「あ?」
「ひいっ。ご、ごめんなさい」
目の前でしおしおとしょぼくれていく
「……はぁ。あと数分遅かったら、街中を朱燕軍で探し回るところだったんだぞ」
「はい。すみません」
「兄上も何か言ってやってください」
現在時刻は二十一時。かれこれ、二時間近く怒られ続けている。
頭脳明晰切れ味抜群な
「……身体は大丈夫なのか」
思いもよらなかった優しい言葉に、
うつむいていた頭を上げ、
そこまで痛いものではなかったが、心に響いた。
「次はこんなものでは済まないからな。
「承知しております」
「ならいい。では、さっそく成果を聞こうか」
「わたしが視認した賊は五人。特徴は……、後で似顔絵を描いておきます。ただ、会話の内容から、彼らが企てたとは考えにくいですね。そこまで医療的な知識があるとは思えません。根城となっている場所は
「妓楼を隠れ蓑にするとは。古風ではないか」
「しかし、とても効率的だ。ふむ。最近始めた事業ではないということだな」
「その通りです。彼らによると、五年程続けているそうです」
「おそらくは、その賊らも使い捨てなのだろう。黒幕はもっと昔から続けているやも……」
「これは
「……兄上は行かないのですか?」
「妻が嫌がるからな。それに、
「えっ」
「私が見立てて好い男に仕上げてやろう」
「あの、わたしは……」
「黙って従え、
顔はどうにか変幻の術で変えられるが、ひょろひょろの体型はそうはいかない。
「わたし、女性の扱いなんて慣れていませんよ?」
「そこがいいのだ! ああいう妓楼の妓女たちは皆手練れ。
「か、賢く阿保……」
とりあえず、従うことにした。
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